ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

北上駅前に念願の信号機 障害者大会の運営円滑に

2016年07月14日 03時51分38秒 | 障害者の自立

 北上市は、岩手国体・全国障害者スポーツ大会に向けJR北上駅西口の信号機と横断歩道の設置へ、道路改良などを進めている。信号機設置は県警との協議が平行線をたどり昨秋一度断念したが、粘り強い交渉で実現の見通しとなり、市は9月完成を目指し急ピッチで作業を進める。

 市の設計では、バス乗り場を含め4車線分ある駅前の道路を、駅側に車両防護柵を半円形に設け2車線、幅7メートルほどに狭める。「おでんせプラザぐろーぶ」前のバス停は、駅のタクシープールに集約。押しボタン式の信号機と横断歩道で防護柵側とおでんせプラザ南側を結ぶ計画だ。

 駅西口は現在、駅と街側が地下道でつながるが、市は往来しやすい道路環境への変更を模索してきた。

 市によると、横断歩道について県警からは距離を短くし、交差点以外への設置を提案されたという。防護柵で幅員を狭くし、バス停集約や道路の着色により横断の安全性を確保する。

(2016/07/12)   岩手日報


AI(人工知能)は、障害者支援の夢を見るか?

2016年07月14日 03時42分07秒 | 障害者の自立

IoT/AIによる「障害者のソーシャル・インクルージョンの実現」を目的に設立された「スマート・インクルージョン研究会」代表の竹村和浩氏による連載第7回。今回は、AI(人工知能)とIoTによる「社会デザイン」について語っていただきました。

AIこそ、次世代成長産業の本命

  最近、オックスフォード大学が「AI(人工知能)によって、将来多くの仕事が奪われる」といった未来予測を発表するなど、最近AIを巡り様々な議論が沸き起こっています。AIについては様々なネガティブな見解も見受けられますが、私は、AIこそ今後の最大の成長産業分野だと考えています。これからは「AIを動かすスパコン(スーパーコンピューター)の性能が、イコール国力となる」とまで言われています。またAIとIoTにより、世界は加速度的に「自動化」されていくでしょう。

 ここにきて、日本の企業もようやくIoT、AI への事業参入を始めています。ですが、既にtoo lateの感が否めません。なぜなら、2012年の時点でアメリカのオバマ大統領は、IoTの次世代産業化を宣言しているからです。その時から既に4年という月日が経過しています。

 日本の企業、メーカーがこの20年間陥ってきたドグマ、つまり世の中の流れを見て「やはりそうだ」と後から乗っかる「後追いマーケティング」と、各企業同時多発の「タコツボ化」。そこに大きな問題があります。東工大で生まれた「量子コンピューター理論」、Quantum Annealing による次世代スパコンの芽は、カナダの会社とGoogleによって実用化されてしまっており、ロボティクスについても、東大スピンアウトのベンチャーがGoogleに買収されてしまいました。
 ただ、トヨタがそのシャフトの入ったBoston Dynamics社の買収に乗り出しており、再び国産技術による社会の自動化に向けて、遅まきながらスタートを切ったと言えます。

社会デザインとしての障害者の視点

  AIとIoTの技術開発においては、実は、社会全体を見据えた「鳥瞰図的」「俯瞰図的」な発想が不可欠となります。私が日本の企業において危惧している点は、この社会デザインともいえる視点が、かなり弱いということです。

 特に、日本はある程度高い技術があるため、その個々の技術に依拠した技術開発が進められがちです。これは現在も、多くの企業が陥っている一つのドグマです。無論、それが商品開発としては最も現実的であり、利潤追求の私企業としては当然かもしれません。しかしながら、ことAIとIoTの技術開発においては、常に、非常に広い視野を持って高い理想を描かなければ、個々の「タコツボ」技術に終始しかねないリスクを含んでいるのです。

