浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

図書館の当番勤務

2010-11-27 23:59:01 | Weblog
11月27日(日)。昨夕畑から運んで来た野沢菜を、朝早くに荷造りをして、菜ないろ畑に持参したら、忽ち買い取られてしまった。帰宅して11時まで又野沢菜の収穫に行き、持ち帰って荷造りをして軽トラに乗せて、昼食を済ませ、池田幸雄さんの葬儀に協和のカーム白樺に駆けつける。焼香を済ませて帰宅し、着替えて今度は軽トラで菜ないろ畑に行く。バーコードをはって野沢菜を並べ、中央公民館へ急いでいく。図書館勤務をNさんから交代を依頼されていたので、勤務時間に遅れないように走って動いていた。新システムになって2回目の勤務である。今日は親子連れが多く来館し、新登録者もいて趣が大変良くなった。午後5時に勤務が終わって帰宅し、軽トラでビニールと縄をもって畑に行き妻が収穫しておいた野沢菜を自宅に運んだ。6時近かったので畑は真っ暗であった。軽トラの荷は下ろさずに乗せておいて夕食を済ませ、古文書をコピーして中央公民館へ行く。講師のH先生を迎えに行き急ぐ。古文書学習会であった。善光寺改築の御用材を佐久から千曲川へ流して運んだ記事が載っている古文書を読む。

弁当空き箱の回収

2010-11-27 06:37:47 | Weblog
11月26日(金)。朝9時までに昨日配達したお達者弁当の空き箱回収に回る。序に退公連会員宅へ退公連新聞を配達する。回収した空き箱を老人福祉センターに届け、菜ないろ畑に昨夕荷造りしておいた野沢菜を出荷する。帰宅して又野沢菜の収穫をする。午後荷作りして菜ないろ畑に行ったら、山のようになっていた野沢菜が全部売約済みとなっていた。
 夜印遊会で篆刻の学習があり参加した。参加者は先生と生徒が4人であった。9時を過ぎて終わる。

インフルエンザ予防接種

2010-11-27 06:13:45 | Weblog
11月25日(木)。晴れ。
 朝6時にY医院へ診察申し込み記入に行ったらもう14番であった。昨日収穫しておいた野沢菜を菜ないろ畑に出荷してから医院へ行き、診察と注射をしてもらう。血圧は159と80であった。そのあと有線本部に行き12月の子どもの詩の話を録音し、佐久退教の便りを町内の会員宅へ配る。11時にお達者弁当の配達があるので、10分前に郵便局で年金者組合への送金を終わり社協事務局に行く。弁当配達は上房・山部・牛鹿・柳沢の担当で一人暮らしの10人で有った。内三軒は留守であったが玄関内に配達して置く。他の皆さんは御元気で配達を楽しみに待っていて下さった。すべて終わって社協へ報告して帰宅したら、12時15分であった。
 午後は野沢菜の収穫をし出荷の荷作りをした。夜はHさんは英会話教室で公民館へ行く。

長い間空白を作った(毎日の主なメモ)

2010-11-25 05:38:10 | Weblog
10月29日(金)。旅の後始末。新聞整理。野菜の収穫と出荷。

10月30日(土)。町の公民館主催の研究会「立科八景の選定と文学碑巡り」の案内を依頼されていたが雨の為中止となる。12月6日の講演会準備をする。

10月31日(日)。ときめきガイドと古文書の会の主催で「塩の道巡り」を実施する。午前7時に公民館前を出発。40人参加で白馬村に行き塩の道を歩く。親不知で昼食。上越を回り、          相馬御風館・石の博物館などを見て帰る。

11月1日(月)。午前春原昭雄氏の奥さんのお葬式に旅行中で参加できなかったので弔問する。午後は徳嶽千鶴子さんの告別式に参列。

11月2日(火)。芦田宿で五無斎展を行う準備をしているので参加。教育委員会の係りと二人で検討。展示物を調べる。

11月3日(水)。川西三支部短歌会・佐久短歌を楽しむ会の両会の参加詠草を発送。旅行写真の現像コピー。

11月4日(木)。立科中学校給食室へカボチャを納入。菜ないろ畑へ水菜を収穫して出荷。

11月5日(金)。立科町文化展へ篆刻作品を出品(O会長を通じて)。講演要旨の作製。

11月6日(土)。立科町公民館主催の五無斎保科百助展講演会にて、お話バスケットの皆さんの「石を集めた五無斎先生」の紙芝居を上演してもらい、そのあと約1時間展示物についてお話をした。

11月7日(日)。孫のKH君の結婚式で二人で軽井沢へ行く。帰りに岡谷の二人も立科を回って寄って帰る。

11月8日(月)。菜ないろ畑に菜大根の間引きなどを出荷する。

11月9日(火)。午前中央公民館スズラン学級主催の映画「おとうと」を鑑賞する。午後は佐久短歌を楽しむ会の例会でM先生を迎えて参加(会場は佐久合同庁舎)し又帰りに送る。M先生の著書を戴く。

