以下は、ちょうど4年前のきょう、ほかで書いたブログだ。
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戦争とは、国家間の紛争に武力を使用することである。結果として、国民に人殺しを強要する。
今日も、日本のテレビでは、今、安保法制が通ると、自衛隊員が殺されるリスクが高まると言っているが、海外での武器使用を認めるのだから、人を殺すリスクも高まるのである。
74年以上前に、私の父が中国戦線に駆り出され、敗戦後1年して負傷兵として戻ってきた。私の母は、父が人間が変わって帰って来たと、繰り返し、繰り返し、私に話した。子供の私には、それが何であるかわからなかったが、米軍のアフガニスタン侵攻やイラン侵攻の後、多数の兵が心を病んで帰還したのを知って、気づいた。
殺されるという恐怖だけでなく、罪もない人間を殺してしまう恐怖のため、人は心を病んでしまう。
アフガニスタンに「平和維持軍」として駐留したスウェーデン軍のドキュメンタリー映画を見て、特に強く、そう思った。他国に駐留する兵隊にとって、誰が敵で、誰が味方かはわからない。殺さなければ、自分が殺される。しかし、本当に相手が自分を殺そうとしているのかは、わからない。わからないなかで、殺してよいのか。私の父も、中国戦線で、何か、住民の自分を見る目の厳しさを感じ、殺してはいけない、殺さなければならない、の葛藤に4年も一人で苦しんだと思う。
他国で武器が使用できるとは、明らかに、自衛権の範囲を超えている。武器をもって他国に行かなければ、私の父のように心を病む必要はない。
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