 その最たる例が、日本のロボット開発です。どの企業も早期の実用化と商品化を目標としているのですが、おそらくは資金のスケールにもよるせいか、「わかりやすく」「話題性がある」、というところのみに主眼が向いているように思えます。片や、人工知能の会社であることが「AlphaGo」(アルファ碁)で明確となったGoogleなどは、社内のディスカッションにおけるすべての提案に対して、常に「それは世界でスケールするのか?」という問いがなされるのだそうです。つまり、個々の問題解決も大切だが、それがどれほど世界的な規模での問題解決になるのか?あるいは、世界的な普遍性をもって、広く受け入れられる技術・商品であるか、という視点が問われている、ということなのです。

 日本企業にしばしば欠けていると思われるのが、この広い視野、グローバル、かつユニバーサルにスケールするかどうか、という視点なのです。それは言い換えれば、「社会デザイン」の視点ということができます。今後、スーパーコンピューターによって社会のあらゆる分野が制御され、管理されていく時代が到来します。その時代において最も重要なのは、まず、どのような社会を未来に創り上げるのか?という「社会と世界をデザインする視点」を持つことなのです。個々の問題解決に必要な個々の技術開発はできたとしても、それが社会全体とどう連携できる技術なのかが、問われる時代であるということです。

 その点、「障害者の視点」は、実は既にしてこの「社会デザイン」の視点を含んだ視点だと言えるでしょう。

「社会デザイン」3つの視点

  この「社会デザイン」には3つの視点があります。

1. 障害者の視点

  障害のある人たちは、既にして、それぞれが社会的ニーズを抱えて生活しています。ただし、個々の障害によってニーズはまさに千差万別、多岐にわたるものです。それは視点を変えれば、「一つの商品・技術開発においての多岐にわたる視点」でもあるということができます。

 障害にもさまざまなものがあります。知的・身体・精神・視覚・聴覚・発達障害、その他多くの障害です。これら多岐にわたる障害の視点から技術開発を考えるとき、その商品の品質はいやがうえにも高まると言わざるを得ません。そして、すべての障害を持つ人のニーズに応えうる技術と商品の開発が、今後の日本のAI/IoTの技術を最大限に高めてくれるのです。そしてそれは、世界に先駆けて超高齢化社会を迎える日本という高齢化社会のフロントランナーにとって、障害を持つ人たち(の視点は、「高齢者の先駆者、先輩である」と言えるのです。

 さらに進めて言えば、AIは、とりわけ知的障害を持つ人たちの視点を必要としています。なぜなら知的障害はある意味、発達障害などと同様に「見えにくい」障害だからです。その人たちのニーズを探るためには、AIを駆使したセンサー等による個々のビッグデータの集積が必要となります。それにより、異なるデータを収集・分析し、それぞれの障害をサポートするためのカスタマイズを実施するため、AIと知的障害は、ある意味で最も適した組み合わせなのです。

 障害に焦点を当てた、技術・商品開発は、同時に、障害を持たないすべての人たちにとって、最も使い勝手の良い技術・商品・システムとなりうるのです。広い意味で言えば、この世の中で障害を持っていない人は存在しません。みな人それぞれ、何らか不得意な分野を持っています。欠点のない人はいないのです。障害とは、それが単に他の人よりも飛びぬけている、というだけのことなのです。であれば、その極端な事例に焦点を合わせることが、よりよい技術・商品・システムの開発につながり万人にとって便利なものになるはずです。「エクストリーム(極端な)シナリオは、人間工学の限界を試す」ということなのです。

 であるがゆえに、障害、とりわけ、見えにくい知的障害に焦点を合わせることは、ことAIの開発にはなくてはならない視点である、ということなのです。障害こそ、技術開発の「フロンティア」なのです。

2. 未来から見た社会デザインの俯瞰的視点

  AIとIoTの技術は、今後社会、世界全体に大きなインパクトを与えていくと予想されます。そのため、私たちは予め、必要とされる社会のニーズをデザインしておく必要があります。いかなる技術も、その使い道次第なのです。ところが、あるべき社会の姿というものは、描けそうでそう簡単に描けるものではありません。ただ、視点を障害者の持つニーズに焦点を合わせるとき、大きく、2つの分野にその技術開発分野を絞り込むことが可能になります。一つは「スマート・ハウス」の分野であり、もう一つは「移動支援システム」の分野です。

