政府対策分科会会長の尾身茂が菅義偉首相と「権力闘争」をしているとメディアが報道しているが、これはオカシイ。なぜなら、尾身は別に首相になろうとしているのではない。単に、尾身は、新型コロナのパンデミック(感染爆発)の中で、オリンピックをやることはいかがなものか、と新型コロナ対策を担当する専門家として意見を述べたまでである。
逆に、メディアは尾身の捨て身の専門家としての責任感をほめるべきだと思う。
メディアから漏れてくるのは菅の激怒の声ばかりである。
「黙らせろ。専門家の立場を踏み越え勘違いしている。首相にでもなったつもりなんじゃないか」
「決めるのは俺だ」
「専門家に引っ張られるな」
「専門性ある意見を聞くためであって、五輪開催はこっちで決めるんだ」
「今回の尾身発言で東京五輪・パラ中止という世論の流れにならないか、心配だ」
「これ以上、厳しい意見が続くと分科会を開かせない」
「野球もサッカーも、クラスターは出てないじゃないか」
菅は自分を独裁者だと思っているのだ。自分の意見に反することは誰もしゃべっていけないと考えているのだ。民主主義社会では、言論の自由がある。すべての人に、自分の良心にもとづいて、真実を話す権利がある。
野球球団やサッカーチームの中では集団感染(クラスター)がでている。
オリンピックでは1万人に上る選手が各国から始まる。それに、海外からのオリンピック関係者とその家族が8万人やってきて、各会場で競技をみる。
オリンピックは桁がちがう「人流」を生じる。
医療関係者も選手のために動員される。オリンピックを維持するための日本の会場関係者、選手村関係者は10万人にのぼる。
その上に、パブリックビューイング会場を6カ所も作る計画がいまだに生きており、さらに、競技場を無観客にすることも決まっていない。
地方から東京への「人流」が生じ、それが新型コロナの変異株をもって地方に戻ることになる。
しかも、海外には、自国の新型コロナ感染拡大で来れない国も生じている。また、日本にきた選手は自国に変異株をもって帰ることになる。何が「平和の祭典」だ。盗人たけだけしい。
首相だから偉いのではない。理性が伴わない首相は厄介者にすぎない。厄介者の菅義偉をどこかに捨てるしかない。太平洋の底に沈めたらどうだろうか。
[関連ブログ]