ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

視覚障害者がドローン初めて体感

2017年06月21日 03時27分49秒 | 障害者の自立

プロペラ触れ、飛行音聞く

 視覚障害者にドローンを知ってもらう研修会は18日、福井市光陽2丁目の県視覚障害者福祉協会情報提供センター近くの駐車場で行われた。視覚障害者はドローンのプロペラを手で触ったり、飛ぶ際の音を聞いたりして体感した。

 同福祉協会の小山尊士会長によると、ドローンの名前は知っているものの、実際どういうものか分からず、機材を触ったこともない視覚障害者が多い。初めての企画で、全国的にも珍しいという。

 研修会には同福祉協会の役員や職員ら約60人が参加した。若狭町のプロカメラマン、土明信夫さん(57)が仕事で使うドローン2機を持参した。障害者らは機体を手で触りながら「このプロペラが回るの?」「ここにカメラがある」などと、興味津々の様子だった。

 土明さんは「このドローンは撮影用で物は運べない。17個のGPS電波を拾って飛ぶ」などと説明した。「音を聞いて形を想像する」と話す障害者らが見守る中、「ブルルン、ブルルン」とモーター音を響かせて宙に浮くと、障害者らから歓声が上がった。ドローンは高さ約20メートルまで飛び、地上で見守る障害者らを撮影した。

 小山会長は「音は静かで、小さくても素晴らしい機能を持っていることが分かった。視覚障害者も技術を習得し、飛ばせたらいいですね」と笑顔で話していた。

ドローンが飛ぶ際の音などを体験する視覚障害者ら

2017年6月19日   福井新聞


障害者用駐車場を適正利用してもらうパーキングパーミット制度導入は36府県

2017年06月21日 03時18分14秒 | 障害者の自立

制度に関するアンケート結果

国土交通省は、都道府県を対象に実施したパーキングパーミット制度に関するアンケート調査結果をまとめた。

障害者等用駐車スペースは、障害のない人が駐車するなどにより、障害のある人が駐車できない問題が発生しており、適正利用が求められている。国土交通省では、障害者等用駐車スペースを利用できる対象者の範囲を設定し、条件に該当する希望者に地域の協力施設で共通に利用できる利用証を交付するパーキングパーミット制度の導入を促進している。

調査は5月15日から25日にかけて実施した。

それによるとパーキングパーミット制度を導入しているのは全都道府県のうち、36府県。未導入の地方公共団体のうち、埼玉県川口市、埼玉県久喜市、沖縄県那覇市が独自に導入している。

制度の利用対象施設では「官公庁・公共施設」「医療・福祉施設」「大型スーパーマーケット・ホームセンター」などが多い。

身体障害者手帳に基づく利用対象者は地方公共団体によって異なる。妊産婦についても「産後3カ月まで」「産後6カ月まで」「産後2年間まで」などさまざま。利用証の有効期限も地方公共団体によってバラバラだ。

パーキングパーミット制度の対象になりうる人数は約10万~20万人程度が多い。このうち、約3割以下が利用証を所有している。

パーキングパーミット制度の対象となる駐車区画数は、回答のあった地方公共団体全てで増加している。パーキングパーミット制度の対象となる3.5m未満の駐車区画数では約8割、3.5m以上の駐車区画数では約9割の地方公共団体が区画数を増やしていく予定としている。

制度導入の理由では「障害者等が障害者等用駐車区画に駐車出来ない問題が生じたため」という理由が最も多く、約7割の地方公共団体が選択している。また、制度を導入したことによる成果について、約9割の地方公共団体が障害者等用駐車区画の適正利用が促進されたと回答した。

制度を導入後、問題や課題があると考えている点については、利用対象者数に見合う駐車区画が不足していることが最も多く、約7割の地方公共団体が選択している。

制動導入で罰則を導入しない理由では、実効性を担保できないことが最も多く、約6割の地方公共団体が選択している。

一方、パーキングパーミット制度未導入地方公共団体では、半数以上の地方公共団体が制度を導入する予定はないと回答。導入しない理由としては、行政事務負担に対して効果が薄いためという理由や、利用対象者数に見合う駐車区画が不足していることなどをあげている。

パーキングパーミット制度未導入地方公共団体では、約6割の地方公共団体が障害者等用駐車区画数を増やす予定はないと回答している。

 《レスポンス編集部》   2017年6月20日


ROX 障害者手作り製品専門ブランド 適正価格で販売、所得向上を支援

2017年06月21日 03時08分08秒 | 障害者の自立

 障害者支援施設で製作された雑貨などを適正価格で販売するROXが本格的に販路開拓支援に乗り出した。代表者の白岩圭さんは「一般商品と遜色なく、価値に見合った価格で売れれば作り手の収入がそれだけ増える。自立にもつながるのでサポートしたい」と語る。その一環として、障害者のハンドメード製品を扱う専門ブランド「コズミックマーケット」を立ち上げ、見事なデビューを果たした。

