猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

日本人ってみなが悪いと思ってるだろう?半藤一利の最後の言葉

2025-02-27 15:29:17 | こころ

きのう読んでいた半藤末利子の『硝子戸のうちとそと』(講談社)に、半藤一利の最後の言葉が載っていた。4年前、加藤陽子の朝日新聞への寄稿のなかの「日本人はそんなにわるくない」の言葉を私が曲解していたのに気づいた。一利の意図を感じとってもらうため、末利子の本から抜粋する。

>亡くなる日の真夜中、明け方だったかもしれない。

「起きている?」

珍しくも主人の方から声をかけてきた。 (……)

「日本人ってみなが悪いと思ってるだろう?」

「うん、私も悪い奴だと思っているわ」

私がそう答えると、

「日本人は悪くないんだよ」

と言う。<

これを読んで病床の私は涙が止まらない。一利はなんて優しい夫なのだろう。

末利子の応答からすると、一利は日ごろ「日本人は悪い」と怒りまわっていたのだろう。彼は、死ぬ間際に、自分の言葉が与えつづけた呪文から妻を解き放したいと思ったのだと思う。

日本人全員が悪いわけではない。悪意の人もいれば、善意の人もいる。何も考えていない人もいる。悪い人がいるのは日本人だけでない。

一利は悪い日本人に怒りまくっていたのだ。

夫婦の思いやりという文脈を離れて、「日本人は悪くないんだよ」という言葉が独り歩きして欲しくない。

関連ブログ


マイケル・サンデルの訴え「働くことの尊厳」「共通善への貢献」

2025-02-24 18:14:16 | 思想

ちょうど1カ月前の朝日新聞オピニオン&フォーラムに、政治哲学者マイケル・サンデルへのインタビュー記事が載っていた。

とても懐かしい名である。私は、15年前にNHKの「ハーバード白熱教室」で彼の討論型講義に、夢中になった一人である。

今回のテーマは「働く尊厳を取り戻す」である。私は、まったく同意見であるが、これはほかの人になかなか伝わりにくい。多くの人にとって、「働くのは働かないと生きていけないから」である。

サンデルは言う。

「エリートが自分たちを見下し、〔自分たちの〕日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の憤りが、〔昨年の大統領選での〕トランプの成功の根本にあります」

「〔新自由主義者〕のメッセージはこうです。競争に勝ちたければ大学に行け。どれだけ稼げるかは、何を学ぶにかかっている」

サンデルは、新自由主義者が、職によって格差を設け、働く人びとを侮辱しているというのである。

職に貴賤があってはならない。社会は色々な職の人々によって維持されているのだ。働くということは、それによって、みんながみんなとつながっているのだ。

私はNPOで多くの若者と接してきたが、彼らは、働ける場が見つかったとき、喜びに満ち自信を回復する。働くことで仲間ができるのだ。そして、自分が社会を支えていると実感できる。

サンデルは言う。

「自らを生産者と位置づけるとき、……、私たちは共同体の『共通善』に貢献する役割を担っていると気づきます」

今の日本社会は『共通善』という理想を忘れている。


凶暴な男ドナルド・トランプを大統領に選んだアメリカ国民

2025-02-23 20:04:30 | 国際政治

日本では、2週間前の石破茂首相とドナルド・トランプ大統領との初会談が成功だったと報道されている。しかし、2、3日前の朝日新聞の片隅に、「へつらい外交」だとアメリカのジャーナリストの間でひんしゅくを買っているとの短い記事があった。

私はその通りだと思う。

トランプにどのようにお世辞を言おうと、彼は、それが弱さからくるとし、逆に搾り取ろうとするだけで、法ではなく、弱肉強食こそが、世界政治の掟だとする。

もちろん、日本に喧嘩する強さがないのだから、わざわざ、トランプと喧嘩することもない。しかし、アメリカとロシアと中国で世界を分割して利権をむさぼろうとするトランプの施策には、外務省を通じてきちんと反論し、他の国々との親密な連携をしていかないと、事態はますます悪くなるだろう。

日本がウクライナやガザの人々に涙するだけでは十分ではない。

しかし、よりによって、アメリカ国民はトランプのような凶暴な人間を大統領に選んだのだろうか。

2022年5月1日に死んだアメリカ政治学者の中山俊宏は、2020年11月にジョー・バイデンが米大統領選に勝ったそのとき、トランプの危険性をつぎのように警告していた。

「今は皆が 誰が勝ったかということに気を取られているが、一番重要なことは、トランプが08年のオバマを上回るであろう数の得票をしたこと、即ちアメリカはトランプ主義を斥けることはしなかったということ。いまトランプはこの勢いを感じているはずだ。」

民主党は甘かったのだ。政治から民主主義という希望が消えることの怖さを理解していなかった。ジャーナリストもバイデンがかろうじてトランプに勝ったという事実を忘れて「もしトラ」などと選挙前には言っていたのだ。もっと危機意識を持つべきだった。

