日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 李登輝氏襲撃事件の続報が気になるところです。とはいっても容疑者に実刑判決が下るかどうか、くらいしか私には興味がありません。前回掲載させて頂いた永山英樹氏の文章、あの予測がピタリと的中して中国国内のネット上では早くも容疑者を絶賛する声が続々。永山氏の例え通りに「民族英雄」という書き込みまで本当にありました。永山さんすごいです。

 ●「捜狐」(sohu.com)李登輝氏襲撃事件報道に付随している掲示板
 http://comment2.news.sohu.com/viewcomments.action?id=250483826&order=hot

 これで『人民日報』あたりに李登輝氏の靖国参拝や日本での行動を熱く非難する論評記事などが出てくれば、新華社あたりが追従しそうなので面白いのですが、どうでしょう。

 その余波が『解放軍報』に及んで『中国青年報』が火消しに回るような展開なら胡錦涛ピンチ!なのですが、そういうエネルギーは2年前ならともかく(実際に反日騒動がそうでした)、現在の「反胡錦涛諸派連合」からは感じられません。政局にはならないでしょうねえ。

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 まあ政局にならなくても現在の中国は十二分に多端です。



 ●「天安門犠牲者の母に敬意」中国紙に広告、当局が調査(読売新聞 2007/06/07/00:54)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070606id26.htm

 【香港=吉田健一】天安門事件から18年にあたる今月4日、中国四川省の夕刊紙・成都晩報の紙面に、事件の犠牲者の母親に敬意を表する内容の一文が掲載され、公安当局が同紙幹部ら関係者2人を拘束、調査に乗り出した。6日付の香港紙・蘋果日報が伝えた。

 掲載されたのは「六四(天安門事件)犠牲者の不屈の母親に敬意を表する」との中国語で13文字の文章。広告ページに1行広告として載った。天安門事件について、厳しい報道管制を敷く中国の新聞上で、こうした文章が公になるのは異例。香港メディアは、成都晩報が停刊処分となる可能性もあると指摘している。

 香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストによると、成都晩報は広告ページの編集を外部の会社に委託しており、依頼を受けた若手女性社員が「六四」が天安門事件を意味すると気付かずに掲載したという。




 「気付かずに掲載した」とは嘘のような話ですけど、香港紙によるとこの女性社員は入社早々の新卒社員。とすれば高卒なら事件当時(1989年)出生していたかどうかで、大卒でも小学校に上がる前でしょう。この世代だともう天安門事件に関する政治教育を行う必要がない可能性もあり、「六四」と言われて何のことかわからなくても不思議ではありません。

 この女性社員、電話で広告掲載を依頼してきた相手に対し、実際に「六四」とは何かと尋ねたところ、ある炭鉱事故の記念日だという返答。それで納得してしまったようです。ともあれこの事件で複数の関係者が馘首されました。4名説と7名説があります。

 ただ問題の広告自体は写真をみると日本の新聞の3面記事の隅っこに並んでいるような細々とした広告の中のひとつで、よくこの中から拾い出したものだと感心するくらい目立たないものです。

 ●『星島日報』(2007/06/08)
 http://www.singtao.com/yesterday/chi/0608eo06.html

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 成都は1989年に全国各地で展開され、天安門事件を契機に終息した民主化運動で、軍隊が投入された北京を除けば最も荒れた都市のひとつです。

 同年秋に私が古戦場めぐりで内陸部を回った際、私は西安から成都への寝台車で親しくなった出張者が成都で公費接待されるそのお相伴にあずかったのですが、駅からレストランまでの車中、いきなり広々とした焼け野原が出現したので再開発でもするのかと思いつつ眺めていたら、

