ゴエモンのつぶやき

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障害者施設の不正受給、気づいても…母「移り先がない」

2018年08月12日 13時19分36秒 | 障害者の自立

 北九州市の社会福祉法人「時優会」の障害福祉施設が、給付費の不正受給などで事業の指定取り消し処分を受けることになった。利用者の家族を取材すると、他の事業所に移ることが難しく、施設側に疑問を感じながらも訴えにくい状況が浮かび上がってきた。

 市は6日にグループホームや障害児のデイサービスなど9事業所の指定を取り消す処分を決定。不正受給額は約1億6千万円に上る。別の法人が運営を引き継ぐ10月までは時優会が運営を続ける。現在、約80人が利用している。

 市は指定取り消しの方針を2月に利用者の家族に説明した。十数年、重いダウン症の長男を預けていた50代の母親は「そんな施設を利用していたのか」とがくぜんとした。

 利用していないサービスが記録された文書を見て、施設が不正受給をしているのでは、と感じてはいた。だが、自身が働くため、盆暮れに子どもを預けていたこともあり「何も言わなかった」という。長男が環境の変化を嫌う上、重度の障害者を受け入れる先が限られる事情もあった。

 実際、市の説明後に他の施設をあたったが、長男は不安から顔や頭をたたく自傷行為をした。そのため、施設側から「対処できない」と利用を断られた。

 市は家族への説明の場で、事業所を閉鎖する前提で「移り先をさがす支援をする」と話したが、「簡単な話ではない」と多くの反発があった。そのため、別法人による事業の継承を調整した経緯がある。

写真・図版

時優会が運営する障害者福祉の複合施設「時の丘学園」

2018年8月10日          朝日新聞


高齢者や障害者のごみ出し支援 仙台市、140円支給へ

2018年08月12日 13時14分33秒 | 障害者の自立

 仙台市は10月から、自分でごみを出すのが大変な高齢者や障害者を支援する町内会や老人クラブなどに、奨励金を出す。超高齢社会を控え、地域での支え合いを後押しする狙いだ。

 市家庭ごみ減量課によると、介護保険要介護認定を受けた人や障害者手帳などを持つ人のみで構成される世帯への支援が対象。こうした世帯の玄関先から、地域の集積所まで家庭ごみや紙類などを運ぶと、1回140円を支給する。

 今年度末までの上限額は1団体当たり4万8千円。市の今年度当初予算案に計上されている。

 高齢化に伴ってごみ出し支援のニーズが増えているとして、他の政令指定市では千葉市新潟市が同様の支援制度を採り入れている。また11市では市職員らが直接、対象者のごみを運んでいるという。

 同課は、ごみを運ぶ際の声かけなどについては、当面は求めない。ただ、今後は地域での見守りを兼ねる取り組みに広げたい考え。「特別な技術が必要ではなく、多くの団体に参加してもらい、持続できる事業にしたい」としている。

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>


働きたい障害者を支援 鎌倉市が「二千人雇用センター」開設

2018年08月12日 12時44分50秒 | 障害者の自立

 鎌倉市は、市福祉センター(御成町)一階に障害のある人の就労や職場定着を支援する「障害者二千人雇用センター」を開設した。利用は市民が対象で「ぜひ社会参加や自立に役立てて」と呼び掛けている。

 センターでは、働きたい障害者の相談を受けたり、仕事を続けるための生活支援をしたりする。こうした機能を備えた障害者就業・生活支援センターは県内に八カ所あった。

 ただ、鎌倉市民を対象とするセンターは横須賀市内にあり、立地面などから利用は少なかった。

 このため、市は独自で開設することにした。名称の「二千人」は、市が掲げる障害者就労の目標人数で、現在は約千二百人と推計している。

 利用希望者はまず、電話で相談し、必要に応じて面談日を設ける。市内の事業者の相談にも応じ、障害者雇用を増やす働き掛けなどにも取り組む。相談はいずれも無料。

 センター長の高野宏章さんは「センターのことを知ってもらい、企業で働きたいと思っている人に活用してもらえたら」と話す。

 問い合わせは、同センター=電0467(53)9203=へ。

面談室も備えた障害者二千人雇用センター

2018年8月10日         東京新聞


精神障害者の強制入院 議論が活発化 医療の防犯利用、懸念

2018年08月12日 12時02分56秒 | 障害者の自立

 多くの刑事事件に鑑定医として関わった独協医科大埼玉医療センター(越谷市)の井原裕教授(精神医学)が、著書「相模原事件はなぜ起きたのか」(批評社)を出版した。相模原市の障害者施設殺傷事件を機に、精神障害者を強制的に入院させる措置入院を巡る議論が活発化したが、井原教授は精神医療が犯罪防止に利用されることを懸念。司法による歯止めが必要と訴えている。

 殺人罪などで起訴された植松聖被告(28)は事件前、障害者殺害を示唆する言動を繰り返して措置入院させられ、医師の判断で、十日ほどで退院していた。井原教授は「なぜこんな危険な人物を野放しにしたのかとの批判が集まり、精神障害者がスケープゴートにされた。措置入院は治療のための制度で、医師に治安維持の責任を負わせるのはおかしい」と話す。

 事件後、厚生労働省の検討チームは「退院後の支援が不十分だった」として、自治体が全患者の支援計画をまとめるよう提言。精神保健福祉法の改正も目指したが、障害者団体は「監視強化につながる」などと反発、昨年廃案となった。

