浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

一万里で同級会

2013-03-30 07:53:02 | Weblog
3月28日(木)~29日(金)。晴れ。暖かな2日間であった。
 朝6時40分にIM君から電話があり、今日の同級会に参加できなくなってしまったという。早速YY君に連絡してホテルへ1名減の連絡をしてもらう。都合つかなくなってしまったのは致し方ない。参加者が12名となった。送迎車は町役場前まで来るので、大屋のT君は私が迎えに行く。約束の時間に行ったが駅前に姿が見えない。困ったなと思ってしばらく待っていたら、街の店先に姿が見えたので合図を送り車の所に来てもらう。大急ぎで役場に向かい、出発時刻に漸く間に合って良かった。早々ホテルに着いてゆっくりと歓談しながらお茶を飲み、お風呂に入って休息した。夜の宴会はカラオケを楽しみながら延々3時間。9時のホタルの光を聞いてから部屋に戻り、入浴をして休んだ。
 2日目は、やはり風呂に入る事から始まった。バイキングでゆっくりと朝食を済ませ、10時まで部屋で歓談し会計を済ませて1回の食事どころでテレビを見ながらお茶を飲み、好みの昼食を摂ってから、ロビーで記念写真を撮り、1時発でバスに乗る。野沢のピンころ地蔵を参拝し、みんながたい焼きを買い求めると言うので、注文数を聞いてあらかじめ店に注文したが、数が多いので焼きあがるまでに時間がかかり、予定の出発時刻を遅らせてしまった。しかしみんな満足して帰ることが出来た。
 帰宅してから畑で竹細工のくずを燃やしていたら、友人のMさんが権現の湯の優待券を持って来てくれた。早速夜は2人で権現の湯に行き、夕食を戴いて風呂に入ってゆっくり休んできた。風呂では知人に大勢会い挨拶を交わした。

読みやすくなった長野県退公連会報(45号)

2013-03-27 19:57:51 | Weblog
3月27日(水)。朝の気温1℃。晴れ。
 午前10時から佐久教育会館で、北佐久退公連の理事会があり出席した。家を9時に出て行くのはなかなか忙しい。受付に並んで番になって見たら名簿も旅費も川西の分だけが用意してなかった。開会されて支部長の挨拶は大変的を射ていて適切であった。審議内容も明確であったが、退職者名簿などはあらかじめ用意されていれば良かったと思われる。米寿について今年度は昨年度の早生まれの方々を加えて多くなっている。これは昨年度の総会前の理事会で修正動議を出して決まった事であり、私の地区では対象者が2名いる。このかたがたは本来なら昨年の受賞対象者である。一年遅れての賀詞でさぞやご不満ではなかろうかと心配である。全員配布となる長野県退公連会報の45号が配布されたので目を通して見たら、今までの会報と違って大変親しみが持て、読みやすい内容であった。今後益々楽しい内容に改善して欲しいと思った。
 帰りに佐久で買い物をして帰宅した。その後明日の同級会の持ち込み食品を買いに行き、飲み物やおつまみ、茶菓子などを仕入れて来た。後木彫りをして夜を迎えた。

滝神寿会総会と古文書学習会

2013-03-26 19:46:09 | Weblog
3月26日(火)。朝の気温ー2℃。晴れ。風が冷たい日であった。
 滝神寿会(老人クラブ)の総会が午前から昼食をはさんで開催された。JA佐久浅間が滝神にある西部支所を後3年後に廃止すると言う方針を打ち出した。それに対して絶対反対で申し入れをすることに全員の賛成で決議した。老人は益々不便になることに我慢できないと言う事である。先に購買部が廃止され、次にATMが廃止となり、いよいよ金融や共済業務の全ての活動を廃止する事になれば、不便この上ない事になる。若草保育園もいよいよ四月から統合で廃園となり、小・中学校も統合で無くなってしまったので、廃屋だらけである。西部支所の存続はなんとしても通してもらいたいものだ。昼食会は女姓部役員の手料理を加えて豪華であった。
 午後は古文書学習会で中央公民館へ行った。読み易い文書でテキストの半分が済んでしまった。次のテキストを又見付けなければいけない事になった。
 夕方帰宅してから木彫りをした。夜は明日の退公連理事会に持って行く資料を作った。

笠取峠の茶屋『小松屋』の遺物検分

2013-03-25 20:48:39 | Weblog
3月25日(月)。朝の気温2℃。曇り時々晴れ。
 笠取峠に昔あった峠の茶屋の小松屋は、車社会になって中山道を広げる時、頂上を掘り割って道も下げたので、茶屋を撤去して住まいをやや下がった所に移転し、其処に分家を出して2軒で住んでおられた。しかし更に道路を改良する事に成り、2軒の住まいも約30年ほど前に取り壊されて、皆さんそれぞれ他出され無住となってしまった。そのとき家の中に保存されていた家具や書類関係が処分される事に成り、全てのものを役場に保管してもらう事になって、権現山の太鼓道場の倉庫に入れられていた。茶屋の子孫の方も大事なものはお持ちになられているので、後は処分してもよいと言われている。町の文化財担当のY職員が、何時までもこのままと言うわけに行かないので、立ち会って検分して欲しいという申し入れがあり、朝から現場に行って、三人で調べた。大きな段ボール箱にいくつも入れられて、積み上げられていて大量に有った。看板は教育委員会で保管しているとの事である。古文書や私的文書が沢山あり、写真も若干残っていた。半日やそこらで片付くものではないので、後は文化財関係者で見てもらうことにして、午前だけで切り上げてきた。午後商工会主催の講演会があったが、籠作りが忙しかったので講演会は失礼した。
 夜はおはぎを作った。

大きなお話会と長野山宣会総会

2013-03-25 07:46:16 | Weblog
3月24日(日)。朝の気温1℃。晴れ。
 今日は一日忙しかった。9時に公民館集合だったので、8時半に家を出た。公民館はもうお話会の飾り付けもしてあった。発表会の打ち合わせをして、発表練習をした。結婚室の広い部屋でやっている所に小学5年生も入ってきて、大きな声で練習を始めた。大変賑やかである。10時に開会。開会式の後5年2組の発表が始まった。詩や名文の暗唱朗読を体の動きを生かした表現で、とても素晴らしい発表であった。次は「こぶとりじいさんのお話を劇と映写で大きなお話会の代表者の発表であった。
なかなか凝った演出で楽しかった。ミュージックシアター「はらぺこあおむし」などは幼児を対象に、分かれて視聴覚室でお話バスケットの皆さんが1時間発表した。大会議室では、引き続いて創作紙芝居「青木原のお稲荷さん」をお話バスケットの皆さんが演じ、続いてふれあい読書の私たちが大型絵本の「半日村」と群読を発表した。発表会の後閉会式を行い、後片付けをして昼食会を開いた。私は引き続いて上田に移動する為に先に失礼した。
 午後1時半から長野山宣会の総会が別所で開かれたので、急いで駆けつけた。さいわい1時10分に会場についてゆっくりであった。会場が温泉センターの3階で、Hさんに出会わなかったら恐らく何処だか分からなかったと思われ、Hさんの姿を見つけてほんとに助かった。総会の後講演会があり、青木村歴史文化資料館館長で「栗林一石路を語る会」の会長の、桜田義文さんが、「栗林一石路をささえた人たち・斉藤たけじと横関愛造」と題してお話された。その内容は『私は何をしたかー栗林一石路の真実』(信濃毎日新聞社刊)の著書に詳しく書かれている。