goo blog サービス終了のお知らせ 

ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者アート楽しんで 創造豊かな30点並ぶ

2018年03月13日 15時09分17秒 | 障害者の自立

 障害のある人のアートのルーツと人類がたどったアートの共通性を探る「モノが物語る意匠(デザイン)の文化史」(あいサポート・アートインフォメーションセンター主催)が、鳥取市本町1丁目の「鳥たちのいえ」で開かれている。縄文土器を想起させる粘土造形など、県内外の障害のある人による創造性豊かな約30点が会場を彩っている。入場無料。18日まで。

 一般財団法人たんぽぽの家(奈良市)の協力で、昨年11月に奈良県で開かれた第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会であった企画展の一部を展開した。

 古代から時系列で展示。「たんぽぽの家アートセンターHANA」で活動する山野将志さんによるアクリル画は「ラスコーの洞窟壁画」に触発された生命感あふれる大作。縄文土器のような造形の焼き物、埴輪(はにわ)を連想させる人形も目を引く。

 近代の伝統工芸や手仕事にも着目し、米子市のNPO法人「おりもんや」によるかすりの衣服も並ぶ。

 たんぽぽの家のキュレーター、宮下忠也さん(41)は「(障害者アートは)特別な営みではなく、人類の底流にある創造性とつながるのでは。一つのアートとして楽しんでほしい」と話す。

 関連展示として同市のとりぎん文化会館で15日まで、山野さんの個展「森羅万象」を開催中。

埴輪を想起する作品など古代アートとの共通性を感じさせる作品が並ぶ会場

2018年3月11日   日本海新聞


兄は障害者…家庭内暴力から一転、突然引きこもりに

2018年03月13日 14時50分24秒 | 障害者の自立

“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 暴力的だった兄は、次第に家から出ない状態に変化していきました。

高校退学後、兄は急に内向的になった

大声をあげながら夜中に帰ってきたり、学校では “ヤンキー系” でヤンチャをしたりしていた兄。しかし、高校を退学させられた後は、だんだん世の中のギャップに気づきだしたのか、家から出ない日々が続きました。もちろん、中卒扱いで働く場所もない。外に出れば、好奇の的。だからといって、新しい予備校に行くという意欲もない……。

母は「中学生までは、自慢の子供だった」と言います。運動神経が良く、足も速くていつもリレーの選手。ルックスもよくてオシャレが好きだった兄は、ファンクラブができるほど人気だったからです。それだけに、急に高校からいなくなった “人気者で目立つ兄” の噂は、瞬く間に広がっていきました。そして、自分の悪事に対して後から反省し始めたのか、兄は知り合いに合うたびに引け目に感じるようになっていきました。

2階にある兄の部屋は、孤立していた

両親は、兄の将来を考えて進路を応援する取り組みをしていましたが、兄は乗り気ではありませんでした。それどころか、部屋から出なくなっていったのです。基本的に部屋のドアを開けるのは、トイレのみ。歯磨きもしない、顔も洗わない、お風呂も入らない。ご飯を用意しても、リビングには来ない。同じ服を何日も着て、布団から出ないんです。「ねえ、お兄ちゃん、お風呂入ってスッキリしたらどう?」と母は、怒ることなく自分の部屋に何日も引きこもる兄に声をかけていました。

「ご飯ができたから、リビングにおいで」と呼んでも出てこなければ、母は兄の部屋の前に、お味噌汁やご飯、焼き魚をトレーに乗せて「ドアの前に置いとくから、食べてね」とひと言。数時間経って、そーっと2階の階段を上ってトレーのご飯が減っていれば、片付ける。その繰り返しの日々が続きました。両親は無理に部屋から連れ出そうとはしませんでした。

自分が撒いた “種” は、荒れ果てていた

正直、兄に関して父より母のほうが献身的だった気がします。自分がお腹を痛めて “産んだ子” だからなのか、母はいつも兄の味方でした。見ていて苦しくなるくらい……。父は仕事から帰ってくると、たまに「疲れて帰って来ても、家の中では休まらんわ」と愚痴をこぼすこともチラホラありました。

「知り合いに会いたくない」と兄がいっても、「お前が撒いた “種” だろ?」と冷たく言い返すこともありました。まさに、私は父が言った通りだと思います。“撒かない種に、芽は出ない” とよくいいますが、自分が撒いた後の畑には、必ず何かしらの “芽” が出ます。兄の畑は、荒れ果てていました。まるで、水のない乾燥した状態を耕さずにそのまま放置し、雑草が生えてぐちゃぐちゃになった畑。それは、兄が撒いた “種” の結果だったのです。

そんな状況をなんとか打破するべく動いたのは、やはり母でした。パートをやめ、次のステップに踏み出しますーー。

心音(ここね) — 2018.3.11


障害者自立へ、口腔ケア商品を販売 熊本市の支援事業グループ

2018年03月13日 14時41分18秒 | 障害者の自立

 熊本市内の約20の障害者就労支援事業所でつくる「はーとアラウンドくまもと」は、高齢者らがのみ込んでも無害な口腔[こうくう]ケア商品の販売を始める。障害者の自立を目指して商品を開発した横浜市のベンチャー企業と協力。同団体の福島貴志会長(54)は「共同で取り組むことで販路を広げ、工賃アップにつなげたい」と話している。

 ベンチャー企業「トライフ」の手島大輔社長(47)は障害者2人の父。「障害者の工賃平均は月額1万円台。親亡き後に子どもたちの生活がどうなるのか不安を抱えていた」という。また、がんになった父親の介護をする中で、高齢者の口腔ケアの難しさを目の当たりにした。

