ゴエモンのつぶやき

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「五輪は当然」成田家の末っ子が障害者に…気付いたスポーツの意味

2017年02月26日 02時41分13秒 | 障害者の自立

 障害者スノーボードで、成田緑夢(ぐりむ)さん(23)が2018年の平昌パラリンピック出場を目指しています。「緑夢」という名前に、あれ?と思う人もいるかも知れません。緑夢さんは、父親の熱血指導で知られる「成田3きょうだい」の末っ子、スノーボードで06年トリノ五輪に出場した童夢(どうむ)さん(31)、今井メロさん(29)の弟です。兄姉と同じく「当然のように」五輪を目指していた時に起きた練習中のけが。競技人生が一変した緑夢さんを突き動かしたのは、SNSから届いた1通のメッセージでした。

 手が届きかけた「五輪」

 2月19日、長野県で行われた障害者スノーボードの全国大会。スノーボードクロスという種目に出場した緑夢さんは、急斜面と鋭いカーブを臆することなく攻め、他の選手を寄せ付けずに2連覇を果たしました。

 緑夢さんは、父親が子どもたちのために作ったスノーボードチーム「夢くらぶ」で、童夢さん、メロさんと一緒に1歳からスノーボードを始めました。大阪市の実家の屋上にはトランポリンがあり、空中での姿勢や感覚を磨くためにトランポリンを使っていました。

 毎日飛び続けたトランポリンでは、高校2年のときに高校の全国大会で優勝し、12年のロンドン五輪は日本代表の最終選考まで残りました。さらに、その年の冬にはフリースタイルスキーを始め、すぐに日本代表に。13年3月には初出場の世界ジュニア大会で、ハーフパイプで優勝を果たしました。

 五輪に出場すること――。それは、小さなころからずっと当たり前だった「成田家の夢」だったといいます。そして、緑夢さんにとって、もう少しで手が届きそうな夢でした。しかし、それはある日突然、遠のきました。

障害者スノーボードの全国大会のスノーボードクロスで2連覇を果たした緑夢さん=竹谷俊之撮影

障害者スノーボードの全国大会のスノーボードクロスで2連覇を果たした緑夢さん=竹谷俊之撮影

「切断の可能性もあります」

 世界ジュニア大会の1カ月後、いつものように自宅でトランポリンを飛んでいました。両足首にスキーの板の重さを想定した2.5キロずつの重りを付け、2回転宙返りで5メートルを飛ぶジャンプを1日に300回繰り返していました。

 「飛んだ瞬間に左足が滑った」。体勢が崩れても、「背中から着地すれば大丈夫」。しかし、その時は重りの付いた左足が体の回転についてこなかったのです。前屈の体勢で落下し、左肩が左ひざに強打。「バキッ」という大きな音とともにひざが逆に曲がりました。

 前十字靱帯(じんたい)、後十字靱帯の断裂に半月板の損傷。動脈も破裂し、内出血が広がっていたといいます。

 「歩けるようになる可能性は20%です」「切断の可能性もあります」

 医師は、両親にそう告げました。

 病院のベッドでたくさんの管につながれ、絶えず激痛に襲われたまま身動きのとれない状態。両親には「リアルな症状を教えないで」とお願いし、「きっと少し脱臼して、少し骨が折れただけ」と自分に言い聞かせていました。入院は半年におよび、手術は4度。「足は切らないでほしい」と父親が医師に懇願していたと、後で知りました。しかし、腓骨(ひこつ)神経まひで、左ひざから下の感覚を失う障害が残りました。

トランポリンでの落下事故で、入院した成田緑夢さん=2013年4月 成田さん提供

トランポリンでの落下事故で、入院した成田緑夢さん=2013年4月 成田さん提供

「勇気をもらった」一通のメッセージ

 「スキーに行くぞ」

 退院から半年もたたず、父親が言いました。左足を引きずって30分も歩けば、30分は氷水で冷やさなければ腫れも痛みも引かない状態のころでした。痛みに耐えながらスキー靴を履き、夏にはウェイクボードも再開しました。

