猫じじいのブログ

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不要不急論、市場の論理を超えて、佐伯啓思の《異論のススメ》

2020-12-27 22:04:40 | 新型コロナウイルス
 
保守の佐伯啓思が、みたび朝日新聞で、「新型コロナ騒ぎ」を批判している。「騒ぎ」とみるところは私も同じだが、彼の大上段かぶっての現代社会批判が、的外れのように思える。
 
今回は「不要不急」から佐伯の批判が始まる。
 
〈 気になったひとつは「不要不急」の4文字であった。「不要不急の外出自粛」である。〉
 
感染症は人から人へうつる。しかも、新型コロナウイルスは自己増殖できないから、人から人に感染することで、遺伝子コピーに変異が生じ、多様化する。したがって、不要な人と人との接触を減らしたい。「密」を減らしてくださいと言うことだ。「不要な」という意味は、人間が生きていくために必要な「接触」があるからで、いま、しなくても済む「接触」は避けてくださいということだ。
 
「不要不急の外出自粛」とは、個人に判断を任せるということであって、「特別措置法」の罰則を強化しての上から個人の行動を命令しようということではない。
 
「密」を減らしてくださいというのは、新型コロナ対策専門会議の提言である。政府の専門家会議が、独自にデータを分析し、国民に直接提言を積極的に送るのは、画期的であり、もっと評価すべきことであった。ところが、安倍政権は何を思ったか、専門家が政治に口を出すなと、専門家会議を解散させた。
 
それでも、新型コロナ第1波は、専門家会議のおかげで、収束した。
 
しかし、第2波は収束せず、政府のGoToキャンペーンで、さらに強力な第3波をまねている。
 
佐伯は言う。
 
〈 ところが「不要不急」を自粛すると今度は経済が回らない。そこで、「旅行に出よ」「食事に出よ」と「不要不急の外出」を奨励する政府に即座に反応して、この秋には、都市の中心部や観光地に人々は押し寄せた。一方、コロナ禍の中で事業の継続が困難となり、失職して明日の生活にも苦労する困窮者たちが出現する。にぎやかな旅行者の群れと生活困窮者が同時に現れる。〉
 
ここの「経済がまわらない」が問題である。「不要不急の外出自粛」をしても、農作業は行われているし、多くの工場は稼働しているし、トラックは生産地から消費地に食品を運んでいる。だから、私たちは生きている。
 
経済の骨幹は回っているのだ。
 
「不要不急の外出自粛」とは、過剰に反応しなければ良いのである。無理な注文ではない。いま、しなくても済むことをしないだけである。
 
「不要不急の外出奨励」で人出を多くすれば、「密」が生じ、コロナ感染者が増えるのは当然である。政府がなすべきことではない。
 
「密」を避けるため、生活習慣を「変容」することで、当然、消費市場に変化が現れる。そのために現れる「困窮者」を救うのが政府の仕事である。GoToキャンペーンをして救うのではなく、給付と転職で救うのである。
 
問題は菅義偉が「自助、共助、公助」の順を唱え、政府が「公助」に消極的なことにある。しかも、役所の福祉課も「公助」の経験が少なく、「困窮者」の相談にうまく乗れない。
 
だから、別に、現代文明の三つの柱、「グローバル資本主義」、「デモクラシーの政治制度」、「情報技術の展開」と結びつけて、噛みつくことではない。単に、政府の政策の誤り、政権党の責任であり、「自助」を唱える政治家の責任である。
 
〈 この数年、日本の経済を支えているものは、インバウンド政策や観光業、各種のエンターティンメント、グルメなどであった。〉
 
たしかに、佐伯のいうように、このようなサービス業で日本経済を支えようというのは、もともと無理であった。これも、安倍政権の政策の誤りである。この際、転職のような個人の問題というより、社会の問題として、産業転換がある程度必要だろう。政治が経済を仕切ることができるという「統制経済」的思考は安易である。
 
また、佐伯は「不要不急」と思われがちな「文化」への尊重を訴える。
 
〈 これらは市場で取引され、利潤原理で評価できるものではない。またいくら「不要不急」を市場で拡張し、経済を成長させても得られるものではない。むしろ過度な市場競争と経済の拡張がその障害になりかねないのである。〉
 
私は、文化の尊重に同意するが、戦前の革新右翼のように、資本主義が営利主義で、市場が利潤原理と不可分で、政党の存在が政治の混乱を招くと思わない。市場そのものが悪いというより、個人主義が悪いというより、「人間社会は不平等であり、序列があり、誰かが誰かを支配するしかない」という、価値観にあると思う。国家の力を強めても、問題の解決にならない。
 
人を支配する力がお金にあると思っているからから、人はお金を求めている。
 
ドイツ人はクリスマスにバカ騒ぎする伝統が昔あったが、啓蒙活動によって、時代を経て、家族で静かに過ごすものになったという。価値観の変容による行動の変容に私は期待する。
 
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