 「障害者が自立するには強力な事業が必要」と考え、九州大などと協力して高齢者も安心して使える口腔ケア「オーラルピース」を開発した。

 歯磨きジェルとスプレーで、虫歯菌や歯周病菌に効く。おからや梅からできた天然素材を使っているため、のみ込んでも胃腸で消化されるという。

 トライフは2013年にオーラルピースの販売を開始。障害者が製造、販売、納品などを行うビジネスモデルを確立した。現在、全国約300カ所の障害者施設が販売している。小売価格はいずれも1080円。

 熊本地震後、益城町などの避難所に無料で配布した。のみ込めるため歯磨きに水がいらず、被災者に喜ばれたという。

 「はーとアラウンドくまもと」の20事業所が、一つの商品を共同で仕入れ、販売するのは初めて。トライフとの協力で障害者の工賃アップを図る。

 「高齢者らに役立つ商品を扱うことで、障害者にとっても『社会を支えている』という自信につながる」と福島会長。「水がいらない歯磨きとして、行政や高齢者施設の防災用備蓄としても売り込みたい」と販路拡大を狙う考えだ。

 18日、熊本市中央区の花畑広場などで開かれる「オハイエくまもと」の音楽祭で販売を開始。各事業所やイベントでも売り出す。熊本YMCA就労支援センターTEL096(312)1333。

のみ込んでも無害な口腔ケア商品の販売を始める「はーとアラウンドくまもと」関係者ら。中央は開発したベンチャー企業「トライフ」の手島大輔社長
 
2018年3月12日   熊本日日新聞

視覚障害疑似体験、雑貨販売 オアシス21

2018年03月13日 14時34分42秒 | 障害者の自立
  名古屋市東区の「オアシス21」で11日、視覚障害を疑似体験するイベントが行われた。障害者への理解を深めてもらうために、愛知県が5年前から行っているもので、視覚障害を疑似体験するブースなどが設けられた。障害者が作った雑貨などの商品も販売され、県の担当者は「障害があっても働くことができると知ってもらい障害者の雇用促進につなげたい」と話した。
3/12     中京テレビ

支える絆あればこそ つながり求め母は輪の中へ

2018年03月13日 14時20分54秒 | 障害者の自立

支える絆あればこそ つながり求め母は輪の中へ /兵庫

 ユニバーサルファッションショーでウエディングドレスを着た脳性まひの高山麻貴さん(44)は現在、神戸市長田区のシェアハウス「リ・スマイル」で、運営するNPO法人「ウィズアス」の支援を受けながら1人暮らしをする。同市須磨区で暮らす父・二雄(つぎお)さん(70)と母・由美子さん(67)は「親亡き後」を考え、同居していた長女を自立させる決意をした。このシェアハウスにたどり着くまで、親子は各地をさまよった。第三者の支援の輪の中に入り、ようやく親子が落ち着ける“安住の地”を得た。

  証券会社に勤務していた二雄さんはいわゆる転勤族だった。福岡県久留米市から、堺市、大阪市、神戸市と一家は住まいを転々とした。バブルさなかの頃、夫の帰宅は毎日、深夜になっていた。自然に子どもの療育は妻が一手に担う。

 由美子さんの立場を考えると、重い障害がある娘を抱えながら、見知らぬ土地で生活する母親の精神的負担は計り知れない。周囲には自分たちを支えてくれる人もいない。受けられる障害者福祉サービスも一様ではなく、引っ越す度に自治体間格差に戸惑った。

 それでも、由美子さんは気後れすることなく麻貴さんを連れて地域の輪の中に入っていった。娘を隠すのはやめよう。それより一歩進んで、娘の存在を地域の人々に知ってもらおう。麻貴さんが生まれてから、そう夫婦で話し合っていたが、新しい地域になじもうとする姿勢は、転居の度に身につけた母親の「たくましさ」だろう。

   ×  ×

 「助けて。まだ麻貴が、娘がベランダにいるんです」。由美子さんは大声で叫んだ。1980年7月11日の昼下がり。三つ目の転居先の大阪市港区の11階建てマンションの9階自宅で、由美子さんは家事の疲れからうたた寝をしていた。麻貴さんと1歳違いの次女の泣き声で目を覚ますと、部屋は炎に包まれていた。「早く逃げよう」。娘たちをせかして部屋を脱出すると、次女が「お姉ちゃんがいないよ」と叫んだ。

 当時小1だった麻貴さんは、ベランダに取り残されていた。もうそこまで助けに行けない。「助けてー」。母は何度も叫んだ。聞きつけたマンション近くの米配送会社の従業員が非常階段から9階まで上がり、間一髪、隣室から麻貴さんを救出してくれた。自宅は全焼した。

 由美子さんの日ごろの近所づきあいで、地域の人々は「あの家庭には障害のある子がいる」と知っていた。地域とつながっていたからこそ救われた命。由美子さんは改めて、地域で支え合う重要性を感じた。

   ×  ×

 95年1月17日の阪神大震災では、一家は無事だったが、須磨区の自宅が半壊。麻貴さんを通わせていた神戸市立垂水養護学校(当時)で同じ保護者だったNPO法人「ウィズアス」代表、鞍本長利さん(67)=同市長田区=が安否確認に来てくれた。同校を障害者専用の福祉避難所として開設するから、避難するように勧められた。麻貴さんは以後144日間にわたり他の仲間やボランティアと避難所で暮らした。

 そこで励まし合って培った絆は、さらに強くなる。地域で暮らしたいという障害者仲間の願いを実現しようとシェアハウス構想を描いた鞍本さんに、高山さん夫妻は共鳴。2014年5月に開所したシェアハウスに麻貴さんを入居させ、二雄さんは「ウィズアス」の理事にも名前を連ねて、運営に協力する。

 由美子さんは「親子だけで生きていくには限界がある。支えてくれる絆があったから、私たちもようやく落ち着くことができた」としみじみ語る。