浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

3月の立科の子どもの詩

2011-02-28 20:33:54 | Weblog
2月28日(月)。朝の気温2℃。雨。
 今日で2月が終わりである。早いものだ。3月といえば桃の節句。もう春である。有線放送の3月の子どもの詩の話をまとめなくてはいけない。今日はその原稿を書き上げてPCで印刷をした。明日か明後日録音しなければ3~4日は留守となるので駄目である。なんとか都合をつけたいものだ。

78周年「二・四事件」上田集会参加

2011-02-28 07:13:52 | Weblog
2月27日(日)。朝の気温2℃。晴れ。温かい日となる。
 短歌新潮春期本部歌会の詠草が送られてきた。出詠者は104人である。選歌をしておかなければ後で日程が取れないので、午前中にその仕事を済ませる。104首の中から10首を選び選歌表に書き出した。
 午後は上田図書館を会場にして開催された「78周年『二・四事件』上田集会」に参加した。主催は実行委員会を構成する県教組・高教組・私教連・国賠同盟長野県本部で、共催が上田小県近現代史研究会で全県から120名の出席があったと発表された。1時30分から5時までじっくと中味の濃い話しを聞くことが出来た。報告は4人からなされ、資料も豊富で大変参考になるものである。短い時間で話しきれない部分が多くもったいないように思った。報告された順に上げると次の通りである。
 ①「二・四事件」と上小地域ー特徴と課題ー・・・・・小平千文(上田小県近現代史研究会)
   事件の正しい捉え方を問題提起された。即ち呼称が従来「長野県教員赤化事件」と呼ばれて来たが、上小では労農者がほとんどで教員は僅かであった。したがって本質は「改悪治安維   持法による社会運動全体を封殺する意図をもった意図的・組織的な検挙事件」である。上小地域における特徴的な動きが報告され今後に生かせる内容として参考になった。
 ②上小地域における労農運動ー高倉テルとの関係を中心にして・・・・・平林茂衛(長野山宣会会長)
   高倉テルが果たした功績をめぐって、手紙や論文など豊かな資料を基にされての話であった。無産者診療所設立(昭和7年)の訴え文書・農民組合情報紙・著書目次などの参考資料を   もとに話され、特に生き証人としての想い出話が大変興味があった。
 ③上田市「新自由主義的教育改革」と教育現場・市民の取り組み・・・・・中村和幸(川西小学校教諭・県教組上小支部副執行委員長)
   学校選択性・教育バウチャー制とそのための学校評価・教員評価を上田市に導入しようと言う動きと、「上田市教育行政のあり方を考える有識者会議」の立ち上げをいち早くキャッチ   して反対派の委員を送り込み、委員会の度に傍聴者を増やし、市民運動を盛り上げて導入を押し返した経過と運動の成果をまとめての報告で、大変ために成った。なほ「上田市の教育   を考える会」では色々の取り組みをし毎月1回研究会を継続していると言う。また2011年5月28日には「アンダンテ~稲の旋律~」(激しい競争の中で引きこもりになった主人   公が、農業青年と関わる中で、立ち直っていく姿を映画化した実際の物語)の上映を計画していると言う。都合をつけて鑑賞出来るといいが。
 ④上小地域「二・四事件」から継承・発展すべき課題を探る。・・・・・村山 隆(里山保全「ヤマンバの会」事務局長)
   自分史に関わる話から入り、「二・四事件」に関与した叔父のことから、映画「草の実」制作に協力した事、事件名は「二・四農民運動弾圧事件」と言えるとし、今もなお残る地域社   会のアカ攻撃は軽視も無視も出来ない重要問題であると提案された。なほ何を学ぶかを10項目にまとめられて同感である。今後の課題を分かりやすく分析されたことは有り難い事で   ある。
 四人の報告の後質疑討論があり感想を述べて終わりと成った。 