11月10日(水)。立科中学校給食室へカボチャを納入。今井荘司氏葬儀(TM氏に香典を依頼)。川西三支部短歌会にSKさんと参加。次回からIKさんも一緒に行く事を約束。(会場は春日御鹿の里コミュニテイセンター)

11月11日(木)。朝9時に長久保に行きM先生を迎えて佐久合同庁舎へ行く。10時から佐久賛助会の発表会で、短歌を楽しむ会も2回目の参加をした。発表は最初でプロジェクターを使って発表をした。会員が夫々自作の歌を読み説明を加えた。2名欠席者がいたので、その2名の歌も俺が代わって詠んで発表した。帰宅してから茂田井の山の上格子さんの葬儀に参列した。

11月12日(金)。中学校給食室へジャガイモを納入。佐久労金で虹の会のベトナム旅行の説明会があり二人で出席。帰りに八十二で米ドルに両替したり、ロン都やカインズ等による。

11月13日(土)。布施の一郎さんの七回忌法要で招待されて出席。10時集合11時自宅で法要。お経の終わったところで御墓参りをし、12時より望月のカームしらかばシエナでなほらい。

11月14日(日)。農ん喜村収穫祭で、野菜などを8時から9時に持ち込みだったので時間内に野菜を持ち込んだ。(赤蕪・水菜・小松菜・大根おろのき等)
小諸の教え子・柏木英明君の葬儀が新聞で報道されたので出席した。

11月15日(月)。水田のコンバインの輪だちが深いので穴埋めを3日間かかってやっと終わり、午後は藁チラシを行う.一日2人で作業して終わる。

11月16日(火)。中学校給食室へジャガイモを納入。水田に石灰窒素を1袋半散布して、トラックターで耕す。午前で終わる。午後同級会で役場に集合。佐久のホテル一万里へ行く。9人参加。一泊する。

11月17日(水)。同級会を終わって昼には帰宅。午後は野菜の収穫、野沢菜を菜ないろ畑に出荷をする。

11月18日(木)。中学校給食室へジャガイモを納入。山荘周辺の枯れ草や落ち葉を燃やす。野沢菜の出荷(菜ないろ畑)。

11月19日(金)。雨降りの為屋内の片付け仕事。12月の有線放送の詩を選ぶ。

11月20日(土)。立科歴史研究会の現地調査で真田氏の跡を訪ねて上田市真田地区を探訪する。19人参加。車5台で分乗して行く。9時50分集合で10時出発、午後4時半に帰る

11月21日(日)。H君・Mさんの新婚さんが旅行から帰って来て、お土産持参でお礼に来訪した。結婚式と披露宴のDVDをパソコン持参で来て映写してみせてくれる。

11月22日(月)。中学校給食室へジャガイモを納入する。裏窪の畑の枯れ草燃やしをした。綺麗に燃えて良かった。埼玉のUKさんから美味しいハムのプレゼントが届いた。

11月23日(火)。岡谷からリンゴの代金を届けてくれた。早速MDさん宅に支払いに行く。UKさんとHKさんに米を送る。KAさんにはりんごを贈る。

11月24日(水)。中学校へジャガイモを納入。STさんがお祝いにシクラメンの鉢花をプレゼントして下さった。野沢菜の収穫、菜ないろ畑に出荷。


中国「九賽溝(九賽溝・神仙池)と杭州を巡る旅」を終わって

2010-11-02 22:45:58 | Weblog
10月20日(水)。愈々旅の出発である。上田まで車で出て、H社の駐車場へ車を置かせてもらう。Mさんの車と2台である。正午を少し過ぎた頃であったが、駐車場には中央タクシーが先についていて,直ちに乗車する。駅前でSさんKさんと合流添乗員のHさんを含めて七人、後3人諏訪から参加予定だったが、一人が都合悪くなり結局諏訪の皆さんは不参加と言うことに成り、我々7人の旅となる。21日の成田発が8時55分なので、成田空港で前泊をした。ホテルは成田エアポートハウスで、ゆっくりと休めた。

10月21日(木)。ホテル発 6時20分。バスで成田空港第1ターミナルへ移動。手荷物を預け、出国手続きを済ませて搭乗。8時55分定刻に離陸、一路上海浦東を目指す。上海浦東空港には11時15分着。入国手続きをして空港内で成都便乗り換え手続きをして昼食を摂り、休憩をする。15時20分発の成都行きが2時間ほど遅れて日の暮れる頃に漸く離陸。成都のホテルには21時を過ぎてしまった。ホテルは「花園城大酒店」で大変大きなホテルであった。