 私が教鞭をとらせていただいている、BBT(ビジネス・ブレークスルー大学)の学長、大前研一氏も述べているように、これからは移動通信ビジネスが大きな市場規模を持ってきます。それと連動して、スマート・ハウスも大きな可能性を秘めています。ただ、既に様々なIoTやAIの技術は存在してはいるものの、それらの技術はまだ「ただ何かができる」というだけで、必ずしも相互に連動してはいません。

 しかしながら、障害、とりわけ知的障害のある子の親である私から見れば、そこに必用とされる技術は極めて明確です。それは、「子供の安心・安全の見守りの社会システム」です。スマート・ハウスと移動支援システム、この2つの分野をそれぞれ連動させるシステムを構築すれば、ほぼ社会全体での自動化システムを構築することが可能になります。

 個々の商品は、細部にわたりこの2つの枠組みを踏まえ、常に付随連動する形で開発される必要があります。私たちの社会生活は、基本、この「居住」と「移動」の2点に集約することが可能になるのであり、これは障害のある子供の生活を観察することで得られる視点であるといえます。社会デザインの視点は、この「家」と「移動」の2つの分野の連動にあるのです。

3. 具体的ニーズとテクノロジーの視点

  では、具体的にどのようにそのニーズを解明すればよいのか?先に述べた「社会デザインの2つの分野」で見てみましょう。まず「移動支援システムの可能性」「移動支援に必要なテクノロジーは何か?」についてですが、ここで重要なキーワードとなってくるのが「高度なセンサー&センター機能」です。 障害および知的障害等のある人の状態を本人が自覚せず、自ら通告できない場合でもその状態を把握するためのセンサー機能とは、次のようなものです。
 
 1.身体状態のセンシング:(ウェアラブル)
 発汗・動悸、心拍数、呼吸回数などにより本人の危機的状況を把握する(→自動通知システム)
 2.予定ルートを外れた場合の警告・告知
 3.予定時間を過ぎた場合の警告・告知
 4.本人への音声等による、確認プログラム
 5.保護者・支援者との連絡システム
 6.位置情報による逐次の位置把握、移動把握、
 7.移動支援者との待ち合わせ、2人の接触、コンタクトを自動的に保護者に通知する
 8.緊急時の自動応答連絡システム

 また「スマート・ハウスの可能性」について言えば、「エネルギー&セキュリティーシステム」が重要になってきます。つまり、「安心・安全・見守りのためのテクノロジー」です。それは具体的には下記のようなものです。

 1.身体・心理状態のセンシング:(組込み型センサー・ウェアラブルとの連動)
 2.AIとの連動による、スマート・センシング技術(学習による見守り)*HEMS+α?
 3.本人、障害特性情報の登録と交信・更新 医療・福祉行政連動
 4.地方自治体・医療・緊急対応・支援団体とのネットワーク(コミュニティー)
 5.外出先からの遠隔対応・移動の際の遠隔対応センター機能
 6.生存および緊急告知システム
 7.排泄・移動・食餌等の利便性
 8.緊急時の自動応答連絡システム(コミュニティーセキュリティー機能)*地域連動

 このように、障害を持つ人の視点からのニーズは明確であり、この視点からの技術開発はハードルは極めて高いものの、「エクストリーム(極端な)シナリオは、人間工学の限界を試す」がゆえに、十全なシステムの開発にもつながると言えるのです。

2016年7月12日   財経新聞


「見えない障害」がもたらす苦悩 高次脳機能障害から見える社会の「困難」とは

2016年07月14日 03時32分15秒 | 障害者の自立

■「自分は障害を乗り越えていない」

 「講演会の感想文とか見てみると、『障害を乗り越えて頑張っていてすごいと思いました』というコメントをいただきます。感想を頂けるのはすごく嬉しいことなんですけど、実際は乗り越えられてないんです。外見だけ見れば健常だし普通に話すこともできるから、そう思ってしまうかもしれないけれど、自分自身としては克服できたと思えてないし、自分の障害を受け入れられているわけでもない」