 それは5月24~30日に東京・新宿の東急ハンズ新宿店で開催した展示販売会。15の障害者施設が参加し、染め物や革製品、陶器などの手作り製品約200点が並んだ。

 足を止めた買い物客のほとんどは障害者が作ったものとは知らずに製品を手にしていた。木工パズルを気に入った外国人は「木製でこんなに繊細な外国製品はない」と驚いていた。日本語で書かれたメッセージカードも意味を知って喜んで買っていくという。30万円の予算に対し売り上げは50万円に達した。

 元大手百貨店のバイヤーだった白岩さんと障害者を結びつけたのは、途上国の生産者や労働者の生活に配慮し公正な価格で取引するフェアトレード。「以前はばりばり働き、『私が、私が』と競争に明け暮れていた。こうしたやり方に価値はないと気づかされた」と振り返る。

 そんなとき障害者が製作した商品の存在を知り、東京都町田市の施設を訪ねて衝撃を受けた。「織物や草木染などの作品は独創的で精巧に作られていたし、障害者は任された得意分野に黙々と打ち込んでいた」からで、国内フェアトレードとして取り組むことを決意した。

 施設で製作された商品の利益が障害者の賃金になるが、販路が自治体のイベントやバザーなどに限られるため販売につながらず賃金が上がることもなかった。しかも販路を熟知する施設職員はおらず、商品の値付けも分からない。素晴らしい商品にもかかわらず安価で売ってしまうことも多い。

 この悪循環から抜け出すのに白岩さんの経験が生きた。バイヤーだけでなく、卸売業やメーカーの職歴があり目利き能力を磨いてきたからだ。適正価格で販売できる場所の開拓と確保に貢献できる。つまり障害者の所得向上の力になれるわけだ。

 こうしてコズミックマーケットが誕生した。東急ハンズ新宿店では10、11月と展示販売会を開催するほか、福岡市を拠点とする生活協同組合、グリーンコープ連合と東都生協(東京都世田谷区)を中心に年4回ずつカタログ販売を開催。7月からはウェブショップも始める予定。施設のネットワークを100に広げながら、継続的な売り場を確保し障害者支援を拡大。こうしてROXは売上高を17年10月期に1500万円、3年後には1億円を目指すという。

【会社概要】ROX

 ▽本社=東京都町田市中町1-4-2 町田新産業創造センター内

 ▽設立=2013年11月

 ▽資本金=100万円

 ▽事業内容=障害者事業所の商品を専門に販売

SankeiBiz    2017/06/20


「盲学校の外の世界を知りたい」、一般企業で働く覚悟

2017年06月21日 02時56分11秒 | 障害者の自立

覚障がいのある吉田良二さんは大学在学中の就職活動で、100社近くの採用試験を受けたが、すべて断られた。それでも働きたいという思いを持ち続け、2003年4月、ワタミに入社した。現在は人事部で障がい者雇用を担当している。吉田さんは6月8日、慶應義塾大学商学部の中島隆信教授の授業「障害者の経済学」で、ワタミの障がい者雇用について講演した。その模様を報告する。

専門教育を受けた配慮ある先生、点字の教科書、理科の実験で使う音声式温度計、同じ障がいを持つ気の合う友人――。

「盲学校という快適な環境のなかで、不自由なく暮らしていました。でも、盲学校の外にはどんな世界があるのか。本当の社会を知りたかったのです」

吉田さんは先天性の視覚障がいがあり、小中高校と盲学校に通った。

「高校2年生になると、閉鎖された空間にいるのではないかと考え始め、だんだん息苦しくなってきました。学校の外には広い世界がある。障がいに理解がない人ばかりかもしれない。それでも、もっと世の中のことが知りたい、広い海に出たいと思うようになりました」

同級生の多くは、高校に併設された、マッサージ指圧師や鍼灸師になるための学校に進むことを決めていた。そのなかで、吉田さんは一般の大学への進学を志す。

「高校2年生のときに、父親が他界し、母親は内心早く就職してほしいと考えていたと思います。専門学校に3年間通えば、確実に働けます。しかし、母親と4年後に必ず就職することを約束して、一般の大学に進学しました」

約20 年前の当時、大学のキャンパスはバリアフリーからはほど遠かった。視覚障がい者に初めて会う人も多い。印刷されたプリントが読めないので、周りにいる知らない人に声をかけると、読み上げてくれる人も、接し方が分からずに無視する人もいた。

