◇「無冠の帝王」返上
第11回全国障害者スポーツ大会「おいでませ!山口大会」(10月22~24日、山口県宇部市)のグランドソフトボール競技で、県代表チームが初優勝に輝いた。メンバーで弱視の兵後正剛さん(50)=名張市春日丘2=は「4半世紀続けて、ついに全国一を勝ち取り涙が出た。世界に競技を広めたい」と夢を語る。
◇「世界に広めたい」
グランドソフトボールは、全盲選手4人以上を含む10人でチームを構成。投手はハンドボールのようなボールを転がし、打者はバットで打つ。捕手やコーチが手をたたき、ホームベースや塁の方向を教えるなど、音が重要な位置を占める。70年以上前に日本で考案された。
兵後さんは4年前に引退、指導者として後継者の育成や普及に取り組んできたが、全国出場をかけた東海北信越大会でチームが2年連続敗退したため、現役に復帰。1番・中堅手として6月の同大会優勝に貢献。ヘッドコーチとしてもチームを牽引(けんいん)し、全国大会でも初の栄冠に導いた。
県チームは02、03年に準優勝と実力は十分だったが、優勝経験がなく「無冠の帝王」と呼ばれていたという。「ずっと1位になれずに心は折れかけていた。今までの思いを優勝という形で達成できて感慨深い」と言う。長年指導してきた前監督を胴上げしながら、うれし涙が止まらなかった。
15歳の時、事故で右目を失明、左目も弱視となった。しんきゅうマッサージ師の資格取得のため、通っていた奈良県立盲学校時代、グランドソフトボールと出合う。28歳だった。当時、100メートル11秒8の盲学校日本記録を打ち出す俊足で、以来「走攻守」の三拍子そろった選手として活躍。00年、名張に引っ越し、奈良から三重チームに移籍した。02年の冬季パラリンピックにスキーで出場するなど、スポーツ万能だ。
グランドソフトボールは全国で約50チーム約1000人の競技人口があるが、国内でしか普及していないという。兵後さんは「世界に競技を広め、いつかはパラリンピックの正式競技にしたい」と話している。
〔伊賀版〕 毎日新聞 2011年11月11日 地方版
第11回全国障害者スポーツ大会「おいでませ!山口大会」(10月22~24日、山口県宇部市)のグランドソフトボール競技で、県代表チームが初優勝に輝いた。メンバーで弱視の兵後正剛さん(50)=名張市春日丘2=は「4半世紀続けて、ついに全国一を勝ち取り涙が出た。世界に競技を広めたい」と夢を語る。
◇「世界に広めたい」
グランドソフトボールは、全盲選手4人以上を含む10人でチームを構成。投手はハンドボールのようなボールを転がし、打者はバットで打つ。捕手やコーチが手をたたき、ホームベースや塁の方向を教えるなど、音が重要な位置を占める。70年以上前に日本で考案された。
兵後さんは4年前に引退、指導者として後継者の育成や普及に取り組んできたが、全国出場をかけた東海北信越大会でチームが2年連続敗退したため、現役に復帰。1番・中堅手として6月の同大会優勝に貢献。ヘッドコーチとしてもチームを牽引(けんいん)し、全国大会でも初の栄冠に導いた。
県チームは02、03年に準優勝と実力は十分だったが、優勝経験がなく「無冠の帝王」と呼ばれていたという。「ずっと1位になれずに心は折れかけていた。今までの思いを優勝という形で達成できて感慨深い」と言う。長年指導してきた前監督を胴上げしながら、うれし涙が止まらなかった。
15歳の時、事故で右目を失明、左目も弱視となった。しんきゅうマッサージ師の資格取得のため、通っていた奈良県立盲学校時代、グランドソフトボールと出合う。28歳だった。当時、100メートル11秒8の盲学校日本記録を打ち出す俊足で、以来「走攻守」の三拍子そろった選手として活躍。00年、名張に引っ越し、奈良から三重チームに移籍した。02年の冬季パラリンピックにスキーで出場するなど、スポーツ万能だ。
グランドソフトボールは全国で約50チーム約1000人の競技人口があるが、国内でしか普及していないという。兵後さんは「世界に競技を広め、いつかはパラリンピックの正式競技にしたい」と話している。
〔伊賀版〕 毎日新聞 2011年11月11日 地方版