小林春彦さんは、「高次脳機能障害」という障害を持っている。

「高次脳機能障害」はなんらかの要因で脳が損傷して引き起こされる障害で、記憶障害や注意障害、実行機能障害などがある。障害の種類や程度は、脳の損傷部位や損傷の範囲によって様々。

11年前、18歳だった小林さんは脳梗塞によって倒れ、生死の境をさまよった。一ヶ月のこん睡の後に、集中治療室(ICU)の中で目覚めたときには、身体中に管がつながれていた。程なくして両親が面会にくるも両親の顔が認識できず、さらに左半身には麻痺があり、不随の状態だった。

実際、小林さんは、傍目から見れば健常者にしか見えない。

しかし、先天性の発達性障害のような傾向や脳梗塞による後遺症(両眼の視野狭窄、左半身の麻痺、相貌失認、左半側空間無視、左半側身体失認など)を抱えている。

インタビュー中にも、左側を壁にして座っていた。これは左側から話しかけられても認識できないからだという。

 「僕は関西出身なんですけど、(神戸の)三宮のあたりって人が多いんです。そこを歩いていてぶつかると、『何やお前、目ェ見えとらんのか!』と怒鳴られることがあるんですね。そこで障害者手帳を開いて、視野欠損の文字を見せると、『あ、本当に見えてなかったんや。すまんな』ってなる。コントみたいですけど、なんとなく気まずい空気になります(笑)」 

■「見えない障害」はまだ社会にフィットしていない

 小林さんは車椅子に乗っているわけでもなく、歩き方がぎこちないわけでもない。抱えているのは、「見えない障害」だ。

 「最近は『障害』ではなく、『困難』という言葉を使うようになっています。

高次脳機能障害や発達障害が世間的に認知されはじめたのはここ10年ほどで、まだ社会的に配慮を得難いと感じるときもあります。それが『困難』を感じるときです。優先席を譲ってもらえないとか、そういう小さなことも含めて。

自分も障害者に見られたいと思って、(視覚障害者が使う)白杖を持って渋谷の街を歩いたんです。そうしたら、モーゼの『海割り』のように人が避けていって。『人は見た目が9割』っていいますけど、まさにそうなんだなと(笑)。ただ、白杖を持ちながらスマホをいじっていたりすると、すごく嫌な目で見られるんですよね」

人は晴眼者か全盲かという白か黒の生き物じゃない。視覚障害にも種類がある。夜盲であったり、強い弱視であったり、小林さんが持つ視野狭窄もその一つだ。環境によっては白杖を持たないと「困難」を感じてしまうこともある。しかし、白杖を持っている人=全盲という外からのイメージは強く、「全盲のふりをしなくちゃいけないのでは」という葛藤があると小林さんは告白する。

 「こうなると、こちらが周囲の見る目に合わせないといけない。つまり社会に合わせてあげなきゃいけないと思ってしまうんです。障害は0か1かじゃないですし、個人によって違いますから、その中でできること、できないことがあります。自意識過剰と言われればそれまでなんですが…」 

■「わかりやすさ」と「イメージ」の狭間で

 小林さんが昨年11月に上梓した『18歳のビッグバン』(あけび書房刊)には、「見えない障害」を抱える一人の青年の苦悩が告白されている。

仲良くなった女の子との恋は、「女の子は男の子の左側を歩く」という女の子の固定観念をきっかけに不和が生じ、儚く散ってしまった。もちろん、彼女には自分の障害を説明したが、やはり完璧な理解は難しい。「見えない障害」ならばなおさらだろう。彼が述べる「困難」は、そんなところまで転がっている。

 「自己肯定感が低い人間なので、障害をどこまで説明するかというのもすごく悩むんです。率先して発言することで、自分が『見えない障害』の代表者になるのも違うと思うし…。高次脳機能障害って、脳の損傷の部位によって障害のあらわれ方が違うんですよね。だから、高次脳機能障害といえば小林さん、とイメージを結び付けられることには抵抗があります」

