NHKサイトによると、きょう1日に新たに報告された新型コロナ感染者の死亡者は70人だという。BS TBSの『報道1930』によると、この死亡者がオミクロン株によるかデルタ株か、遺伝子解析が進んでいないという。
にもかかわらず、オミクロン株は大したことがないと、メディアは合唱している。社会機能の維持のために、濃厚接触者を早く社会復帰させろが、いつのまにか、社会正義になっている。
また、現在、日本では遺伝子解析がほとんど行われていないにもかかわらず、少数のサンプル調査でオミクロン株が99%だから、大したことのないオミクロン株なら、PCR検査せずとも自宅待機していれば良い、という声まで政府内からでている。
これって、恣意的願望、正常性バイアスが日本の政治の場で、まかり通っているのではないかと心配になる。
保育所が閉鎖になる、学級が閉鎖になる、子どもの世話で働きにいけないと、メディアが政府を非難するが、非難すべきは現在新型コロナの検査体制が整っていないことではないか。医療関係者に聞くと、新型コロナ第5波がおさまってきたということで、新型コロナの検査報酬、診療報酬が引き下げられているという。また3回目の接種も進んでいないという。じっさい、74歳の私のところには、3回目の接種券がまだ送られてこない。
現状では、保育所や学級が一時的に閉鎖になるのは仕方がないのではないか。本当は、親はこういう時に働き出るよりも、子どものそばに居たいのではないか。
私が子どものとき、親は家で働いていた。私の父は手ぬぐいを頭にかぶり椅子の張替えをしていた。父のそばに私は犬コロのようにいた。私の母はミシンを踏みカーテンや椅子のカバーを縫っていた。母のそばに私は猫のようにいた。私には、それがとても幸せだった。
多くの人びとが賃金労働者として外に働きにでる今日、新型コロナを理由に、働きに出ず、子どものそばに1日いる という一時的な幸せを、メディアや政治家が奪いとる必要性も正当性もないと思う。たまには、外で働かないことがあっても良いではないか。
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