 井原教授は「措置入院には、医師と自治体の判断だけで患者を拘束できる危険な側面がある」と強調。「強化の方向に動けば、『逮捕状なき逮捕』がまかり通ることになり、大多数の善良な患者に不安を与えることになる」と指摘する。

 著書では、統合失調症患者が書いた支離滅裂な文章を例に、精神疾患と、ヘイト(憎悪)の思想を含む思い込みとの違いについても説明。「プロの医師でも判断を誤ることはある」として、措置入院の決定や解除に裁判所が介入し、現在は定めのない入院期間についても期限を設けるべきだと提案する。

 偏った考えに基づいた凶行をどう防ぐのか。「事件は刑事政策と精神保健福祉法のはざまで起きた。医者にできるのは病気を治すことで、退院後、危険な考えを持った人物を警察に引き継ぐ仕組みがないことも問題。司法もブレーキ役として関与し、三者の連携を密にしていくしかない」

<相模原障害者施設殺傷事件> 2016年7月26日未明、津久井やまゆり園で入所者の男女19人が刃物で刺されて死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。元職員植松聖被告(28)が17年2月、殺人罪などで起訴された。横浜地検は5カ月間の鑑定留置で、完全責任能力が問えると判断。被告は16年2月、障害者殺害を示唆する言動を繰り返して措置入院となり、翌3月に退院したが、相模原市などは退院後の住所を把握せず、対応が不十分との指摘も出た。被告は逮捕後も障害者を差別する主張を続けている。現在、弁護側の請求による精神鑑定中。

「相模原事件はなぜ起きたのか」を出版した井原教授

2018年8月10日       東京新聞 


『バリバラ』で障害者が戦争中の過酷な差別を告白

2018年08月12日 11時32分31秒 | 障害者の自立

「役に立たないから死ね」はいまも杉田発言や自民

党の政策に

 終戦から73年。今年も各メディアで戦争を振り返る企画が組まれているが、「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティの人たちのバリアをなくすために考える」情報バラエティ番組『バリバラ』(NHK Eテレ)も、8月5日放送回にて「障害者×戦争」と題して戦争特集を放送した。

 これは、戦争を経験した世代の障害者に、戦争中どのような体験をしたのかを語ってもらう企画だったのだが、そこで語られたのは、人を人とも思わぬ扱いを受けたという、あまりにも過酷な体験の数々だった。

 まず登場したのは、現在93歳の松田春廣さん。重度の脳性まひをもっており、生まれつき身体が不自由な松田さんは学校に入学することも認められなかったのだが、徴兵検査なしで徴兵免除とはならず、徴兵検査を受けさせられることになった。そこでの体験は生涯忘れられないものになったという。

「昭和19年、私は20歳でした。徴兵検査があり受けさせられました。みんなで裸になり検査を受けました。裸に(されて)辱め(を受けた)。みんな笑ってた。『穀潰し』って言われた」

 松田さんはその後、戦況が悪化して食糧難になってからはご飯を与えてもらえなくなったという。口減らしのため「間引き」されそうになっていたのだ。松田さんは続けてこのように語っている。

「恐ろしいことだ。私は殺されていたかもしれない。それはハッキリ言いたいな」

 戦争の極限状態のなかにいれば人間はどこまでも残酷になる。脳性まひで生まれつき足が不自由な現在79歳の上村慶子さんは、6歳のとき空襲をきっかけに家族から「死んでしまえ」と言われた体験を語る。

 上村さんは足が不自由なため、母に背負われて逃げたのだが、防空壕から母がはみ出してしまったという。上村さんは番組内で詳細に説明していないが、おそらく、足の不自由な子どもを背負って逃げるのが遅くなったため防空壕がいっぱいになってしまい、母が入れなかったということなのだろう。無事、ケガひとつすることなく空襲を乗り切ったのだが、その際、きょうだいから言われた言葉は残酷なものだった。

「『お前のようなものがいるから。こんなつらい目にお母さんをあわすなら死んでしまえ』っていう言葉が返ってきました。母が『慶子に言った言葉を取り消しなさい』って言いましたけど、本当に歩けないってことは、こんなつらいものかと思いました」

「死ね」との言葉を投げつけたのは家族だけではない。上村さんは続けて語る。

「近所の人でしたけど、『子どもを死なせなさい』って、『去勢しなさい』って。社会全体がそうだったんですね。もう生きていく資格もない。生きていく資格のない者は殺せって」

 優生思想が幅をきかせた戦時中は、教育現場でも残酷な扱いが公然と行われていた。番組では、1943年7月2日に京都盲学校で満州建国大学の森信三教授が話した講話を紹介している。

〈あなた方は少年航空兵にもなれず 潜水艦にものれず 直接召に応じて出征することが出来ない身の上であります。敵と体あたりをして散ってゆく同年輩の青年 さうした人々と自分とをひきくらべてみて 目の不自由から来る 身の至らなさに思ひを致されなければなるまい〉

 戦争の役に立たない人間は生きる資格がないとでも言わんばかりの言葉で、これを聞かされた生徒の心中は察するに余りある。

 ただ、『バリバラ』の戦争特集が伝えたのは、戦中世代の障害者が語る筆舌に尽くしがたい体験を受けたという過去の記憶だけではない。2018年のいまも、この社会でまったく同じことが起きていることを指摘したのだ。

2018.08.10          Litera