ワタミ人事部で障がい者雇用を担当する吉田良二さん。先天性の視覚障がいを持つ。点字ノートを使いながら講演した

「大変なことは多かったですが、大学に進学して良かった。どのように良い人間関係を築くのか、どうやって生きていくのかを学ぶ機会になりました」

■100社から「不採用」通知

大学4年生になり、就職活動を始めると、いきなり苦境に立たされた。

「当時は、一流企業に入れば幸せになれる、将来が保障されている、友人や家族にも自慢できる――と考えていました。きっと本気でやれば、内定一つはもらえるはず。ところが、約100社の試験を受け、いずれも不採用。電話で問い合わせした企業を含めると200社近くに上ります」

不採用の理由として「エレベーターに音声機能がないので働くことが難しい」「目が見えなければ電話応対も満足にできないのでは」といったことなどを挙げられた。

当然、吉田さんは落ち込んだ。「何のために働くのか、社会から必要とされているのだろうか。自分に生きる価値があるのだろうか」。そこまで思いつめた。

しかし、母親との約束もあり、あきらめるわけにはいかない。そうしたなかで、偶然、ワタミが主催したセミナーに参加することになった。

「働くとは『ありがとう』の気持ちを集め、人として成長していくこと。この話を聞いて、なるほどと思いました。当時のワタミは今ほど大きくもなく、正直なところ、飲食店に興味もなかったのです」

さらに、ワタミの面接担当者の言葉に心を動かされた。

「『障がいの有無は関係ない』『働きたいという思いと成長意欲、価値観に共感していることが大事』。この力強い言葉に勇気付けられました。それまで減点方式で不合格にされてきましたが、初めて自分を認めてもらえた気がしました。それから運よく内定をもらえ、ワタミで働くことになりました」

■「できないことが言えない」

実際に働いてみると、さまざまな課題に直面した。例えば、電話応対。新卒採用の部署で、学生からの問い合わせが多かった。吉田さんは「どこにだれがいるのか分からず、問い合わせに応えられるのか、電話に出るのが怖かった」と言う。

だが、同僚の「失敗しても良いから、電話を受けてみて。何かあったらすぐにサポートするから」という言葉に背中を押された。実際に電話に出てみると、何の問題もなかったという。

入社1年目は議事録作成や会議の文字起こし、入社3年目には新卒採用の広告やメールマガジン作成を任せられるようになった。入社5年目になると、研究会の準備や企画、運営などまで担当するようになり、入社7年目でようやく念願の障がい者雇用の担当になった。

「順調に思われるかもしれませんが、困難も多く、学ぶことの多い7年間でした」と、吉田さんは振り返る。

「できない」と言えないもどかしさもあった。できないことを障がいのせいにはしたくない。「できない」と伝えたら、仕事がなくなるのでないか。

頭では「締め切りまで間に合いそうもない」と分かっていながら、上司には「締め切りまでに仕上げます」と約束してしまっていた。当然、納期に遅れることが続き、仕事の評価は下がってくる。葛藤はあったが、できないとは言えなかった。

そんななか、上司と話し合うことになった。上司には、「目が見える、見えないに関係なく、人にはできることと、できないことがある。自分一人で仕事をしているわけではない。みんなで仕事をしていこう」と声を掛けられた。

吉田さんは「自分のなかにある壁を壊そう。必ず応援してくれる仲間がいる」と強く感じた。

■障がい者は単なる「弱者」ではない

「私の夢は障がい者に対する世の中のイメージを変えること。『弱者』や『かわいそうな人』ではなく、社会で一人前に働く存在でありたいのです。バリアフリーも大事ですが、完全にはなくなりません。障がい者に必要なのは、自身がバリアを乗り越え、社会で生き抜く力を付けること。成長意欲と環境があれば無限大の可能性があるのです」

2013年4月に企業の法定雇用率が2.0%に引き上げられ、2016年1月に「障害者差別解消法」が施行されるなど、障がい者雇用を取り巻く環境は徐々に変化している。

現在、ワタミでは外食店舗や工場、本社オフィスなどで244人(法定雇用率では3.96%)が働いている。

吉田さんによると、障がい者雇用の秘訣は、会社、家族、支援機関の3者が連携することだという。さらに、本人が抱える悩みはもちろん、店長など受け入れる側の悩みにも真摯に対応していく。年に数回、懇親会を開催するなど交流も深めている。

吉田さんは「障がいの有無や程度、特性で判断するのではなく、働きたいという意欲のある方をできるだけ多く、そして、できるだけ長く働いていけるよう、環境を整えたい。人事担当者として、一人ひとりにとことん向き合っていきたい」と力を込めた。