「ここは市内最大のショッピングセンターだったんだが、六四で怒った民衆に焼き打ちされて、この通りさ」

 と出張者が私にささやいたので、ほほーと現場に改めて目をやっていると、

「外国人にそんな話をすべきではないでしょう」

 と、接待側のひとりがもの柔らかな語気ながらピシャリ。後で出張者と二人でトイレに寄った際、

「あいつは党員なんだ。嫌な奴だ」

 と苦い顔で吐き捨てるように教えてくれました。当時はまだ活動家の落ち武者狩りが行われていて、泊まる先々で必ず「査房」(抜き打ちのお宿改め)に出くわしたものです。成都は18年を経てすっかり近代的な都市に変貌したのでしょうけど、天安門事件が忘れ去られている訳ではないようです。

 こういう広告が出てしまうあたりに、統治のタガが緩み始めているのではないかという気がする一方で、ただでさえ暴動が頻発しているのですから、「六四」とか「民主化運動」と言われても何だか空々しく聞こえるような、それだけに危険な社会状況ではないかと考えたりもします。

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 私はACG業界(アニメ・コミック・ゲーム)に関わる仕事を本業としていますから実感できるのですが、ACGというのは衣食住をまかなえて、それでもカネが余るようになった経済水準に達してはじめて成立する産業です。

 実は「民主化運動」もACGと同じようなものではないかと。1989年の民主化運動も成都のように市民を巻き込んだ暴発例はあったものの、結局のところ大学生と知識人限定のムーブメントに過ぎませんでした。

 少なくとも現在の中国社会は1人当たり平均でみれば衣食住を確保できるかどうかといったレベルで、一般庶民もが参加する「民主化運動」なんて、そんな高尚なものが広く受け入れられる素地はなさそうです。そもそも民度そのものがそれをやるには低すぎますし。

 生活の糧である耕地が強制収用されたり、再開発で自宅を破壊されたり、公害企業の汚染垂れ流しで奇病が流行したり……というのが現状。そうして追いつめられた農民や都市住民が暴動を起こしているのです。民主化どころじゃありません。

 18年前の農村にも余剰労働力の問題が存在していて、それを解決するために郷鎮企業がもてはやされたり、現在の「民工」(出稼ぎ農民)の祖ともいえる「盲流」現象(職を求める農民たちによる都市部への人口流入)がすでに発生していましたけど、「失地農民」という言葉はさすがにありませんでした。

 「失地農民」については説明不要かも知れませんが、耕地を強制収用されて満足な補償金ももらえぬまま、指定された移転先で転業もままならず(補償金不足のため)、その日暮らしの流民同様の境涯に堕ちた農民たちのことです。

 そういったあれこれを考えると、中国の時勢は海外に脱出し活動している民主化運動家たちを置き去りにしてしまっているのではないか、活動家たちは1980年代末期の感覚のまま、中国社会の変化(例えば都市部と農村部の格差拡大)についていけずにただ呆然としているのが実情ではないか、と思えてくるのです。

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 こんなことを考えたのは著名な民主化運動家・魏京生氏が最近、日本当局に入国を拒否されてどうのこうのといったニュースがあったからです。……というより、破天荒にも私をメル友扱いして下さっているMさんがこの件に巻き込まれて相当難儀な目に遭われたから、というべきでしょう。日本政府による人権弾圧のような報道が行われたりもしましたが、実相は随分異なるようです。

 魏京生は「北京の春」とか「西単民主の壁」といった時代の民主化運動の祖ともいえる存在ですからネームバリューはありますけど、1970年代末期に当局批判の罪で投獄されて以来20年間のムショ暮らし。1989年の民主化運動はおろか、改革・開放政策下の中国社会というものを経験していませんから化石のようなものです。

 私はチナヲチ(素人の中国観察)を10年怠ったためにいまでもそのギャップに苦しんでいます。それが20年や30年近くともなれば、もはや正論を吐くことしかできず、活動家であればもはや役には立たないでしょう。まあ魏京生はシンボル的存在ですからそれでもいいのかも知れませんけど、天安門事件を機に海外に脱出した学生リーダーや知識人も、もはや似たようなものではないでしょうか。

「そりゃあんたの言うことは正論だけどさー、いまはそういう時代じゃないんだよねー。頼むから現状をみて物を言ってくれよー」

 という反応が中国国内の庶民から返ってきそうです。大学生、これは物の役には立ちません。そもそも大学自体、1980年代末期のようなエリート養成機関から、現在はホワイトカラー量産工場へと変貌し、大学も大学生の数も卒業即失業という問題が顕在化しているほど大膨張しているのです。

