緑のカーテンのある暮らし

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陸前高田を訪れて

2013-06-09 14:08:33 | 感じたこと、思ったこと

今回私は、震災以来初めて被災地を訪れました。

車での移動中に、あちらこちらで津波の爪あとに出会いました。

防波堤の一部だけが残っている小さな港。

 

こんなに大きく厚いコンクリートが引きちぎられるなんて・・・

 

漁火パーク仮設住宅での作業を終えた後、

津波被害のひどかった地域を案内していただきました。

陸前高田市の気仙中学校。

3階建ての校舎を飲み込む勢いで、津波が通り抜けていきました。

なんとか校名を読み取ることができます。

バリバリに割れた窓ガラス。

地震の直前まで、この場所には

子どもたちの話し声や笑顔があふれていたはずです。

どんなに恐ろしかっただろう、どんなに悲しかっただろう。

学校のこんな姿に、胸が締め付けられる思いでした。

 

ふと遠くに目をやると、水位調整門と奇跡の一本松の姿が。

がらんと広い場所に一本だけ立つその姿。

このときはまだ、樹形の調整を待っているところでした。

 

気仙中学校の横には、瓦礫の山が。

積み重ねられた瓦礫に土を盛ったこのような山が

たくさん作られています。

きれいに整えられた瓦礫の山の真ん中あたりに・・・・・

たくましく葉を伸ばしている植物が。

なんだか胸を打たれました。

 

気仙大橋。

橋脚を残すのみで流されてしまったこの橋は、

2011年の7月にすぐ横に新しく開通しました。

新しい橋の向こう側に、古い橋脚が見えます。

 

ニュースで何度も目にした共同住宅。

津波は4階の高さまで襲いかかりました。

 

4階と5階と、はっきりと違いがわかります。

ここにお住まいだった方々は、屋上に避難なさったのでしょうか。

 

瓦礫の山を背景に、ぽつんと建つ集合住宅。

周りを見回しても、そこにあるのは瓦礫の山と、

がらんとした更地だけ。

 

今は解体されて、門と瓦礫だけが残っている高田病院

この病院の屋上で、職員の方々が「SOS」の合図を

送っていらしたのを思い出しました。

今は場所を移して診療を行っているそうです。

 

道の駅「高田松原」。

かつては多くの方が訪れたこの道の駅。

旅の思い出にたくさんのお土産を購入した場所も、

今はその形をとどめているだけです。

写真の右にある標識。

「津波浸水区域 前方3130m 後方1420m」

言葉もありません。 

 

白い砂浜に青々とした松原。

多くの人に愛された風景、

たくさんの人の生活が営まれていたこの地に立つと、

津波の威力と失われたものの大きさをひしひしと感じました。

 

 

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