浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

旅順・大連並びに旧満州の史跡を訪ねる旅の計画

2009-07-21 22:25:14 | 旅行
7月21日(火)。朝の気温17℃。雨時々曇り。
 新聞の休刊日なので天気予報PCで調べたら、明日も明後日も雨らしいと言うので、少しでも早いうちにもろこしの虫除けをしておくことにしての、朝5時から150リットルの薬液を作って散布した。
 朝食の後、前田の土手草刈に行き道路側の土手を刈る。早めにやめて帰宅し昼食を済ましたところに、Mさんが迎えに来て呉れて車に乗せてもらい、上田に行く。東急インにHさんが待っていて、喫茶室に入り3人でお茶を戴きながら旅の話をする。前回の砂漠の大きな写真を頂き、話をする時の参考に成りそうなので大変ありがたいと思った。今度秋に旅順と大連を余裕を持ってめぐり、旧満州時代の街並み、皇帝溥儀の偽皇帝と長春、清王朝の史跡を訪ねるたびを計画している話を聴き、都合つけて参加しないかと誘われる。旅順博物館はシルクロード探検の大谷探検隊の遺品が展示されていると言う。また二百三高地の見学やロープウエイで白玉山展望台に登り,旅順港を眺め、大連市内では満州時代の街並みが残っているのでそれを見学、開拓団の居たところなどを見て延吉の農村風景に触れ、市場を回ると言う。尚長春の官庁街に残る町並みなどを見学する。また瀋陽では清朝ゆかりの史跡を回り,北陵公園に立ち寄る6~7日間の旅となるそうだ。
 Mさんとまた出来れば行ってみたいところである。7~8人の旅なので、小回りが利いて楽しい旅に成りそうだ。
 夜は8月の子どもの詩を有線で話す原稿作りをした。

西安からのお便り

2007-04-05 00:22:31 | 旅行
4月4日(水)。朝の気温ー4℃。日中雪降りとなり、暫らくの間物凄く降った。
 日中交流協会のHさんから、航空便で中国の西安からお便りが届いた。3月にシルクロードの旅の案内をして下さった方である。前回の旅が無事に終わった事の礼を述べられて、次回の計画などにも触れられていて、少々珍しい所を案内したいと書かれている。又参加させて貰えれば幸せだと思う。早速礼状を差し出しておいた。
 牛鹿の浦野義明さんが亡くなられて今日は告別式である。津金寺で時間は1時であったが早くに焼香が始まって、12時半に行ったら、もう終わりに近かった。故人は老大の同窓会で役員をしている時にたびたび訪れてお世話になった関係である。男の子がなかったので、お嬢さんに良いお婿さんを迎えられて跡を取っておられる。今日の喪主も勤められていた。
 午後人権センターへ県議選の期日前投票に行き一票を行使してきた。
 佐久のTさんから佐久地区全体の9条の会の連絡会の開催通知が来て、見たら8日なので、滝神寿会の総会で参加できない。そこでMさんに出席してもらうように依頼し、案内状を夕方届けておいた。都合してもらえるというので、ほんとに良かった。

秩父の観音めぐり満願

2006-10-18 19:12:43 | 旅行
10月16日(月)。いよいよ秩父34観音霊場巡拝の最後の日となる。
ホテルを8時半に出発。武甲山の切り立った岸壁が覆いかぶさった所に橋立堂があった。崖の網をかぶせた中に、大きな蜂の巣があり、堂の裏は古代の大きな遺跡があるという。近くに鍾乳洞がある。ここを皮切りに久昌寺、長泉寺、法雲寺と4箇所を回る。法雲寺には天狗の爪や龍の骨など珍しい宝物が飾られていた。
34霊場めぐりが終わり、秩父湖を見ながら狭いトンネルを抜け、山間を登って三峰神社に参拝する。山の奥の山岳霊場で、廃仏毀釈になるまでは神仏混交の大きなお寺であった。極彩色の美しい本殿で見事であった。三峰の休み所で2階に上がって昼食をとる。芋の料理が美味しかった。
雁坂トンネルを潜って山梨に行き塩山、石和を通過して中央道に入りたちまち諏訪に到着。白樺湖を経て大門峠を下り丸子に来て、岩谷堂で朱印軸と納経帳のおたま入れ・開眼法要を厳かにして頂いて、素晴らしい揚げ物料理の夕食をご馳走になる。ゆっくり頂いて家まで送ってもらう。想い出に残る巡礼の旅であった。こんな素敵な催しを津金寺さんにして頂いてほんとに有り難い事であった。

短歌新潮秋期(岱7回〉本部歌会

2006-09-04 23:57:40 | 旅行
9月3日~4日。湯田中温泉ホテル水明館で本部歌会が有り参加する。Sさんのご主人が大屋駅まで送って下さり、大変助かった。久し振りに電車に乗った。しなの鉄道である。長野東口11時集合であったが、早めに来たので10時前だった。ホテルのバスが3台来て、俺たちは1号車に乗る。会場は滝神寿会できたことのあるホテルで、かってがわかっているといろいろと都合が良いものだ。2日間はあっという間に過ぎてしまった。
4日の夜は望月旅籠や塾で急いでいって間に合ってよかった。戦時下の写真が終わって、生活の写真へ移っていた。分担した解説原稿もそろそろ書き始めなければいけない。