小林さんの叫びにも似た想いが書籍全体から伝わってくることに反して、「障害」についてはかなり慎重に語っている印象を受ける。あくまでここで書かれているのは自分の個別のケースである、と訴えるように。

しかし、そうした小林さん個人が抱える悩みや問題とは別のところで、「見えない障害」による周囲からのイメージや理解に対して苦しむこともあるという。

 「『障害の重さ』が見えている人の方が、発言力は大きくなる傾向はあるように思います。『私たちも困難を持っている』と主張しづらいところがあるというか。自分は障害者って言っていいのか? と考えてしまうときもあるくらいで…。

だから、僕は障害者の家族によって組織された支援団体とは付き合ってこなかったんです。当事者不在の支援現場は意外とあります。逆に、アルコール疾患やLGBTなどのマイノリティの当事者たちが集まって彼らが主体で活動している場所に顔を出すようにしてきましたね。

「これは似ているな」と思ったのは、障害といっても身体障害、精神障害、知的障害とありますが、身体障害がやはり一番パイが大きくて、主導権を握っているんですね。それが性的少数派、流行りのLGBTだと、ゲイカルチャーとか、ゲイ文化という言葉があるように、ゲイのほうが肯定的にとらえられるそうです。だから、私の立ち位置は、境界やカテゴライズが複雑なトランスジェンダーに近いのかな、とか…。

マイノリティの中でも、カテゴライズしにくい人たちが、どういう風に生きているのかということはよく見ています」 

■誰もが生きづらさを抱えている

 予期せぬ脳梗塞から手術、そして療養を経て退院した直後の小林さんは、日常生活の中で自分の体が上手く動かない後遺症と闘っていた。それでも、時に「健常者のふり」をすることもあったという。

「見えない障害」を抱える小林さんにとって、この社会で「生きやすい」と思う瞬間はあるのだろうか? 最後に、小林さんにとって「生きやすさ」とは何か、質問を投げかけてみた。

 「『生きやすい』の正体は分からないけれど、ありのままに生きる難しさはあると思います。

ただ、ありのままに生きるためには自己肯定感が必要ですが、それが行き過ぎてしまうと、自分の倫理観だけで動いてしまうようになるじゃないですか。だから自己肯定感が大事だとはいえ、腹8分目くらいでいいのかなと。生きづらさもどこかで抱えていたほうがいいように思うんです。

また、見た目からでは分からない『生きづらさ』は健常者であっても抱えているはずです。受験や就職活動に失敗して鬱になってしまったり、失恋をして半年間立ち直れなかったり、こういうのも『生きづらさ』に直結するものですよね。僕自身、18歳で障害者になりましたけど、それ以前も生きやすかったかといえば、逆で『生きづらさ』のほうが感じていたと思うんですよ。

この本で『健常者福祉』という言葉を提案していますが、『生きやすさ』だけを追求するのではなくて、『生きづらさ』をどこかで抱えて、いろいろなものに依存しながら、お互い迷惑をかけあっていくことが大切だと思います。障害者も健常者も、人に迷惑をかけずに生きていくことはできませんから」

2016.07.14  BY:


「見えない障害」がもたらす苦悩 高次脳機能障害から見える社会の「困難」とは

2016年07月14日 03時32分15秒 | 障害者の自立

■「自分は障害を乗り越えていない」

 「講演会の感想文とか見てみると、『障害を乗り越えて頑張っていてすごいと思いました』というコメントをいただきます。感想を頂けるのはすごく嬉しいことなんですけど、実際は乗り越えられてないんです。外見だけ見れば健常だし普通に話すこともできるから、そう思ってしまうかもしれないけれど、自分自身としては克服できたと思えてないし、自分の障害を受け入れられているわけでもない」

小林春彦さんは、「高次脳機能障害」という障害を持っている。

「高次脳機能障害」はなんらかの要因で脳が損傷して引き起こされる障害で、記憶障害や注意障害、実行機能障害などがある。障害の種類や程度は、脳の損傷部位や損傷の範囲によって様々。

