この間、テレビのコメンテータは口を開けば、ドナルド・トランプ大統領の粗暴さを批判する。それに伴って、アメリカの政治、経済に疑問を口にする人が増えてきた。
とっても良いことである。アメリカのまねをするのでなく、自分の頭で考え、最善で最適の道に進むべきということが、理解され始めたようだ。
私の若い頃、40年年前、科学や技術分野では、アメリカの最先端をウオッチしていれば、間違いないという雰囲気があった。カナダでのポストドクターの生活をやめ、企業の研究所に務めたとき、通産省の産総研の友だちと話したら、アメリカでこんな研究に注目が集まっているというと、日本では研究費が簡単に承認されると言っていた。
これは、政治・経済分野だともっとひどく、何でもアメリカのまねをすれば良いという風潮があった。
中内㓛はアメリカ式のスーパーを日本に導入し、どんどん借金をしてダイエ―を大きくした。彼は行き詰るとアメリカのスーパー経営を視察した。そして、結局、ダイエーを潰してしまった。
小選挙区制による2大政党制を理想とするのも、これと同じ誤りである。いま、小選挙区制の弊害に日本は苦しんでいる。
岡山裕は、『アメリカの政党政治 建国から250年の軌跡』(中公新書)で、2大政党制がいかにアメリカの政治をいかに不安定化させたかを書いている。
古矢旬の『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』(岩波新書)も面白い。トランプの第1次政権までを扱っている。アメリカの曲がり角は1973年の変動相場制の移行からはじまった。民主党の変容はクリント政権に引き起こされたとする。
昔、田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)を読んだとき、文化的リベラリズムといううさん臭い言葉が出てきたが、福祉国家を放棄したときに、進歩的のイメージを失わないように、文化的リベラリズムをクリント政権が装ったのである。規制緩和、自由競争を唱え、自由市場という妖怪を管理しないのは、福祉国家を維持する基盤を壊すことになる。
大橋陽・中本悟編の『現代アメリカ経済論 新しい独占のひろがり』(日本評論社)は、多国籍企業、国際金融企業がアメリカの政治力では抑え込めない怪物になっている現状がよく分かる。
日本は経済収支がこの数年間赤字に落ち込んだままである。製造業は工場を海外に移転しつぃて、日本国内は空洞化している。大阪は、町工場が潰れてだしているのに、バカな万博に酔っている。アメリカのまねをしているうちに、アメリカと同じ衰退の道を歩んでいる。
日本は自分の頭で考え、独自の道を進む時がきた。アメリカのまねをするのでなく、アメリカの誤りを分析し、同じ誤りを起こさないようにすべきである。
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