浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

ハノイ・タムコック・ハロン湾を巡る旅行記

2007-01-22 22:57:55 | Weblog
1月22日(月)。朝の気温ー4℃。晴れ。思ったよりも暖かだった。
午前は長野で話をする資料の整理をし、午後はO先生のところで写真をCDにコピーする。コーラスは欠席。
ベトナムの旅行記を簡単に書く事にする。

* 空路ハノイへ(16日)
 夜中の2時起床。洗顔の後荷物の点検と持ち物の確認。お茶を仏前に上げ線香を立てて旅の無事を祈る。
 3時20分に家を出る。JA立科センター前に集合。北御牧から10人、立科から12人参加。バスは2号車、1号車は望月地区と野沢地区の参加者を乗せて行く。7時50分成田に着く。チェックイン・渡航手続きの後朝食。11時にVN955便(ベトナム航空)で空路ベトナム(ハノイ)へ向かう。所用時間約6時間10分。無事にノイ・バイ国際空港に到着する。日本との時差は、-2時間。現地時間の15時10分頃に着いたが、入国審査に時間がかかり、17時30分に空港を出て専用車でホテルに向かう。広々とした田園風景の中の直線道路を30分ほど走って、『ソフィテルプラザホテル』に着く。ホテル内レストランにて19時から食事、一日が終わる。

* タムコック観光(17日)
 ホテルを9時に出発。ハノイ市内を通って郊外に出る。田圃に赤牛の群れがあちこちに沢山居り、みな放し飼いである。苗代が沢山あり、もう15センチほどにのびて居るのもあり、しろをかいて居る人・うえて居る人、など様々である。田圃の中にお墓が幾つもあった。ベトナムでは亡くなった人を火葬しないで埋葬し、3年たって掘り起こして洗い、きれいにして箱に入れ、屋根のあるお墓に入れなおす習慣だと言う。2時間30分走ってようやくタムコックの目的地に着いた。
 タムコックは陸のハロン湾と言われ、桂林と同じ様に墨絵の山水画のような景色
で、そこに流れている川を、2人乗りの舟に乗って観光するのである。1ばん先にMさんと乗り込んだ舟は、母と娘の船頭が、ブリキの櫂で手漕ぎで川をさかのぼっていった。途中洞窟を潜り抜けて進んで行った。終点に着いたら別の小船がさーッと横付けになり商売を始めた。果物や菓子に飲み物などだ。船頭の母娘に買って呉れろと言う。缶ジュウスと菓子を船頭に、果物は自分に買う。周りを見るとどの舟も同じ事をして商売をしている。長居は無用と船頭をせかして帰路に着く。帰りは櫂の動きが鈍い。Mさんと交代で船頭に代わって漕ぐ。途中に来たら船頭が布類を出して商売を始めた。Tーシャツ、テーブルかけ,刺繍の袋、刺繍コースターなどだ。無視するわけにもいかず、Mさんと1枚ずつテーブルかけを買う。スタート地点に着くとチップの要求である。ガイドから貰ってあった硬貨を差し出して船を下りた。陸地に下りると、船に乗っていた写真の10枚ほどをアルバムにして売りに来た。向こうも商売だから買い求めてあげる。40分ほどの乗船観光の後、近くの店で「ベトナム料理」の昼食を摂り、ハノイに戻る。約三時間ほどバスでかかる。ホーチミン市へ通じている国道で、一直線の道が田園の中に続いている。夕食を市内のレストランで中華料理を戴く。

* ハノイ市内観光(18日午前)
 千年の歴史を持つハノイ市内の観光をした。最初にホーチミン廟へ行った。見学者の列が長々と出来ていて、驚いた。カメラも荷物も持ち込む事は出来ない。1時間ほど待っただろうか、ようやく中に入って見た。ホーチミンの遺体は眠っているようであった。ロシアの技術で科学処理がなされていると言う。柩の両側に衛兵が四人厳粛な面持ちで立っている。
 次に孔子廟を参拝する。世界遺産になっていると言う。以前は廟の隣に学校があったということだ。その後一柱寺に行く。正に1本の柱の上に立っているお堂である。11世紀、李朝時代に建立された仏教寺院。蓮の花を模して建てられたと言われており、池の中に立っている。続いて民芸品店により買い物をして、市内レストランで「飲茶料理」を賞味する。

