ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

椅子を引く、よくあるイタズラで、国体を目指していた僕は寝たきりになった。そして...

2017年06月01日 03時34分51秒 | 障害者の自立

この日(2014.7.2)から俺の人生はガラッと変わった。

3時間目の授業が終わり友達と早弁をした。食べ終わった後机の上が少し汚れていたから隣の子にティッシュを貰う為席を立った。ティッシュをもらい椅子に座ろうとした時に、後ろにいた女の子がふざけて俺の椅子を引いた。

俺は不意打ちにやられたから対応する事もできず後ろにあった机の角で背中を強打し床にお尻から突き上げるように落ちた。

その瞬間、背中と腰に異常な激痛が走った。そしてクラスメイトの子達に保健室までタンカで運んでもらった。保健室についてすぐに強打した背中から順に下半身が痺れ始め大変だと思い救急車で病院に運ばれた。

そして病院でMRI、CT、レントゲンなどの検査をし2週間入院する事になった。

検査の結果は脊髄が潰れた感じになっていて手術が必要だ。と医者に言われた。

正直その言葉を言われた瞬間涙が溢れた。

その週には国体の選考会があり数ヶ月後にはウィンターカップを控えていたからだ。

手術をしないと今後身体に影響が出ると言われたから泣く泣く手術する事を決断した。

そして国体を辞退しウィンター予選はチームの皆に託し手術をした。強力な全身麻酔を使い9時間行なった。意識が戻った時には下半身も動き成功したと思われた。

しかし3日後、切り口の中が痛くなり検査をした。そしたら血栓ができていた。緊急手術を行う事になった。2回目の手術も強力な全身麻酔をし5時間手術をした。

手術が終わりICUの中で目が覚めた。

目が覚めた時、異常な頭痛と吐き気と意識がほぼ無い状態で本気で死ぬ寸前だった。

1週間意識がなく病室で寝かされていた。ちゃんと意識が戻った時は周りに家族がいてなんとなく久しぶりに安心した。

けどここからが俺の山場だった。身動きができず寝たきり生活が2ヶ月。その間で髄液を抜くために極太のブロック注射を背中に5回刺され相当な痛みだった。

やっとベッドを起き上がれるようにもなり車椅子生活が半年続いた。手術後初めて床に足をつけた時本当に下半身がない感じで宙に浮いてる気分だった。

それから毎日リハビリが始まって3ヶ月後物を使って歩行ができるようになりどんどん良くなってきた。

約1年リハビリ入院し、大学の入学式があるため退院をし兵庫県の大学に松葉杖で門に足を踏み入れた。

約1年中途半端だけど大学に通った。

でもやっぱりこの身体で通う事は本当に辛かった。バスの中では押し倒され転倒したり道で歩いてていきなり力が抜け転倒したりと大変だった。僕は限界を感じもっとリハビリをして杖なしで歩けるようになりたいと思い親と相談して1年間休学する事を決めた。

現在は地元で毎日リハビリに励んでいてその結果下半身の麻痺は治っていないが杖なしで歩けるようになった。

たくさん希望がみえてきた。来年の3月にはまた大学に戻るけど前よりは心と身体に余裕ができると思う。そして将来を考え車椅子バスケをやると決めた。

本当は小学校からの夢であったプロバスケの選手になりたかったけど今は自分の身体を受け入れて新しい夢を決めた。

俺は頑張るよ。

で、俺はこの身体になってたくさんの経験ができた。

家族の有り難さ。周りの支え。障害者の方の見方。心の中の考え。本当にたくさん学ばせてもらえた。

今更過去の事を言ったって戻れない。

それなら先の楽しい事とかチャレンジしたい事を作って生きた方が楽しい。

先輩、友達とかに色々連れてってもらって話をする事も俺の中では学び。

これからもたくさん経験してこの身体でも何でもできるんやぞ!!!ってのを証明する。

俺の一番でかい目標は「車椅子バスケで自分の名前(山田雄也)を広めること」

頑張ります。

最後に、この先本当に何がいつ起こるかわかりません。でももし何かが起きても独りだけじゃありません。

周りに温かいハートがたくさんいます。

以上。俺の2年間の「辛い」「我慢」「経験」「大切さ」「幸せ」の話でした。

読んでくれた方本当にありがとうございます。お互い頑張りましょう。

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2017年05月30日    ハフィントンポスト


複合福祉施設を建設 21年3月開業予定

2017年06月01日 03時29分39秒 | 障害者の自立

 川崎市は29日、川崎区の旧福祉センター跡地に高齢者や障害者向けの支援サービスを提供する複合施設を建設すると発表した。社会福祉法人などとの共同事業で2019年1月に着工し、21年3月の開業を予定している。

  地上8階建て(総床面積1万4000平方メートル)で、市が約21億円で取得する1~3階部分(同約4000平方メートル)にリハビリセンターや福祉研修センター、防災備蓄倉庫などを設置。4階以上は、社会福祉法人三篠会(広島市)が運営する特別養護老人ホームや障害者支援施設を置く。

