ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

一緒に謝ることをなんでしなかったのだろうか

2010-06-16 23:54:21 | カトリックの信仰
 今日仕事で、こちらの対応で受講したいというご夫妻の気分を害してしまった。先週の土曜日に電話対応をしたのは私、数回やり取りをして、講座のことをもっと分かっている先輩のAさんに確認をしながら説明して今日お二人で見えたのに、結局きちんとお伝えできていなかったのだと思う。

 窓口でどうして?なんで?きちんとした理由は?という相手にAさんが精神誠意、言葉を尽くして対応して下さった。内容は私がお伝えしてあったことが間違っていた訳ではないのだが、興奮されたご夫妻は「気分を悪くしたのではない。でも納得いかないから帰る」と言われて、「気分を害されたことは私の対応が悪かったのですから謝ります」「なんであなたに謝られなくちゃいけないの!」「私の責任ですから…」「あなたはどんな立場でいらっしゃるの?責任というのは責任あるものがとるものです!!」・・・そんなやり取りを、どう収めたらいいのか手をこまねいているしかできなかった。

 結局、今日の講座をご夫婦に紹介した講師がみえて「折角来たのだから、体験したらいい」ということで、ご夫妻は受講された。これからどうするかはゆっくりと考えて頂くことになったが、講座そのものはとても気に入ってくださった。そのことだけでも今日のところは良かったと思うけれど…。

 思いめぐらしながら、どうしてあの時一緒に謝らなかったのだろう、ということ。スタッフの仲間としては失格だなぁと思う。明日もAさんと一緒。きちんと謝ろうと思う。勿論、私も申し訳ございません、と何度も言っていたような気がする。でも、気持ちの高ぶった方々の矛先はAさんだった。本当に傷ついたことだと申し訳なく思っている。今日もそんなことがあってから、話はしたけれど、やっぱりちゃんともう一度、今感じていることを伝えたい。私の至らなさのフォローをしてくださったのに、一杯傷つく言葉を引き受けて下さって本当にありがとうを、そしてごめんなさいを。

 いい大人が何しているんでしょ。情けなくなります、自分に。