浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

大型紙芝居「石を集めた五無斎先生」の原稿

2010-02-28 20:56:36 | Weblog
2月28日(日)。朝の気温0℃。雨が雪に変わり後晴れ。
 納税申告の準備をはじめ医療費の集計をした。
 午前11時からのんき亭でボランティアふれあいクラブの新年会が開催されて参加した。会員の殆どが出席し20人ほど集まった。昼食はバイキングで戴いた。乾杯の音頭を依頼されて挨拶を述べ開宴とした。午後は中央公民館の図書当番だったので、宴半ばで失礼して公民館へ行く。館内は少年スポーツクラブの25周年記念祝賀会で大変賑わっていた。
 午後4時に、お話バスケットのKTさんとTYさんのお二人が来室されて、大型紙芝居の第3作目の「石を集めた五無斎先生」について、書き上げたお話原稿と書いていただいた絵を持参された。そこで三人で一こまずつのお話を検討した。お二人が交代で朗読して下さり、一言一句を吟味して推敲しお話を仕上げた。原稿が大変素晴らしい構想で、興味をもってもらえるように上手に書かれていて感心した。修正する所もあまり無く、石を集める所に集中していてすじがよく通っていた。もう間もなく絵も完成するので出来上がるのが大変楽しみだ。
 今日は御代田の萩原さんが新刊本を11冊持参されて、図書室に寄贈された。メモ書きしてカウンターに置いて来たが、明日また司書のHKさんに連絡して置こうと思う。

可愛い訪問者

2010-02-27 21:03:38 | Weblog
2月27日(土)。朝の気温8℃。曇り後晴れ。
 異状な暖かさである。まるで4月のようだ。
 同級会の案内状を作成し、みんなに一言書き添えて21通の往復葉書を投函した。
 そのあとY医院へ行き、診察してもらって処方箋をもらう。血圧は132と73で最近に無く正常であった。医者も聴診器を当てて驚くほど心音も良かった。薬局でお薬手帳に薬品名を添付してもらって帰宅。12時半であった。昼食を摂っていたら小学3年生のYKちゃんから電話があり、遊びに行ってもいいですかと言う。そこで来ていいよと返事をしておいた。
 午後1時にYKちゃんが立科町史の歴史編をもってやってきた。中村1号古墳について調べていると言って、色々質問をして来た。写真を見ながら出土品などについても話してあげた。町内で発見されているその他の古墳についても地図を調べながら話す。小学校3年生とは思えないほどの理解力があって感心した。そのあと家に帰ってお母さんのYYさんや幼い妹さん2人と一緒に4人で来て、町の歴史などについて話す。夕方までお茶を飲みながら遊んでいった。夜また4人で来訪。みんなで作った餃子を食べて下さいと一パックいただいてしまった。まだ温かくて美味しかった。可愛い訪問者で楽しかった。

篆刻「疎梅鎖春」を書く

2010-02-27 14:17:18 | Weblog
2月26日(金)。朝の気温8℃。曇り後雨。
 有線放送3月の子どもの詩の話の原稿をPCで作り印刷した。録音は来週にすることにした。夕方Tさんが川崎に用事が出来て新幹線で行きたいというので、佐久平駅まで送る。
 夜印遊会で中央公民館へ行く。今回選んだ文字が「疎梅鎖春」の4文字である。この意味は「梅の花がまだまばらにしか咲いていない。春がまだあさい。」と言うことで今日は文字を書いて墨入れをした。次回から彫り始めたいと思う。

歴史講座「混迷する政治・社会情勢」

2010-02-25 22:09:32 | Weblog
2月25日(木)。朝の気温ー4℃。晴れ。
 故両角国光さんのお悔やみに全員で午前6時にお宅にお伺いした。7時45分に出棺だったので近所やくるわの皆さんでお見送りをした。喪主の孝徳さんがお礼の挨拶をされて焼き場に出発された。忌中に招待されお手伝いをする皆さんは10時半公民館前発車の送迎車に乗ってカームしらかばに行く。お手伝いは受付であった。会葬者は約200人ほどであった。灰寄席の忌中の座席は3時半に終わり送ってもらう。
 夜は望月歴史講座で参加した。駒の里センターで木内先生の日本史講座を受けた。今日のテーマは「混迷する政治・社会情勢」で平成12年から平成21年までの10年間の動きを学んだ。
 次会は自分の歴史を年表に書き込んで自分史作りをすることに成った。

「地域主導のビジネスの勧め」

2010-02-25 21:33:21 | Weblog
2月24日(水)。朝の気温ー4℃。晴れ。
 立科町商工会とまちづくり協議会ユーユーたてしなの主催の講演会があり参加した。老人福祉センターを会場に、テーマは「地域主導のビジネスの勧め」として、講師は長野大学地域連携センター長で長野大学環境ツーリズム学部教授の三田育雄先生にお願いした。スライドを使って視覚からも分かるように話されて、大変興味ある内容の話であった。昨今の経済の動向から話をはじめた。我が国の地域政策を戦後の流れから政策の総括をして兎に角地方が自主的に主導していく地域性は行われなかったとして、その中において地域主導のビジネスで活況を呈している事例を挙げて詳しく紹介された。大分県日田市の山村から都市に打って出る実践は「梅栗植えてハワイに行こう」と言う高収入の事例や、群馬県の川場村の道の駅中心に活性化する実例など立科でも取り組めることの出来る話であった。大変良い参考になる講演会であった。