 旧福祉センターには視覚障害者向けの図書館や老人ホームなどが入居していたが、耐震性の問題などから14年8月に廃止された。

毎日新聞   2017年5月30日


<ブラインドサッカー>国際大会 初Vに貢献

2017年06月01日 03時21分04秒 | 障害者の自立

国際大会の優勝メダルを手に笑顔を見せる鈴木里佳さん

 仙台市を拠点に活動しているブラインドサッカーのクラブチーム「コルジャ仙台」の鈴木里佳さん(27)=宮城県登米市=が、日本代表に選ばれて活躍している。オーストリアで今月開かれた初の国際大会にも出場し、世界の強豪チームを破って優勝を果たした。
 鈴木さんは目に入る光の調節ができない先天性の無虹彩症(むこうさいしょう)で、視力は極度に低い。筑波技術大(茨城県つくば市)の学生時代にブラインドサッカーと出合い、同大チームのマネジャーを務めた。
 卒業後、2012年に設立された東北唯一のクラブチーム「コルジャ仙台」に加わった。コルジャはポルトガル語で「フクロウ」の意味。
 当初は試合中、自チームの選手にボールの位置や相手選手の情報を伝える「ガイド」だったが、体力を評価されて選手に転向した。
 今年1月の女子日本代表選考の際は「競技経験がまだ浅く、不安しかなかった」と言う鈴木さんだが、各国がトーナメントで戦った国際大会で、4試合全てに出場。無失点で優勝した日本チームの守備の要として活躍した。
 体が大きい海外の選手に対しても、恐れずに自分の体を密着させていく「勇気の1歩」を合言葉にチームメートと頑張ったという。
 「国際大会に出場してから、いろいろなことを前向きに考えられるようになった」と成長を実感している鈴木さん。ブラインドサッカーの普及も願い、働きながら練習に励んでいる。

[ブラインドサッカー]視覚障害者による5人制のサッカー。フィールドプレーヤー4人はアイマスクを着用、ゴールキーパーは弱視の人か健常者が務める。

2017年05月31日   河北新報


長崎、全九州研究集会が開幕 災害時の人権保障考える

2017年06月01日 03時14分40秒 | 障害者の自立

 「人権社会確立全九州研究集会」が30日、長崎市で開会した。災害時の人権保障をテーマにした講演などがあり、さまざまな困難に直面する人たちとの連帯や、社会で多様性を認め合う重要性を確認した。

 熊本学園大学社会福祉学部の花田昌宣教授が、熊本地震で大学が避難所として開放された際の経験を報告した。障害者や高齢者も受け入れ、管理ではなく「配慮」を原則として車いすの人が過ごせるように空間を確保し、24時間態勢で運営したことを振り返った。

 「災害が起こる前の在り方が問われる」と指摘し、「地域や学校で日常的に、障害がある人と暮らす環境があれば、災害時も『じゃあ何をしようか』となる。多様な人が一緒に生きていける社会をつくっていくことが大事」と強調した。

 解放同盟の組坂繁之中央執行委員長は昨年に施行された差別解消推進法を評価した上で、生活実態調査や意識調査の実施、法に基づいた自治体での条例整備の必要性を訴えた。「問題を柱とした人権教育の再構築をしていく必要がある」とも述べた。

 集会は行政関係者や教職員ら約3千人が参加した。31日は分科会で議論を深める。

 熊本地震をテーマにした講演などを通じて人権を考えた集会
 
2017年05月31日   佐賀新聞

精神医療審査会  措置入院審査の不備常態化

2017年06月01日 03時10分18秒 | 障害者の自立

 精神科病院に患者本人の同意なく入院させる措置入院や医療保護入院が適切かを審査する自治体の「精神医療審査会」について、委員の出席者数の要件を満たさずに開かれたケースが2011年度以降の6年間に12道県と4政令市であったことが、厚生労働省の調査などで分かった。全都道府県と政令市の約4分の1に当たる。要件に不備がある状態で少なくとも約2万5000件が審査された。

 審査会は精神障害者の人権に配慮し、対応をチェックする機関。精神保健福祉法に基づき自治体ごとに複数の合議体が設けられ、病院管理者から定期報告を受けたり、患者・家族の請求で入院継続の妥当性を判断したりする。昨年以降、一部自治体で委員出席数の要件を守らずに開催していた問題が表面化し、厚労省が調査した。

 定数5人のうち医療、保健福祉、法律の3分野から各1人以上の出席が必要だが、同省や各自治体への取材によると、11年4月~16年12月に出席要件を満たさずに開かれたケースは北海道、岩手、岐阜、鳥取、徳島など12道県で確認された。政令市もさいたま、相模原、広島、福岡の4市であった。

 欠席する委員に意見書を提出してもらう形を了承する自治体や、各分野の委員出席が必要と理解していない自治体もあった。

 要件を満たさない開催が最も多いのは埼玉県で44回。岐阜県40回、岩手県22回が続いた。審査件数も埼玉県が最多の計1万2165件で、ほかに岐阜県が4277件など。厚労省は法令順守を求めるが、多くの自治体は「一度決めた審査会の日程を動かすのは容易でない」とし、意見書を認めるなど柔軟な対応を求める声もある。

(共同)毎日新聞   2017年5月30日