八木先生の覚え書き/47
戦前の運動、戦後の解放運動を理論と実践の両面で指導した朝田善之助氏(1902~83年)の遺志を継承する「朝田善之助記念館」(京都市左京区浄土寺西田町)がこの17日にオープンします。朝田氏は、筆者の初期の問題学習に決定的な影響を与えた存在です。また、生前、親しくお付き合いいただいたこともあって、朝田氏死去の折に本紙に追悼評伝を執筆したのは、当時毎日新聞大阪学芸部にいた筆者でした。そうした抑えきれぬ懐かしさを胸に、開館準備作業中の同館を訪問しました。
応対してくださったのは、同館館長で、設立母体の朝田教育財団の理事・事務局長でもある井本武美さん(79)。井本さんは兵庫県三木市の被差別の出身で、立命館大在学中の1958年、朝田さんの地元・田中(京都市左京区)での勤評闘争(田中子ども会は3日間の同盟休校を貫徹、京都府・市との自主交渉も行なった)に参加、そこで朝田氏と出会って惹(ひ)きつけられ、以後、中学教師を続けながら田中に住みついて、朝田氏の一番弟子として行動を共にされました。筆者などは若い頃、そのような井本さんを、失礼ながら、「朝田派の大番頭」と呼んでいました。「僕にも、その自負はある」と、運動方針案を書く時もビラを作成する時も、朝田氏の口述を井本さんが筆記するといった共同作業だったことを明らかにされました。
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さて、朝田氏については、いわゆる朝田理論を抜きに語ることができません。「日常、に生起する問題で、民にとって不利益な問題は一切差別である」という命題は、朝田氏によって解放同盟第12回大会(57年)で打ち出され、その後、運動方針にも明記されます。この命題について井本さんは「何もかも差別だというのではなく、の歴史性と社会性に照らしての主張でした」と。つまり、にとっての不利益問題は、当該に偶然起きたものではなく、の歴史性と社会性に根ざして起きたもの、換言すれば、差別によって必然的に生じている社会現象であるということです。同和対策審議会答申(65年)の前年に初めて被差別の生活実態調査に参加して、差別に起因する悲惨と貧困を現認した筆者(当時、大学の2年生でした)には、胸にストンとおちる命題でした。
その後、朝田氏や井本さんらはこの命題を発展させ、有名な「三つの命題」路線を構築していきますが、専門的に過ぎるのでここでは割愛します。ただ、その第一命題「差別の本質」については現在も議論のあるところなので、少し触れておきます。一般には、差別の本質を「市民的権利が行政的に不完全にしか保障されていない」ところに見出してきたが、井本さんは「朝田さんのすごいところは解放運動を階級的視点から捉え返した点です。つまり、民が差別によって主要な生産関係から除外され、労働市場の最底辺を支えさせられていることを明らかにしたのです」と。もちろん、生産関係という概念をどのように規定するかによって、朝田理論への評価は分かれるのですが、今日の問題として、非正規労働者の収入が正規労働者の6割程度以下の現状を考えると、被差別の人びとの収入も一貫して非民の6割以下だったという事実はやはり重く、その点は井本さんの指摘どおり、「被差別は国内植民地ともいうべき状態に置かれてきた」と言えるかもしれません。
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では、解放運動の現状をどう見るか。井本さんは「人権啓発活動はあっても解放闘争がない」と手厳しいのですが、少子高齢化などで全体が空洞化する現状では、ある程度までやむをえないことかも。
筆者の卒業論文のテーマは問題でしたが、その際、上記した朝田理論に触発され、その延長線上でK・マルクスの「黒人は黒人である、だが一定の社会関係において彼は白人の奴隷になる」との言説に魅惑されました(村田陽一訳『賃労働と資本』国民文庫版、44ページ)。問題は黒人の肌の色ではなく、黒人を白人の奴隷にしてしまう社会関係(むろん、その中心は生産関係です)にある以上、問題解決は黒人を白くすることではなく、社会関係を変革するところからしか展望できないというわけです。一般化して言えば、黒人は黒人のまま、女性は女性のまま、障害者は障害をもったまま、民は民のまま、人間として全面的に解放されねばならぬという考え方です。
朝田氏の魅力は?との筆者の問いに、井本さんは「アジテーター(扇動者)ではなく、オルガナイザー(組織者)だったことと、学者・文化人との上手な付き合いによる理論学習の方法でしたね」と。尋常小学校しか出なかった朝田氏は一方で底辺労働者の気持ちをよく理解し、他方では京都帝大経済学部の河上肇博士や山岡亮一博士からマルクス経済学の手ほどきを受けていたとのことです。逆に朝田氏の短所は?と聞くと、「僕の妻は朝田さんの兄貴の娘なんでね、ケチはつけにくいが、あえて言えば、方針がコロコロとよく変って、僕らを右往左往させたことかな」。
新設の「朝田善之助記念館」はヒノキの間伐材を用いた木造2階建て延べ約160平方メートル。土地は朝田氏の孫・朝田華美さんが提供し、寄付金などを建築費にあてて完成。ここには約5万点の書籍、資料、記録ノート、口述筆記草稿などが収納されますが、井本さんによれば、最大の宝物は、その時々の運動現場を如実に示すビラ類および冊子類だとか。公開原則は守るものの、差別的な利用を回避するため、事前の閲覧申し込み制をとることになるようです。筆者が井本さんにインタビューした部屋は、朝田氏が晩年を過ごした田中の市営アパートの一室を再現したもので、かつて2~3度、ここを訪れたことのある筆者は、あまりの懐かしさに長時間居すわってしまいました。
毎日新聞 2018年7月7日