浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

ジョン万次郎の孫来訪

2009-12-30 23:14:23 | Weblog
12月30日(水)。朝の気温ー5℃。晴れ後曇り夜雪降り。
 午前11時ごろにジョン万次郎の孫で戦友の、NIさんが来訪すると言う電話だったので、昨日用意して置いた米を玄関に並べ、味の会にお願いしておいた餅を奥から出して、差し上げるリンゴと並べておいた。其処へ今諏訪大社にいると言う電話があり、丁度正午に息子さんに送ってもらって来訪した。お昼ご飯を出したが、彼はお腹がすいていないと言って箸を付けず、息子さんのみ食べて下さった。2時間半近く滞在している間中、いろいろの話題を話し続けていた。
 彼の帰った後、加沢へりんごをいただいたお礼にビール券とお酒にカステラを持参して差し上げ、あがるように進められたが仕事の都合でよらしてもらわないで帰った。

ボランティアでお節料理の配達

2009-12-29 22:37:12 | Weblog
12月29日(火)。朝の気温ー2℃。晴れ。
 朝7時半に出発で、上田へ散髪に行く。
 帰宅して郵便局へ追加分の年賀状50枚を投函し、Y医院へ行く。沢山患者がいたけれど、割合スムーズに診察の順番が回ってきて、処方箋も出してもらい、薬を戴いて帰る。
 米を2袋精米してきて、10キロ袋に5個入れて、後は米びつにあける。
 午後はボランティアでお節料理の配達をした。担当は上房・真蒲・日向・滝神であった。
 夕方前栽畑の牛蒡を掘った。波板を使った栽培は成功した。掘り易い上に良い牛蒡ができていた。

北御牧味の会

2009-12-29 22:06:26 | Weblog
12月28日(月)。朝の気温ー3℃。晴れ。
 先日電話でお願いしておいたお餅を、北御牧味の会の代表であるSさんの家に行き、出来上がったお持ちを戴く。大阪の戦友(ジョン万次郎の孫)が、30日に持ちにくると言うので、仕上げていただいたお餅である。9キロ搗いて頂いたので、ずしりと重い。白い餅だけでなく、豆餅や、黍餅の黄色い色の綺麗な餅も混ぜて搗いて戴いて、大変良かった。Nさんもきっと大喜びをしてくれることだろう。
 北御牧から帰って来て、郵便局に行き、仕上げた年賀状700枚を預けた。そして、不足の50枚を買って帰る。
 早昼を済ませて、芦田の中村道夫さんの葬式に行く。望月のカームしらかばで行われたのでご焼香に行く。NMさんもご親族なので会葬者の席に居られた。道夫さんはまだ72歳でこれからの人生であるのに、本とに残念である。
 夕方Hさんを迎えに佐久平駅に行く。帰りに中込で夕食を済ませて帰る。
 夜、消防団の夜警の皆さんが各戸の戸締り診断に回ってきた。ポストに入れられた診断カードは全て大変良かった。

年賀状を書く

2009-12-29 21:45:30 | Weblog
12月27日(日)朝の気温ー2℃。曇り時々小雨。
 今日は終日年賀状に取り組む。
 宛名書きを700枚完了。後50枚ほど足りないので明日買って来て続きを書くことにする。今年は失敗が無くてよかった。右肩と首筋が痛くなってしまった。

年賀状の作成

2009-12-27 06:19:39 | Weblog
12月26日(土)。朝の気温ー2℃。晴れ。風強し。
 今日は終日パソコンに向かう。
 賀状に使う写真の選定から始め、203高地の頂上で乃木希典が命名した「爾霊山」の記念碑前で撮影した写真を使うことにした。日露戦争で旅順を攻撃する際に、港を守っていたロシアの要塞の有った難攻不落と言われた203高地を、大きな犠牲を払いながら、乃木将軍の率いる日本軍が1904年9月19日から12月5日までの間、闘い続けて激戦を展開し日本軍の犠牲者は1万余人、ロシア軍は5000余人の死傷者を出した。乃木希典の次男もこの直ぐそばで戦死し記念碑が建っていた。海抜が203メートルだったことから203高地と呼ばれていたが、その読みを当てはめて「爾霊山」と名付け、戦いに使われた砲丸や薬莢を拾い集めて、戦後日本で鋳造し大砲の砲丸型に作って戦死者の慰霊と記念にこの頂上に建てたものである。当時禿山だったところであるが、今は松を植林し森林公園となっている。
 賀状のあいさつ文を書き、印刷にかかった。700枚の印刷が裏だけで真夜中の1時に成ってしまった。明日は表書きをしなければならない。
 夜約束の短歌勉強にYKさんが来訪。午後8時に帰った。
 山部のHNさんの奥さんがお嬢さんに車に乗せて頂いて来訪。お歳暮を届けていただく。此方から差し上げなければいけないのに、恐縮してしまう。上田のOHさんがわざわざ来訪し、自著の研究書と酒粕のプレゼントをして下さった。TNさんがカレンダーを持参して下さった。