ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

昨日はどうなるかと思ったけれど

2010-06-17 23:13:58 | カトリックの信仰
 日記ですから、他の人が読んでも何のことやらろ思うでしょうが…

 昨日は、売り言葉に買い言葉、言い出したら止まらない、説明をしようにもなかなか聞いて下さらない、説明も分かっている人には分かるだろうけれど初めての人には分からないだろう論理もあったり…どうなることかと思ったし、言葉で傷つき、態度で傷つき、誰もが痛みを感じながら夜を迎えたのだろうと思った。

 で、仲間が「気分を害して本当に申し訳ない」と謝っている時に、きつい言葉を浴びている時に隣りにいて、なぜ一緒に謝らなかったのだろうとそのことが一番咎められることだし、申し訳ないことだったと思ったので、今朝お目にかかって一番に謝りました。

 Aさんもやはり家に戻ってから色々と思いあぐねたそうです。単純にこう言えば良かったのだなと思いました、とすっきりしておられ、お互いにコミュニケーションをとりながら対応したことでスタッフ間の信頼は壊れることもなかったし、学んだことも一杯だったようなこの一件、真剣に取り組んだことをもう深刻に受け取ることもないなと思いますので、あとは助け主の風任せにすることとして供しなくてはならない仕事に専念しました。

 人は自分の思い描いていたことと違う展開になると大なり小なりパニックになる生き物だなぁとつくづく思う。それが高じるとなんで?どうして?どこに向かってだか分からない不安感や恐れを抱いて落ちつかなるなるようだ。冷静になれば、複雑にしていたのは自分の感情のコントロールが利かなくなっていたことに気付き、シンプルな解決に行きつくような気がする。人は人と違うから素晴らしい、だから面白いと思っているのに…なかなか。でも、人智を超える思いもよらぬ神の介入は、いつも新しく、魅力的な展開をうんでいくことに希望と信頼を持ち続けること、何とかできそうな今宵。

 分かりあうには、語ること、受け入れること、とても大切。