11年前、18歳だった小林さんは脳梗塞によって倒れ、生死の境をさまよった。一ヶ月のこん睡の後に、集中治療室(ICU)の中で目覚めたときには、身体中に管がつながれていた。程なくして両親が面会にくるも両親の顔が認識できず、さらに左半身には麻痺があり、不随の状態だった。

実際、小林さんは、傍目から見れば健常者にしか見えない。

しかし、先天性の発達性障害のような傾向や脳梗塞による後遺症(両眼の視野狭窄、左半身の麻痺、相貌失認、左半側空間無視、左半側身体失認など)を抱えている。

インタビュー中にも、左側を壁にして座っていた。これは左側から話しかけられても認識できないからだという。

 「僕は関西出身なんですけど、(神戸の)三宮のあたりって人が多いんです。そこを歩いていてぶつかると、『何やお前、目ェ見えとらんのか!』と怒鳴られることがあるんですね。そこで障害者手帳を開いて、視野欠損の文字を見せると、『あ、本当に見えてなかったんや。すまんな』ってなる。コントみたいですけど、なんとなく気まずい空気になります(笑)」 

■「見えない障害」はまだ社会にフィットしていない

 小林さんは車椅子に乗っているわけでもなく、歩き方がぎこちないわけでもない。抱えているのは、「見えない障害」だ。

 「最近は『障害』ではなく、『困難』という言葉を使うようになっています。

高次脳機能障害や発達障害が世間的に認知されはじめたのはここ10年ほどで、まだ社会的に配慮を得難いと感じるときもあります。それが『困難』を感じるときです。優先席を譲ってもらえないとか、そういう小さなことも含めて。

自分も障害者に見られたいと思って、(視覚障害者が使う)白杖を持って渋谷の街を歩いたんです。そうしたら、モーゼの『海割り』のように人が避けていって。『人は見た目が9割』っていいますけど、まさにそうなんだなと(笑)。ただ、白杖を持ちながらスマホをいじっていたりすると、すごく嫌な目で見られるんですよね」

人は晴眼者か全盲かという白か黒の生き物じゃない。視覚障害にも種類がある。夜盲であったり、強い弱視であったり、小林さんが持つ視野狭窄もその一つだ。環境によっては白杖を持たないと「困難」を感じてしまうこともある。しかし、白杖を持っている人=全盲という外からのイメージは強く、「全盲のふりをしなくちゃいけないのでは」という葛藤があると小林さんは告白する。

 「こうなると、こちらが周囲の見る目に合わせないといけない。つまり社会に合わせてあげなきゃいけないと思ってしまうんです。障害は0か1かじゃないですし、個人によって違いますから、その中でできること、できないことがあります。自意識過剰と言われればそれまでなんですが…」 

■「わかりやすさ」と「イメージ」の狭間で

 小林さんが昨年11月に上梓した『18歳のビッグバン』(あけび書房刊)には、「見えない障害」を抱える一人の青年の苦悩が告白されている。

仲良くなった女の子との恋は、「女の子は男の子の左側を歩く」という女の子の固定観念をきっかけに不和が生じ、儚く散ってしまった。もちろん、彼女には自分の障害を説明したが、やはり完璧な理解は難しい。「見えない障害」ならばなおさらだろう。彼が述べる「困難」は、そんなところまで転がっている。

 「自己肯定感が低い人間なので、障害をどこまで説明するかというのもすごく悩むんです。率先して発言することで、自分が『見えない障害』の代表者になるのも違うと思うし…。高次脳機能障害って、脳の損傷の部位によって障害のあらわれ方が違うんですよね。だから、高次脳機能障害といえば小林さん、とイメージを結び付けられることには抵抗があります」

小林さんの叫びにも似た想いが書籍全体から伝わってくることに反して、「障害」についてはかなり慎重に語っている印象を受ける。あくまでここで書かれているのは自分の個別のケースである、と訴えるように。

しかし、そうした小林さん個人が抱える悩みや問題とは別のところで、「見えない障害」による周囲からのイメージや理解に対して苦しむこともあるという。

 「『障害の重さ』が見えている人の方が、発言力は大きくなる傾向はあるように思います。『私たちも困難を持っている』と主張しづらいところがあるというか。自分は障害者って言っていいのか? と考えてしまうときもあるくらいで…。