(オルタナ副編集長=吉田広子)オルタナ  2017年6月19日


【兄は障害者】行き場のない負の感情は、暴力と言葉で家族を突き刺す|#3

2017年06月21日 02時45分16秒 | 障害者の自立

“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 真夜中に帰宅する兄を中心に、家の中はピリピリムード。最悪の事態は、「暴力」となって繰り広げられていきました。   文・心音(ここね)  【兄は障害者】vol. 3

「鍵はもう開けなくていい」

確か私の記憶が正しければ、夜中の12時を回った時点で兄が帰宅しなかったら、ドアの鍵をかけるというルールでした。しかし、兄の帰宅はいつも夜中の3時ごろ。家族が一番熟睡している時間に、盛大な物音と共に帰ってくるのです。


「次はもう鍵を開けないからな」。いままで眠い目を擦りながらも兄を受け入れていた父親でしたが、こう何日も深夜帰宅が続くとしびれを切らして、「ここはお父さんが建てた家だ。もう、二度と帰ってくるな」と拒否に変わっていきました。それでも、「ドンドン」「ピンポーン」と近所迷惑を省みず、大きな音を立てる兄。あるとき、「おいっ! いいから開けろ! ガラスを割るぞ」と兄の叫び声が響くと同時に、父は玄関を開け、兄と取っ組み合いを始めました。


スポーツマンで筋肉もあり、背も高い兄は、本気で力を出せばかなりのパワーだったでしょう。父と腕を掴み合いをしながらリビングに移動し、その衝撃でテーブルのコップはひっくり返って割れる音が部屋に響きます。ゴミ箱やラックは足で踏み倒されて、足の踏場がない状態になりながら、父と兄は胸ぐらを掴み怒鳴り合いを続けました。


「危ないから、自分の部屋にいなさい」

「ねえ、お母さん…」。怖くて母の服を掴んでいた私は、父と兄の様子が気になって、じっと見つめていました。すると母は「自分の部屋に戻りなさい」と、リビングに行こうとする私を制します。それでも、私は目の前で繰り広げられている信じられない光景から目を逸らせませんでした。

 

胸ぐらを掴んでいた兄の手は、父の肩を殴り、頭を叩きだしました。「ドスっ…」「なんだ?お父さんを殴るんか?」とムキになった父は反撃。足で蹴ったりわき腹にパンチを食らわし、鈍い音が耳を突き刺します。私は耳を両手で塞ぎなふがら目をつぶりました。人は、本当に怖い想いをすると勝手に涙が出て体が震えるということを、この時知りましたね。そう、勝手にガクガクと震えるのです。何もしてないのに。

 

暴力は「言葉」にも宿ることを知る

 

今振り返ると、もっとも怖かった出来事があります。それは、父が仕事で不在のときに突然兄が機嫌を悪くして、母に八つ当たりするということでした。

 

母と私がリビングでテレビを見ていると、情緒不安定な兄が「ドタドタ」と足音を立ててリビングに歩いてくるときは、「…来た」と心の中で防御線を張る準備が必要です。テーブルの上のコップを手で跳ね除けては、「おいっ! 聞いてんのか?」といきなり喧嘩口調で母を攻撃し始めるのです。「お前は子育てに向いてない」「子供は親を選べない」「こんな家に生まれてくるんじゃなかった」など、理不尽な文句を浴びせてきます。

 

当時の私は、私をかばいながら母がウルウルとした目で兄の言葉を受けているのを眺めていることしかできませんでしたが、今思えば、自分が産んだ子供に言われたらどんな心境なんだろう?と胸が痛む想いしかありません。

 

母の代わりに殴られることもあった

攻撃の矛先は私に向けられることも出てきました。

 

兄はよく、キッチンで料理を作っている母に「ご飯まだ?」と歩いてきては、火を使っているにも関わらず荒々しく話しかけたり、出されたご飯が気に入らないと「こんなマズイもん食えるかっ」「違うやつにしろ」など偉そうな態度を取っていました。時には料理を作っている最中に母の肩を掴み、「おい!聞いてんのか?」と包丁を持つ母を揺さぶることも多々ありました。

 

そんなとき、あまりに見ていられなくなった私は、「お母さんに触るな!」と母の前に立ち、必死に母を守ります。すると、思いっきり頭を殴られたり、倒されて背中をひたすた蹴られ続けることも。「そんなに蹴ったら心音が死んじゃう…!」と母は慌てて兄を止めに入ってくれるのですが、私は殴られた激痛より、お母さんが兄に殺されるのではないか?という不安のほうが強く、自分が代わりに殴られるほうがマシだと考えていましたね。「パパ、早く帰って来て」「ママが危ない」と父の携帯にメールを送ることもありました。

 

突然何をしだすか予想ができない兄にハラハラする毎日で、安心して家にいることができなくなった私は、自分の居場所を求めるようになります。

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