現在の状況は、ナチス・ドイツが出現したときと変わらない。早速、トランプはプーチンとのウクライナ分割を進めている。

[関連ブログ]


日本製鉄によるUSスチールの買収をバイデン米大統領が阻止

2025-01-08 03:15:43 | 経済と政治

ジョー・バイデン米大統領が1月3日に日本製鉄によるUSスチールの買収を阻止する命令を出したことに、テレビだけでなく、新聞までが社説で非難の合唱をしている。

「米政府は、独善的な姿勢を改めるべき」(朝日新聞)、「日米関係に禍根を残す」(読売新聞)、「経済的合理性を著しく欠く」(東京新聞)、「米国への信頼を損ねる理不尽な判断」(毎日新聞)、「不当な政治介入」日経新聞、「極めて残念な判断」(産経新聞)。

買収は経営者や資本家によるマネーゲームの1つにすぎないのに、どうして、みなが、日本製鉄の肩をもつのだろうか。新聞社の1つぐらい、日本製鉄の経営陣を非難したって良いのではないか。全米鉄鋼労働組合はこの買収に一貫して反対している。ジャーナリストたるものが、国際競争の負け組である日本製鉄の経営陣の安易な生き残り作戦を支持するとは、恥ずかしい限りである。

そもそも買収や吸収合併はなぜするのか。市場の拡大、寡占による価格形成力、労働者の解雇による生産性の向上、設備・技術・販売網の獲得、株価の維持・上昇などなどである。

日本製鉄とUSスチールの経営陣は雇用を削減しない、工場を閉鎖しない、生産を削減しないと対米外国投資委員会に申し出たというが、逆に、これらは日本製鉄の買収の目的を表わしているのではないか。

2023年の粗鋼生産量では、世界1位が中国メーカ、2位がルクセンブルクに本社のメーカ、3位が中国メーカ、4位は同率で日本製鉄と中国のメーカ、6位が韓国メーカである。国別の粗鋼生産量では、中国がダントツで10億1910万トン、インドは1億4020万トン、日本は8700万トンと続く。鉄鋼の需要は伸びていなく、横ばいが減少の傾向にある。

日本製鉄の経営陣は、本来、USスチールの買収ではなく、自分たちの技術や設備などの向上に投資すべきだった。中国やインドの市場に日本製鉄は食い込めていないどころか、競争力がなく、敗退しているのである。

日本製鉄の経営陣は、バイデン大統領の買収拒否が「米国へ大規模な投資を検討しようとしている米国の同盟国を拠点とする全ての企業に対して、投資を控えさせる強いメッセージを送るもの」と記者会見で偉そうに言う筋合いのものではない。バイデン大領の買収阻止命令を非難する日本側の大合唱こそ、「日米関係に禍根を残す」ものになるのではないか。


佐伯啓思の異論のススメ『SNSが壊したもの』

2025-01-02 20:22:42 | 社会時評

しばらく、体調が悪く横になっていたので言いたいことが溜まりに溜まっている。ここでは、朝日新聞の昨年12月25日の佐伯啓思の寄稿『SNSが壊したもの』を取り上げる。

佐伯啓思は、そこで、社会に対するSNSへの影響力が「途方もなく大きく、さまざまな問題を生み出している」と論ずる。

「SNSはしばしば、個人の私的な感情をむき出しのままに流通させる」

「SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも「公共性」が成立する前提を最初から破壊している」。

そして、つぎのように佐伯は結論する。

「SNSによる政治と社会の混乱は、ただこの技術の悪用というだけの問題ではない。それはまた、近代社会を支えてきた「リベラリズム」という価値観の限界を示しているとみなければならない」。

佐伯は何を「リベラルな価値」と言うのか、何が「価値観の限界」なのか不透明なので、結論は、いつもの持論「リベラルな価値」の悪口に見える。

私の子ども時代に、ラジオやテレビのようなマスメディアが社会に大きく影響を及ぼしたとき、類似の悪口が言われたのを、私は覚えている。素人の意見が公共の電波を通じて万人に伝わることを自称専門家が憂いていた。このときの「力を失う既存メディア」は、新聞であり、専門家の言論空間を構成する月刊誌であった。そして、新興のマスメディア、テレビやラジオは、SNSと同じく広告収入で運営されていた。今も昔もメディアは金儲けを是とする社会に支えられていたと言える。

私にとって、佐伯の危惧は、結局、大衆に対する彼の不信と不安の現われに見える。

それでも、SNSは大衆が容易に発信者になれるので、従来のメディアより魅力的である。現在、XやYouTubeやTikTokのように、SNSは内容や記述が情動的なものが多いが、それに対抗して、倫理的なもの、論理的なものを投稿したって良い。確かに「悪貨が良貨を駆逐する」という諺があるが、もともと、昔から「悪貨」が流通していたのだから、懲りずに良質な言論を疑似公共空間に送りつづけるのが大事であり、それが、世の中がいつかは良くなるという希望である。

私は、SNSの特性の問題よりも、知識をもっている人が本当のことを発言しなくなるのを恐れる。