だから、僕は障害者の家族によって組織された支援団体とは付き合ってこなかったんです。当事者不在の支援現場は意外とあります。逆に、アルコール疾患やLGBTなどのマイノリティの当事者たちが集まって彼らが主体で活動している場所に顔を出すようにしてきましたね。

「これは似ているな」と思ったのは、障害といっても身体障害、精神障害、知的障害とありますが、身体障害がやはり一番パイが大きくて、主導権を握っているんですね。それが性的少数派、流行りのLGBTだと、ゲイカルチャーとか、ゲイ文化という言葉があるように、ゲイのほうが肯定的にとらえられるそうです。だから、私の立ち位置は、境界やカテゴライズが複雑なトランスジェンダーに近いのかな、とか…。

マイノリティの中でも、カテゴライズしにくい人たちが、どういう風に生きているのかということはよく見ています」 

■誰もが生きづらさを抱えている

 予期せぬ脳梗塞から手術、そして療養を経て退院した直後の小林さんは、日常生活の中で自分の体が上手く動かない後遺症と闘っていた。それでも、時に「健常者のふり」をすることもあったという。

「見えない障害」を抱える小林さんにとって、この社会で「生きやすい」と思う瞬間はあるのだろうか? 最後に、小林さんにとって「生きやすさ」とは何か、質問を投げかけてみた。

 「『生きやすい』の正体は分からないけれど、ありのままに生きる難しさはあると思います。

ただ、ありのままに生きるためには自己肯定感が必要ですが、それが行き過ぎてしまうと、自分の倫理観だけで動いてしまうようになるじゃないですか。だから自己肯定感が大事だとはいえ、腹8分目くらいでいいのかなと。生きづらさもどこかで抱えていたほうがいいように思うんです。

また、見た目からでは分からない『生きづらさ』は健常者であっても抱えているはずです。受験や就職活動に失敗して鬱になってしまったり、失恋をして半年間立ち直れなかったり、こういうのも『生きづらさ』に直結するものですよね。僕自身、18歳で障害者になりましたけど、それ以前も生きやすかったかといえば、逆で『生きづらさ』のほうが感じていたと思うんですよ。

この本で『健常者福祉』という言葉を提案していますが、『生きやすさ』だけを追求するのではなくて、『生きづらさ』をどこかで抱えて、いろいろなものに依存しながら、お互い迷惑をかけあっていくことが大切だと思います。障害者も健常者も、人に迷惑をかけずに生きていくことはできませんから」

2016.07.14  BY:


世界ろう者陸上で銅 伊丹出身の男性が市長訪問

2016年07月14日 03時24分43秒 | 障害者の自立

 「第3回世界ろう者陸上競技選手権大会」の400メートルリレーで銅メダルを獲得した兵庫県伊丹市出身の三枝浩基選手(25)=横浜市=が12日、伊丹市の藤原保幸市長を訪問し、今後の抱負を「次は個人100メートルとリレーの両方で金メダルを目指したい」と語った。

 世界大会は6月26日から今月2日までブルガリアで開催。三枝さんは出場したリレーで日本新記録を樹立。個人100メートルは準決勝まで進出した。

 生まれた時から聴覚に障害がある三枝さんは、高校から陸上競技を始めた。100メートルの選手として全国障害者スポーツ大会で優勝するなどの活躍。2013年に初出場した聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」では、日本人初の8位入賞を果たした。

 世界大会での結果に三枝さんは「優勝できると思った昨年のアジア大会ではけがで棄権したので、世界大会のメダルがうれしかった」と笑顔を見せた。

 より大きな目標という夏季デフリンピックは来年、トルコのアンカラで行われるという。「100メートルでもメダルを取り、耳の聞こえない子どもに夢を与えたい」と意気込んだ。

市役所を訪れた「世界ろう者陸上競技選手権大会」銅メダリストの三枝浩基選手

2016/7/12  神戸新聞NEXT