 そんな時、1通のSNSのメッセージに心が揺さぶられたといいます。「けがをしても、頑張っている緑夢君に勇気をもらった」。障害のある人からのメッセージでした。

 「自分がスポーツをすることで、誰かを励ませるかもしれない」

 初めて、スポーツをする意味を考えるようになりました。五輪は無理でも、パラリンピックがある。結果を出せば、障害のある人やけがで引退を迫られたスポーツ選手たちの夢や希望になれるかもしれない、そう思いました。

スノーボード仲間と談笑する緑夢さん=竹谷俊之撮影

スノーボード仲間と談笑する緑夢さん=竹谷俊之撮影

「みんな本当に障害があるのか」本気モードに

 痛みは消えず、動かない左足はまるで棒が刺さっているようです。それでも、まずは陸上の走り高跳びでリオデジャネイロ・パラリンピックを目指しました。リオには成績不足で間に合わず、昨年11月から本格的にスノーボードを始めました。

 初出場のワールドカップでは4位入賞。上位とは大きな差がありました。「みんな本当に障害があるのか」。競技レベルの高さに、本気になりました。

 昔の感覚で滑れば転んでしまいます。義足や同じような障害のある選手に話を聞いては、ゲレンデで練習を繰り返しました。ターンの時に踏ん張りの効かない左足をカバーするために、右手を大きく前に出したり、左手でウェアのパンツをつかんだりしてバランスをとり、コツをつかんでいきました。

 今年1月の北米選手権と2回のワールドカップは3連勝。2月には、世界選手権でも3位に入りました。

 「五輪もパラリンピックも関係ない。僕の中では同じスポーツだと思う。けがをして、僕がスポーツをすることで誰かの励みになれることを知ったから、パラリンピックに出場して、夢や希望を与えられる選手になりたい」と話します。目指すは、夏冬のパラリンピック出場、そして五輪への夢もまだ諦めていません。

成田緑夢インタビュー

 けがをした時の心境やその後について、緑夢さんに聞きました。

 ――けがをしたときは、何を考えましたか?

 「もう五輪は無理かも、って。その先は何も考えられなくて、ずっと頭の中が『五輪……』でした」


 ――痛みもあるなか、スポーツを再開するのに恐怖はありませんでしか?

 「父が『やれ』って。ご存じの通り、父は昔から行きすぎているので。でも、父がいなかったら、自分ではもう一度やろうとは思えなかったから、いまは感謝しています」

表彰台で握手を交わす緑夢さん=竹谷俊之撮影

表彰台で握手を交わす緑夢さん=竹谷俊之撮影

「喜んでくれた理由が心に届いた」

 ――今の目標は?

 「パラリンピックで活躍して、障害を負っても夢を追い続けられることを伝えたいです。障害のある人、けがで引退を迫られた人たちの夢や希望になりたいと思います」


 ――どうしてそう思うようになったのですか?

 「けがから復帰して、ウェイクボードの大会で優勝したら、障害のある知人から勇気をもらったとメッセージをもらいました。けがをする前は、大会で勝って『おめでとう』と言われても、その意味を考えることはなかった。でも、障害のある知人からのメッセージにはリアルなストーリーがあって、僕の活躍を喜んでくれた理由が心に届いたんです」


 ――けがをする前は、スポーツをする意味を考えることはなかったですか?

 「成田家は生まれた時から五輪を目指すのが当然の環境で、その理由は考えなかったです。父はその理由を考えていたのかも知れないけど、『父が脳、子どもはロボット』みたいでしたね」

スノーボードを滑る時の体の使い方について説明する緑夢さん。「ケガをした左足は踏ん張りが効かないので、後ろに倒れやすい」という=竹谷俊之撮影

スノーボードを滑る時の体の使い方について説明する緑夢さん。「ケガをした左足は踏ん張りが効かないので、後ろに倒れやすい」という=竹谷俊之撮影

「やっと普通の親子関係に」

 ――けがをして、いまのお父さんとの関係は?

 「少し前の成田家は、結果がすべてでした。でも、僕がけがをして、昔はどんなにいい成績をとっても褒めてくれなかった父が、今は『頑張ってるな』と言ってくれるようになったんです。それがうれしいんです。スポーツをする意味を僕なりに考えるようになって、かつての父の行きすぎたところも理解できるようになった。いまはお互いに良き理解者で、やっと普通の親子関係になってきたと思います」


 ――リオデジャネイロ・パラリンピックは見ましたか?

