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コップの水

 予算審議を主な議題とする常任委員会の審議が4日間、最終日は夜中の12時までかかって終えました。

<最終日は夜中の12時>
 私が所属する福祉環境常任委員会が扱う議案は、市民病院、環境部、児童部、福祉保健部の管轄のものです。

 1日目は市民病院のこと、2日目は環境部のこと、3日目は児童部のこと、そして最終日4日目は福祉保健部のことを審議しました。

 1日から3日までは遅くても夜の6時ごろまでで終わったのですが、最終日は、10時過ぎに委員会を開いて、終わったのは夜中の12時。電車はまだあったようですが、気持ちが疲れてしまっていたので、千里山までタクシーで帰りました。

<膠着した場合>
 このように、予算審議のときはたいてい長時間かかります。それについては別にしんどいとも思いません。
 ただ、質問回答のやり取りが、深まり、何か質問委員にも理事者にもプラスになるような成果が生まれるやり取りなら、しんどくはないのですが、不毛とはいいませんが、何回質疑を繰り返しても進みも深まりもしそうにない場合、質問委員はもちろん疲れるでしょうが、聴いている委員もとっても疲れます。

 ある一定やり取りをしても、質問委員が期待するような答えが返ってくるとは限りません。そんなときには、どうするか?ということが大事だと思います。し、委員の考え方がよく現れます。

 私は次のように考えます。
 委員は議案に反対する権利もありますし、賛成するにしても意見を付け加えることもできますから、これ以上はやり取りしても無駄と思う時点で、その問題についてはやり取りをやめないと、お互い疲れるだけだし、時間の無駄。

<コップの水>
 私も今回の議案の中で、どうしても理事者と意見が合わないものがいくつかありました。2往復ぐらい質問回答をやりとりしましたが、煮詰まりません。
 なぜなら、もともとの考え方、たとえば国の通知についての解釈の違いがあるからです。どちらが間違っているということではなくて、どちらも正しいのです。
 AでもBでもいいと国が言っているので、理事者はAにしましたと言い、私はBにすべきと言っているのです。いくらやり取りしても詰まるはずがありません。

 議員になりたてのときは、がむしゃらに自分の意見を通そうと、理事者を説き伏せようと思いました。でも、理事者も私たち議員を説き伏せようとしますし、理事者が全くの間違いを言っているというわけでもありません。
 コップに水が半分も入っているとみるか、半分しか入っていないと見るかの違いです。現象としては同じだけれど、そこから生み出す方策や結論が違うのです。

 今は、質疑を何度か繰り返しても進展のない場合どうするかというと、質疑はやめます。そして、理事者の意見、説明を聞いても納得がいかない場合は、原則として反対しますし、納得がいかないけれど、そういう考え方もあるなぁと思うときは、意見をつけて賛成します。

 軟弱、優柔不断だとお叱りを受けるかもしれません。が、私がそう考える根底には、理事者だって、悪くしようと思って議案を提案しているのではないという善人主義に立っているからです。

 うまく、表現できませんが、毎回毎回、議案に真正面に向かっているからこその、悩みであり、判断であるとも思います。

 
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