* バッチャン観光(18日午後)
 陶器の村「バッチャン」へ行く。全村陶器で溢れている。ベトナム特産の陶器の中で最も有名で、バッチャン焼きと言われ、中国の影響を強く受けた硬質な白磁が特徴である。世界中から買い手が集り、高い品質で村内の殆どの工場で製造直売している。見学した工場も5階建てで、一階は売店になっていた。工場で作業していたのは女性が多かった。4階の作業所を覗いたら、主任らしいお姉さんが奇麗な箸おきを差し出してプレゼントしてくれた。戴いたのはMさんと2人だけである。帰りに花模様の小皿を10枚購入した。

* 枯葉剤被害の身障者工場を視察(18日午後)
 陶器村からハロン湾に向かう途中、大理石の彫刻工場へ寄ったら、中は刺繍工場で、米軍がベトナム戦争の時に散布した枯葉剤によって,被害を受けた身障者が沢山働いていた。手が動く人は刺繍をし、刺繍が出来ない人は、売り子になって売店でお客の接待をしていた。刺繍をしている人たちは、大きな部屋にびっしり並んで椅子に座って作業をしていた。足が殆ど無いような人も居て、気の毒であり、可哀想であった。戦争の惨たらしさを改めて見せ付けられた思いであった。しかし働いている皆さんの明るい表情には救われた。

* 民族楽器の生演奏で歌う(18日夜)
 バスで3時間半走ってハロンプラザに着いたのは19時だった。ホテルのレストランでバイキングの夕食を摂る。食事の後ロビーに出たら、ベトナムの民族楽器で3人の演奏家が音楽を奏でていた。椅子で聞いていたら、日本の音楽を演奏し始めた。近寄って口ずさんでいたら、「さくらさくら」を弾いて歌えと言うので、ステージに立って歌った。「北国の春」「四季の歌」「荒城の月」など等、大きな声で独唱したので外人の客まで、集って来て聞いていた。その内に一緒に歌い出す人もあって賑やかになった。
 
* ハロン湾観光(19日)
 青い海面から大小幾千もの奇岩がそそり立つハロン湾。ハロンとは、「龍が降りる地」と言う意味。その風光明媚な光景は、正に海の桂林そのものだ。その奇岩の間を縫うように巡るハロン湾クルーズは楽しかった。途中で世界遺産の鍾乳洞を、船から下りて見学した。10年ほど前に発見されたのだと言う。これが発見されてから、観光客が急に増えたのだと言う事だ。水上生活をしている様子も、下船して見学する。その後船の中で昼食を摂る。舟には小船に果物を沢山載せて売りに来て、結構いろいろと商売になった様である。
 船から下りてハワイまで3時間半、又バスに乗る。

* 水上人形劇観賞(19日夜)
 バスから眺めていると、ベトナムの家はみんな間口が2メートルそこそこで奥行きは長く、3階や4階のレンガ積みである。横壁は殆ど窓が無い。食事は中国と同じで、表どうりにでて外で食べているのが多い。
 ハノイについて、劇場が空くまで市内の商店街を散策する。市内は人であふれていた。劇場が空いて中に入ると、センスが配られた。上演は約1時間であるが、水面をステージに、農村の生活や伝承などを操り人形で、大変上手に演じて、伝統芸能を大切に守ってきているのに感心させられた。

* 帰路に着く(19日夜~20日)
 劇場を出て、市内レストランで夕食を摂る。ベトナム風フランス料理を戴く。
 ノイ・バイ国際空港へ移動し、出国のチェックインを受け,0時10分発(現地時間)のVN954(ベトナム航空)に乗り成田へ帰る。所用時間は4時間30分。往路より2時間近く少ない。ほとんど眠れなかった。
 成田へ6時40分(日本時間)に到着。迎えのバスも来ていて、殆ど渋滞も無く正午には帰宅できた。早く帰れたお陰で、布施の義弟の3回忌法要に参加できて良かった。