 「選手の立ち居振舞いがとても勉強になりました。パラリンピックを目指すようになって、アスリートとして人に見られる立場だと意識するようになりました。結果を出した選手のインタビューの言葉や振る舞いを見て、見習おうと思いました」

「スポーツをする意味を僕なりに考えるようになった」と語る緑夢さん=竹谷俊之撮影

「スポーツをする意味を僕なりに考えるようになった」と語る緑夢さん=竹谷俊之撮影

「こんな生活を送れるようになるとは…」

 ――いまはアスリートとしての生活を送っているんですか?

 「はい、スポンサーさんの支援を受けて、競技に専念できる生活ができています。平日はトレーニングで、週末は子どもたちにトランポリンを教える教室を開いています」

 「今年の1月、2月はずっと海外遠征で連戦続きで、きつかったです。でも、こんな生活を送れるようになるとは夢にも思わなかったので、とても幸せです」

 「3月には、パラリンピックが開かれる平昌で今シーズン最後の世界選手権があります。課題もまだまだあるので、克服に取り組みたいです」

     ◇

<障害者スノーボード>障害者スノーボードは男女それぞれ、障害の程度によって3クラスに分けられます。ひざ上から下肢障害のあるSBLL―1、ひざ下のSBLL―2、上肢障がいのSB―UL。成田選手は、SBLL―2クラスです。2018年平昌パラリンピックから新競技として実施され、複数の選手で同時に滑走してスピードを競うスノーボードクロス、3回の滑走でベストタイムを競うバンクドスラロームの2種目があります。出場するためには、世界ランキング7位以内に入るか、16、17年に開催される世界選手権で優勝し、出場枠を得る必要があります。

2017年02月25日   withnews(ウィズニュース)


障害者差別相談、組織設置は市区町村の3割 内閣府調査

2017年02月26日 02時37分59秒 | 障害者の自立

 障害者の差別解消に向けて関係機関が調整する自治体の「地域協議会」の設置が進んでいない。内閣府の調査では、昨年10月までに設置したのは全市区町村の3割にとどまる。昨年4月に施行された障害者差別解消法で設置できるようになったが、自治体の規模によっては負担が大きいようだ。

 地域協議会は障害者団体や事業者、教育、医療、法曹関係者らで構成。都道府県や市町村に設置して、障害者差別に関する相談をたらい回しにしない態勢作りに取り組む。差別解消に対応できる関係機関が集まっているため、差別事案が発生した際の再発防止策が検討できる。

 昨年10月時点の調査では、47都道府県のうち37都道府県が地域協議会を設置していたが、市区町村レベルでは507自治体と29・1%だった。今後も設置未定としたのは、半数近い722自治体あった。

 内閣府によると、設置していない自治体からは「(自治体の)規模が小さいため現体制で対応できている」「人員が少なく負担が大きい」などの意見が寄せられた。設置した自治体からは「役割が不明確」などの課題が挙がったという。

2017年2月25日   朝日新聞


相模原事件 障害者の尊厳見つめて

2017年02月26日 02時33分32秒 | 障害者の自立

 相模原市の障害者施設で四十六人を殺傷した罪を問われ、横浜地裁で元施設職員が裁かれることになった。事件の真相を巡る法廷でのやりとりのみならず、障害者の尊厳を見つめ直す機会としたい。

 神奈川県立の「津久井やまゆり園」で、元職員は知的障害者らの暮らしを支える仕事に携わっていた。それが、いつしか「障害者は不幸しか作れない」という極端な偏見にとらわれ、凶行に及んだ。

 この悲惨な事件が社会に対して突きつけたのは、障害者の尊厳を重んじ、守りながら、共生の理念をどう実現していくかという重い問いでもある。

 事件を発端としてあらわになったのは、共生の流れとは逆の障害者を切り分けて扱おうとする旧態依然とした意識の根深さである。

 まず被害者側からはどうか。

 警察は遺族らの要望を聞き入れて、プライバシー保護を根拠に被害者の身元を公表しなかった。検察側もまた同様に、匿名での審理を裁判所に求める方向という。

 大切なのは、社会の記憶に一人ひとりの顔と名前、人生の足跡を刻み、怒りや悲しみ、そして教訓を共有することではないか。記号化して扱えば、障害者の存在価値を否定する元職員の独善を黙認することにもなりかねない。