10月22日(金)。午前中成都市内の観光で、最初に杜甫草堂を訪れた。「国敗れて山河あり・・・」の有名な詩の作者である。杜甫が此処で暮らしていたのであるが、誠に質素な家で回りに小さな川が流れていて、その土手は竹林であった。入り口に杜甫の若い時の姿の胸像と晩年の胸像とが、やや離れた所に据えつけられていた。売店もあって絵葉書などを売っていた。
 次に訪れたのは文殊院で生徒で一番古いお寺だという。台湾の皆さんが大勢来て居て、法事を始める所であった。拝殿を幾つもくぐって一番奥に文殊堂があり、太くて長いお線香が立てられて居た。法事の席の正面に文殊様が飾られていた。参拝客の溢れている文殊院を出て、宝石店を見学し昼食を摂る。
 成都空港を13時30分発の予定が、着便が遅れたために17時発と大変遅れたしまった。九塞溝へ着いたのは18時近くなってしまった。飛行場が海抜3600メートルの高地にあり、富士山の頂上より高い所なので、酸素が薄く呼吸が困難と成り大変であった。酸素ボンベが渡されて、其れをすいながら機内からターミナルへ移動した。空港からバスで高度の低い所の町に下り、宿について泊まる。ホテルは「九塞中旅大酒店」である。この宿に3泊する。

10月23日(土)。愈々目的地の九塞溝観光である。ホテルを8時に出てバスで神仙池へ向かう。手続きセンター入り口でバスを下り、手続きを済ませて見学専用車に乗り換えて山を登る。世界遺産の神仙池を個人が開発して経営をしているのだそうであるが、山の中に立派な道を作り、環境に配慮して自然を守りながら、素晴らしい観光地にしたものである。神仙池入り口でバスを下り、電動車に乗り換えて上り口の橋の所まで行き、其処からは歩きである。2時間コースで歩くというので足に自信の無い人は籠に乗せられていくのである。駕籠かきはお客がほしいので一生懸命である。ついにMさんはお駕籠に乗って上っていく。神仙池の最初は石灰岩に覆われた滝の流れである。氷の野原かと思われる様な光景に驚いた。さらに登るとエメラルドグリーンの棚田が幾重にも重なっている池登りを楽しんだ。
 夜は劇場へ行き、民俗劇の鑑賞をした。これも大変素晴らしかった。

10月24日(日)。終日九賽溝見学をした。先ず入り口にタクシーで行き、専用車に乗って海抜3103メートルにある長海に行き、其処から歩いて池巡りをした。五彩池の食堂で昼食を摂り、パンダ海までバスで行き、パンダの住んでいたと言うところを見る。樹正瀑布を見ながら下に下る。樹正群海を歩いて火花海まで歩き、其処からバスで帰ってきた。ホテルに戻る前に茶屋に入り、ウーロン茶の飲み方を聞き、美味しいお茶を求めた。

10月25日(月)。半日九塞溝の観光をした。専用バスで五花海まで行き、下車して珍珠灘の滝を眺めながら歩いて下る。階段を下ると珍珠瀑布が広い川幅一杯に落ちていて見事であった。緒日朗布までの木道を下る。落ち葉を掃いて歩きやすくしている清掃人が、ところどころに作業をしていて道が大変綺麗だった。木々の間を流れ落ちる瀑布の上を木道で渡って、バス道路に出て送迎車で帰る。九賽溝空港の麓に新しい町が建設されていて、その規模の大きな様子に驚いた。広い食堂に入り昼食を摂り、宝石店を見学した。Sさんの狙っていたネックレスもあり。沢山買っていた。空港では着便が遅れて又大変待たされ15時10分発が17時となる。成都に着いたのは18時を過ぎていた。

10月26日(火)。朝8時半にホテルを出発。パンダ保護研究センターに行き、園内を電動車で1周氏、途中ところどころ歩いてパンダの生活を見て歩いた。研究センターの屋内では、パンダの産院がありパンダの赤ちゃんが五頭並んでミルクを飲んでいる所も見た。一日に餌の笹を1頭で30キロも必要であると聴いて驚いた。園内の山林には何頭も自由に活動していた。
 次に訪れたのは文化街である綺麗に整備された街並みは正に文化街であった。商店も並んでいるが上品な店ばかりである。展覧会場を歩いている気分であった。そのあと校外の黄龍古鎮を回って市内に戻り、成都空港に行く。19時35分発の飛行機で杭州に行く。21時45分杭州空港に到着。ラマダホテルに向かう。

10月27日(水)。杭州観光をする。杭州は温かい処である。市内を参観しながら西湖へ行く。遊覧船で西湖を一周して湖上の賑わいを見る。船上から見えた大きな塔のある寺に上った。霊隠寺の六和塔である。塔の下に立つと人が小さく見える。塔に灯りがつくと湖の灯台の役も果たしていたと言う。そのあと花港観魚公園を巡り、茶畑の広がる茶博物館に行く。見学の後茶を入れて頂き茶器を買う。
 杭州駅に行き昨日開通したという新幹線で上海に行く。綺麗な列車で時速350キロを出して走る。僅か50分足らずで上海に着いた。町の食堂で夕食を摂り、買い物を楽しんでホテルに向かう。ホテルは南部大酒店。

10月28日(木)。朝6時40分、ホテルを出て空港に向かう。上海浦東空港を9時55分に出発、成田へ13時50分着。入国手続きをして迎えの中央タクシーに乗る。道が渋滞してなかなかスムーズに動けず上田に着いたのは午後10時を過ぎてしまった。9日間の旅も無事にすんで何よりだった。旅の友と再会を約して解散した。