屋代の県立歴史館のSさんが研究の為に来訪

2011-02-27 08:10:13 | Weblog
2月26日(金)。朝の気温ー5℃。晴れ。
 1月29日に県立歴史館で「信州ふれあい歴史講座」があり、「教育の昭和史を歩く」と題してS先生の講演があったので聞きに行った。初めてお目にかかったのであるが、生活綴方を取り上げて研究されていて、大変興味を持ち話しかけてみた。生活綴方一筋に生きてきた一人としてSさんのような研究者が現れたことは嬉しい事である。前から上田のT先生に私のことを聞いておられたといい、是非時間をとって話を聴きたいと申され、漸く本日時間が取れたのでお伺いしたと言って来訪された。そこでじっくり生い立ちからお話し、作文教育にのめりこんでいった経過を資料を基に話した。ガリ版印刷の当時の文集なども持ち出して、文集コンクールに入選した事や、「全国学校文集」に県下で戦前戦後を通じて4冊選ばれた中に「すずかけのき」が取り上げられて文集そのまま編集されている本を見てもらったりした。又岩波の『世界』誌に教え子の作品が載っているのを見てもらう。凶作の時の作文や詩が沢山掲載されているもので、総合雑誌に児童作品がこんなに掲載されたのは珍しい事であった。これは国分さんの推薦によるものと思う。兎に角「やまびこ学校」以来の取材であった。
 先日差し上げた『萌え出る芽』は貴重本で探したが見つからなかったといい、大変喜ばれていた。『村山俊太郎著作集』も『作文と教育』もとても良い資料で有り難かったと言う。『生活学校』の目次を調べられてきて見せてくれたので、家に『生活学校』全巻がそろっていると言ったらびっくりされていた。是非見せてもらいたいと言うので奥から出して来て見てもらう。俺にはもうすべてみて調べる事もかなわないと思うから差し上げる事にして、帰られるときに差し上げた。「新興教育」全巻は手元に残しておいた。Kさんの調べた歴史資料もコピーして渡した。又の来訪を約束して夕方帰られた。
 夜は古文書学習会で中央公民館へ出掛けた。

竹の切り出しと米の発送

2011-02-25 21:42:30 | Weblog
2月25日(金)。浅野気温ー4℃。曇り夕方小雨。風が凄く強かった。
 午前神明沢の竹薮に行って、竹細工用の竹を切り出した。雪は日陰を除いて消えていたので、作業はしやすかった。竹の切り出しは1月が一番良いのであるが、2月ぐらいまでは未だ水を吸い上げないので竹細工には使えると思う。その他に使用するものはいつでも構わないので、3月になってから倒れている竹の始末をしなければ成らない。
 竹出しが終わったら11時だったので、コイン精米に行って3袋精米をした。東京からの注文を受けたので、三軒に宛てて3箱発送した。重いものを扱ったので大変疲れた。宅配の帰りに郵便局により振り替え送金を2件行い、スーパーで食料を買って帰宅した。
 夜中央公民館へ篆刻の会で行く。久しぶりに彫りの仕事をした。2階の大会議室ではコーラスの練習をしていたが参加できなかった。Mさんが参加して楽譜を貰ってきて下さった。3月6日に発表会があるので正装で参加して欲しいとのことである。

「商社マンは今日も踊る」でデビュー

2011-02-25 04:52:56 | Weblog
2月24日(木)。朝の気温ー2℃。晴れ。
 春日の大井みどりさんが亡くなられて、今日のお葬式であった。川西葬祭で告別式が行われたので、ご焼香に参列した。同級生のみどりさんにも来て頂いていたのでお別れに行った。丁度TYさんのお父さんと一緒に成り、参列の先頭でY君のことなどを話しているところに、ODさんのお母さんが現れて、肩をたたかれ挨拶を交わした。ほんとに久しぶりであった。1年前D君が銀行マンを止めて漫画家に成り、昨年の6月から「週刊漫画サンデー」に連載を始めたのを、記念に1冊届けて下さって以来である。葬式から帰宅して「信濃子ども詩集」の創刊号から56集までを整理していたら、OTさんからFAXが届いた。其れも漫画の2枚続きの文書である。楽しいお便りを読んでいると、D君が愈々漫画の単行本を出版すると言うお知らせがあった。3月1日発売と言う。「商社マンは今日も踊る」でデビューしたD君の漫画である。きっと楽しいお話だろう。大いに期待している。