 もっとも、遺族らが匿名を希望する背景には、社会の根底にはびこる優生思想的な風潮がある。ネットの世界では、犯行を称賛する書き込みさえ目につく。

 現場となった施設の再建構想について、入所者の家族らは、人里離れた山あいの現地で建て替えてほしいと願う。そうした心情とも重なる面があるかもしれない。

 街中では、グループホームやケアホームの建設に反対する声が後を絶たない。障害者が地域で暮らすのに、差別的まなざしとの闘いを強いられることも少なくない。

 こうした厳しい現実にたじろぐことなく向き合い、障害への無知、無理解を拭わねばならない。

 加害者側に目を転じたい。

 法廷では、刑事責任能力の有無を軸にして、検察側と弁護側が相争うのは間違いない。事実の立証、認定はこれからである。

 にもかかわらず、元職員の事件前の措置入院歴がことさらに問題視され、退院した精神障害者の追跡が強化される見通しだ。医療や福祉の支援につなぎ留めるとの理屈だが、事実上の管理、監視につながらないか懸念される。

 これを機に、障害当事者を真ん中に置いた社会を目指したい。

2017年2月25日     中日新聞


聴覚障害者のバレーボール全国大会 川崎

2017年02月26日 02時24分21秒 | 障害者の自立

聴覚障害者によるバレーボールの全国大会が川崎市で開かれ、およそ40のチームが日本一を目指して熱戦を繰り広げています。

川崎市中原区の川崎市とどろきアリーナで開かれている大会には、全国から男女合わせておよそ40チームが参加し、25日は予選リーグが行われています。

競技は1チーム6人で、通常のバレーボールと同じルールで行われ、選手たちは声をかけ合う代わりに身ぶり手ぶりでコミュニケーションをとり、プレーを進めます。

試合では、世界大会の日本代表クラスの選手も参加して、迫力あるプレーが繰り広げられ、選手たちは得点が決まるたびに駆け寄って輪をつくり、喜び合っていました。

大会は26日に決勝トーナメントが行われます。

主催する日本デフバレーボール協会の大川裕二理事長は、「ことし7月にトルコで開かれる世界大会に向けて、日本代表候補の選手が切磋琢磨(せっさたくま)する姿も見られるので、ぜひ会場に足を運んでほしいです」と話していました。

聴覚障害者のバレーボール全国大会 川崎

2月25日      NHK


「重度障害者の活躍って何だろう」 難病・海老原さんの手紙届いていた

2017年02月26日 02時13分56秒 | 障害者の自立

◆小池知事「一つの希望。モデル示した」

 難病の脊髄性筋萎縮症を患う重度障害者の海老原宏美さん(39)=東京都東大和市=が、小池百合子都知事に手紙を書いた。人工呼吸器で命をつなぎ、地域の障害者の自立を支える活動が評価され、本年度の都女性活躍推進大賞を受賞。一月の贈呈式で、知事宛ての手紙を秘書に託した。

 「生産性のある人間、人々に感動を与えられる人間だけではなく、ただ、そこに静かに存在するだけの人間にも尊厳を見出し、全ての都民が社会参加できる都政を執行してほしい」とつづった。

 重度障害者の「活躍」って何だろう? 本紙二十二日朝刊「私説論説室から」で、大西隆論説委員が海老原さんの思いを紹介した。小池知事から二十四日午後にメールがあり、「思いはしっかりと届いています」などと返事があったという。同日の定例会見で、本紙の記者が質問すると、知事は海老原さんの提起なども予算案に生かしたと答え、「大変な才能を発揮している。一つの希望であり、いいモデルを示してくださった」と語った。

 この日、相模原市の障害者施設で十九人が刺殺された事件で、植松聖被告が殺人罪などで起訴された。犠牲者は重度の障害者だった。事件にどんな思いを抱いているのか海老原さんに寄稿してもらった。重度の障害者は「存在するだけで社会に『価値とは何か』を問い続ける。存在しているだけで社会に大きく貢献しているとは言えないだろうか」と語り掛けている。

都女性活躍推進大賞を受賞した海老原宏美さん

2017年2月25日      東京新聞