面白き 事も無き世を 面白く
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「天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命」

2011年12月05日 | 映画
作家であり、活動家である見沢知廉。
2005年に自殺した彼の“双子の妹”あゆみは、幼い頃に生き別れた兄に会いたいと、様々な人物に会いに行く…


見沢知廉。
1959年東京生まれ。
裕福な家庭に育ち、幼少より英才教育を施される。
早稲田中学に入学、後に右翼の活動に参加するが、その活動に失望する。
早稲田高等部在学中、教育批判をぶち、教室を破壊して退学。
友人に誘われて新左翼の活動に参加、三里塚闘争では最前線で闘うが、1979年の東京サミットで決起しない左翼に失望。
翌年、新右翼に転向してゲリラ活動を指揮する。
1982年、組織でスパイの疑いをかけられた仲間を殺害して逮捕され、懲役12年の判決を受けて服役。
獄中で書いた原稿をまとめ、出所後の1995年、小説「天皇ごっこ」を発表、新日本文学賞を受賞する。
1996年には獄中記「囚人狂時代」がヒット、1997年には「調律の帝国」で三島由紀夫賞候補となるも落選。
やがて心身共に不調となり、2004年にはチーズナイフで自ら小指を切断、翌2005年9月7日、自宅マンションより投身自殺。
享年46歳。


見沢知廉の作品を数多く舞台化している劇団「再生」の女優・あべあゆみと、監督である大浦信行による、見沢知廉に関係する人物へのインタビューを通して、見沢知廉の生き様が描かれるが、見沢本人の映像は写真のみ。
かつての盟友・設楽秀行、見沢の師・鈴木邦男(一水会顧問)、革命を夢見た心の友・森垣秀介(民族の意志同盟中央執行委員長)、見沢の意志を受け継ぐ針谷大輔(統一戦線義勇軍議長)、民族派の正統を貫く蜷川正大(二十一世紀書院代表)、見沢に励まされ原動力を得た作家・雨宮処凛、最期まで見沢を支えた母・高橋京子らが見沢知廉の“姿”を語るのだが、カオスの中に佇んでいて判然としない。
そもそも「右」にいったり「左」にいったり、彼の政治的活動というもの自体、思想的な根があったとは思えない。
ただ、彼らの言葉を通して見えてくる見沢知廉は、「革命」というものを、純粋に、ただひたすら純粋に追い求めていたということだけは理解できた。

しかし本作を通して見えてくる見沢知廉は、ただ「革命」を叫ぶだけで、具体的に何をどう「革命」したいのか、「革命」によって何をどうしようとしていたのかという、いわゆる「マニュフェスト」は見えてこない。
社会に溶け込めずにいた雨宮処凛に対して、
「生きづらいんだったら革命家になるしかない。お前にはその資格がある。」
と言葉をかけたというが、正にこの言葉こそ、見沢知廉の生き方そのものであり、自分で自分のことを言い表していたと言える。
彼の「革命」には思想は無く、だからこそ世間的に言うところの思想としての右にも左にも振れることになったのであろうし、そのことが左右思想家から著述が評価される所以であろう。

見沢知廉が言うところの「革命」とは、ただ自分の居心地を良くしたかっただけのことなのではないだろうか。
私見であるが、昨今流行の(流行っているワケでもないか!?)「発達障害」によるコミュニケーション不全を起こしていただけのことのように思える。
彼をして「孤高の革命家」と言う向きもあるが、自分にはそんなタイソウな人物には思えない。
しかし、「革命」ということに対する極限までピュアな姿勢は、多くの人々に愛され、支持されることになったのは間違いないだろう。
それだけに、最後は自殺せざるを得なかったということは哀しい。
死の直前、何度も何度も母親に電話してきたというエピソードは切な過ぎる…


あべあゆみと大浦監督による関係者へのインタビューに、幻想的な心象風景や闘争の実録映像を織り交ぜた、イマジネーション豊かなドキュメンタリー。


天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命
2011年/日本  監督:大浦信行
出演:あべあゆみ、設楽秀行、鈴木邦男、森垣秀介、針谷大輔