7月31日(日)。朝の気温19℃。晴れたり曇ったり。
涼しい一日であった。青紫蘇、赤紫蘇を収穫して出荷。
小諸市大久保の柳沢巖さんの名前を新聞のお悔やみ欄で見かけ、告別式が今日行なわれると言うので参加した。喪主の敏宏君は50年前に担任した生徒である。小学校に入学したばかりの可愛い子どもさんであったが、別れて以来始めて拝見したら見違えるほどであった。幼い頃の名残は少しも分からない。お母さんも随分ふけて椅子にかけられていたが、私を分からなかったようである。母親学級やいなほグループで活躍されておられた頃の面影も見えなかった。巖さんは大正10年生まれなので90歳になられている。昨年までは車で方々飛び回っていたという。しっかりしたお方であったから、もっと長生きをするだろうと思われていたらしい。家族に愛されていたおとうさんなので幸せな一生であった事だろう。ご冥福をお祈りしたい。合掌。
夕方前栽畑の草刈をして、一通り綺麗に刈り終わることが出来た。
涼しい一日であった。青紫蘇、赤紫蘇を収穫して出荷。
小諸市大久保の柳沢巖さんの名前を新聞のお悔やみ欄で見かけ、告別式が今日行なわれると言うので参加した。喪主の敏宏君は50年前に担任した生徒である。小学校に入学したばかりの可愛い子どもさんであったが、別れて以来始めて拝見したら見違えるほどであった。幼い頃の名残は少しも分からない。お母さんも随分ふけて椅子にかけられていたが、私を分からなかったようである。母親学級やいなほグループで活躍されておられた頃の面影も見えなかった。巖さんは大正10年生まれなので90歳になられている。昨年までは車で方々飛び回っていたという。しっかりしたお方であったから、もっと長生きをするだろうと思われていたらしい。家族に愛されていたおとうさんなので幸せな一生であった事だろう。ご冥福をお祈りしたい。合掌。
夕方前栽畑の草刈をして、一通り綺麗に刈り終わることが出来た。