マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)の横浜市図書館の予約順位が、5日前の193位から188位に上がった。このまま行けば、半年後には読めそうだ。
けさ、ふと荻上チキの本書の紹介文が気になった。
《本書は〈辛抱強く並んでいた白人中産階級の列に、黒人や女性、移民、難民などが割り込んできた〉という例えを肯定的に引用するが、サンデルが懐かしむ「道徳的絆」「共通善」は、マイノリティーを排除することで成立してきたのも確かだ。》
この文が理解不能なのだ。
引用元は、A.R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』 (岩波書店)である。これを「肯定的に引用」というのはどういう意味だろう。
つづく文では、荻上がサンデルを批判しているように見える。サンデルの「道徳的絆」「共通善」を批判しているように見える。「懐かしむ」という言葉に荻上の嘲笑のこころが見える。
このたとえがでてくるホックシールドの「第9章 ディープストーリー」は、私から見ると、ちょっとおかしいのである。明らかに、ルイジアナの捨てられた人々への偏見が書きつづられた章である。サンデルが、これを読んでおかしい、ホックシールドを偏見に満ちていると思った、と私は考える。だから、「肯定的に引用」というのは不可解なのだ。
ホックシールドのこのたとえは、彼女の創作だと思う。
《You are patiently standing in a long line leading up a hill, as in a pilgrimage. (あなたは巡礼の途上のように、山の上へと続く長い列に辛抱強く並んでいる。)》
このイメージがまず理解できない。「長い列に辛抱強く並ぶ」ことと「巡礼」とが結びつかない。ここに、西海岸で教授職にある社会学者の偏見がすでに表れている。
《Just over the brow of the hill is the American Dream, the goal of everyone waiting in line.(山頂を超えたところに、アメリカンドリームがある。みんなが列に並んで待っているのは、それを達成するためなのだ。)》
「アメリカンドリーム」のために並ぶことは、「道徳的絆」「共通善」とは無関係である。個人的な成功である。
《Still, you’ve waited a long time, worked hard, and the line is barely moving.(それでも、一生懸命働いて長いあいだ待っているのに、列はほとんど動いていない。)》
巡礼で、こんなことはあり得ない。
ネットでアメリカのbook reviewを見渡すとやはりホックシールドへの批判がある。自分だけが幸せになることなんてできない、周りのみんなにも幸せになってほしい、これが、抜け駆けの許さない南部の貧乏人の多くの思いではないだろうか。
したがって、彼らを「長い列に辛抱強く並んでいる」と見ることは、競争社会を肯定する成功者のもつ偏見ではないのか。
そういう人たちへの反撃のために、サンデルは「実力は運のうち」という声をあげたのではないか、と思う。
民主主義とは、ひとはすべて対等であるという理念である。君主やブルジョアがもつ自由、ゆたかさを私たちプロレタリアにも分け与えよ、というのが人権である。人はバラバラの個人に切り離され、競争して生きるというのは、民主主義とは別の理念で、受け入れる必要はない。
いっぽう、「巡礼」とは「共同体」から跳び出し、絆をすて、無になって神との対話を求め、地上をさまようことではないか、と思う。
最近、気に入った、アメリカの古い讃美歌につぎの“Wayfaring”ある。
I am a poor wayfaring stranger
I'm traveling through this world of woe
Yet there's no sickness, toil, or danger
In that bright world to which I go
I'm going there to see my father
I'm going there no more to roam
I'm only going over Jordan
I'm only going over home
I know dark clouds will gather 'round me
I know my way is rough and steep
Yet beauteous fields lie just before me
Where God's redeemed, their vigils keep
I'm going there to see my mother
She said she'd meet me when I come
I'm only going over Jordan
I'm only going over home
この”a poor wayfaring stranger”というのが好きだ。また、"only going over home"というところが、すごい。