指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

ジャニー喜多川事件に見る戦後の日米関係

2023年07月26日 | 政治

アークタイムズで、服部吉次と松崎氏の記者会見を見た。

問題は、二人とも小さいころに、ジャニー喜多川から性加害を受けた人だった。

服部吉次は、服部家で、松崎氏は、少年野球チームジャニーズにいるときに。

 

               

服部吉次は、黒テントの役者で、言うまでもなく作曲家服部良一の次男だった。

今回見ると白髪で、当然だが随分と年取ったなあという感じだった。

戦後、服部家と喜多川家は、深い交流があり、それは服部良一が笠置シズ子を連れてアメリカ公演に行ったときだった。

地元の日系二世のジャニー喜多川らは、公演の手伝い、スタッフとして甲斐甲斐しく働いたとのこと。

そして、1950年代には、朝鮮戦争の従軍通訳として来日し、東京の服部家に頻繁に出いりしていた。

その中で、当時8歳の服部吉次は、性加害を受けたのだそうだ。

ジャニー喜多川は、服部家では、特に女性に人気があり、料理をしたり、さらに後片付けも先頭に立ってする男で、「日本にはないレディーファーストの男」として、みな好いていたのだそうだ。

だが、服部吉次は、ジャニー喜多川が家の玄関から出てゆくとき、

「朝鮮に行きたくない」と呟いていたことを目撃したそうだ。

そうなると、あるいはジャニー喜多川氏は、国連軍という米軍の中で、米兵から性加害を受けていたのかもしれない。

脚本家笠原和夫は、「軍隊の中で同性愛があるように、ヤクザの中には獄舎にいる時に性加害を受けて、同性愛者になってしまう連中がいる」と書いていた。

言うまでもなく、世界中で軍隊は

「女は乗せない戦車隊」であり、朝鮮軍内でも同性愛は行われていたのかもしれないのだ。

米兵から日系二世のジャニー喜多川氏へ、その喜多川氏から、日本人の少年へ、同性愛の転化があったともいえるのではないか。

これは、戦後のアメリカと日本の関係を象徴しているように思えるのは、私だけだろうか。


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