 大学生としての平均レベルが大幅に低下していることが第一。それから物欲まみれの金持ち学生かド貧乏な苦学生に両極分化しつつあるため、以前のような打てば響くような結束力は期待できません。

 若手知識人は私と同世代ですから民主化運動~天安門事件で挫折感を味わい、俗世間に埋没している向きが多いように思います。少なくとも1989年の民主化運動を主導した紅衛兵世代のような覇気もネットワークもありません。

 もうそういう段階は過ぎて、中国社会はより危機的な状況に入ってしまっているのではないでしょうか。冗談ではなく、いまの中国に必要なのは民主化運動家ではなく秩序をぶっ壊す革命家なのかも知れません。ただそれによって世の中がよくなるという保障はどこにもありませんけど。

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 天安門事件で死亡した学生たちを、遺族たちが北京市のその現場で追悼することが今年になって初めて許されました。



 ●天安門事件から18年 遺族ら現場で追悼式(Sankeiweb 2007/06/04/23:45)
 http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070604/chn070604002.htm

 当局許可 胡政権イメージ改善狙う

 北京は4日、民主化運動を武力鎮圧した天安門事件から18年を迎えた。中国当局は今年、事件後初めて遺族らに対する監視を緩和し現場でささやかな追悼式を許可した。五輪開催を来年に控え、胡錦濤政権の対外イメージを改善したい思惑が背景にあるようだ。(北京 矢板明夫)

 3日午後10時すぎ、雨があがった。北京の夜は蒸し暑い。市西部の地下鉄・木●(=木へんに犀)地(もくせいち)駅近くの植え込みのそばに、数人の老人たちが黙々と何枚かの遺影を飾って簡単な祭壇をつくり、花束、果物、ビールなどを手向けた。ろうそくに火を灯すと、抱き合いながら泣き崩れた。

 1989年6月3日夜、戒厳部隊はこの場所で学生と市民に向けて発砲し、多くの犠牲者が出た。元大学教師の丁子霖(ていしりん)さん(70)の高校生だった一人息子=当時(17)=も近くで背中から心臓を撃ち抜かれ死んだ。

 丁さんはこれまで約200人の犠牲者の遺族を自力で探し出し、遺族会「天安門の母」を発足させた。このため、当局から嫌がらせを受け続けた。厳しい監視下に置かれ、買い物にも自由に出かけられなかった。

 先月31日、公安機関の幹部が丁さん宅を訪ね、「これからは自宅周辺の見張りを撤収する。今年の記念日は息子さんを弔ってもよい」と告げられた。遺族による追悼式が初めて許可された。
(後略)



 この変化について、胡錦涛政権が対外イメージを意識しているという見方は正鵠を得ていると私は思います。ただ、それだけが理由なのかどうか。

 もう民主化運動で揺さぶられるような懸念はなくなった、だから許可した、という一面もあるのではないでしょうか。

 民主化運動家たちが時勢から取り残され、中共政権にとってもはや脅威ではなくなったという認識です。民主化運動の再燃なんて、もはや案ずるに足らない。……要するに胡錦涛政権が自信と余裕を示していることの表れ、ということになります。

 ただし、それは同時に、中国社会がより危険な段階に入ったことを示すものでもあります。「和諧社会」(調和のとれた社会)の実現を目指す、と呼号している胡錦涛や温家宝は、呼号しているだけにそのことに気付いていることでしょう。

 気付いてはいるし、そのために出来るだけの手も打っている。でも大勢の前には無力で、また大勢とは一見無関係な眼前の雑務に忙殺されつつ、ジリ貧にも似た状態で時流に呑まれていく。……終わりの始まりというのは、そういうものではないでしょうか。

 ついそんなことを考えてしまったのは、最近、妙に上ネタが揃い始めたという感想があるせいでしょう。まあ取るに足らない妄想ということにしておいて下さい。




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