ロンドンパラリンピック シッティングバレー
8年前、バレーボールの試合中に左膝に大けがを負い、脚が不自由になった宍粟市山崎町下比地の主婦西家道代さんが、来年8月開催のロンドンパラリンピックの公式種目で、座った状態でプレーする障害者スポーツ「シッティングバレーボール」の日本代表選手に選ばれた。パラリンピックの出場権がかかった昨年12月の「広州2010アジアパラ競技大会」でアタッカーとして準優勝に貢献したことが認められ、今年4月末に行われた代表選考合宿で強化選手に内定した。西家さんは「ロンドンではメダルを持ち帰りたい」と練習に励んでいる。
西家さんは小学6年でバレーボールを始め、高校卒業後は姫路市内のクラブチームに所属し、2年連続で全国大会に出場するなど、アタッカーとして活躍した。だが、2003年5月に試合中のジャンプで着地に失敗し、左膝のじん帯を断裂。5年半で手術を10回繰り返すなどしたが、左脚は自由に動かなかった。
09年12月、障害があっても何かスポーツに挑戦できないかと、たつの市内の体育館を訪れた時、シッティングバレーのチームが活動していることを知り、練習に参加。「体を動かす楽しさや新しい仲間ができたうれしさから、またスポーツをやってみたいという意欲が生まれた」と振り返る。
シッティングバレーは肩から尻までの上体の一部が床に接した状態でプレーし、ブロックやアタックなどで立ち上がると反則になる以外は、ほとんどバレーボールと同じルール。女子はネットの高さが約1メートルあり、西家さんは力強いアタックができるよう腹筋や背筋のトレーニングも繰り返した。
10年1月には、アジアパラ競技大会の代表選考会に参加し、バレーの経験やボールへの反応の良さなどから、代表に選ばれた。アジアパラ競技大会では、強力なアタックを左右に打ち分けて活躍。強豪のイランと出場権をかけた準決勝では、相手のアタックを果敢にブロックするなど気迫あるプレーでチームを引っ張った。
真野嘉久監督(46)は「精神力が強く、困ったときにチームを支えてくれる貴重な存在」と信頼を寄せており、西家さんは「支えてくれた家族や仲間がいたからこそ頑張ってこれた。必ずメダルを取って恩返ししたい」と話している。

ロンドンパラリンピックに出場を決めたアジアパラ競技大会の銀メダルを手にする西家さん
(2011年5月31日 読売新聞)
8年前、バレーボールの試合中に左膝に大けがを負い、脚が不自由になった宍粟市山崎町下比地の主婦西家道代さんが、来年8月開催のロンドンパラリンピックの公式種目で、座った状態でプレーする障害者スポーツ「シッティングバレーボール」の日本代表選手に選ばれた。パラリンピックの出場権がかかった昨年12月の「広州2010アジアパラ競技大会」でアタッカーとして準優勝に貢献したことが認められ、今年4月末に行われた代表選考合宿で強化選手に内定した。西家さんは「ロンドンではメダルを持ち帰りたい」と練習に励んでいる。
西家さんは小学6年でバレーボールを始め、高校卒業後は姫路市内のクラブチームに所属し、2年連続で全国大会に出場するなど、アタッカーとして活躍した。だが、2003年5月に試合中のジャンプで着地に失敗し、左膝のじん帯を断裂。5年半で手術を10回繰り返すなどしたが、左脚は自由に動かなかった。
09年12月、障害があっても何かスポーツに挑戦できないかと、たつの市内の体育館を訪れた時、シッティングバレーのチームが活動していることを知り、練習に参加。「体を動かす楽しさや新しい仲間ができたうれしさから、またスポーツをやってみたいという意欲が生まれた」と振り返る。
シッティングバレーは肩から尻までの上体の一部が床に接した状態でプレーし、ブロックやアタックなどで立ち上がると反則になる以外は、ほとんどバレーボールと同じルール。女子はネットの高さが約1メートルあり、西家さんは力強いアタックができるよう腹筋や背筋のトレーニングも繰り返した。
10年1月には、アジアパラ競技大会の代表選考会に参加し、バレーの経験やボールへの反応の良さなどから、代表に選ばれた。アジアパラ競技大会では、強力なアタックを左右に打ち分けて活躍。強豪のイランと出場権をかけた準決勝では、相手のアタックを果敢にブロックするなど気迫あるプレーでチームを引っ張った。
真野嘉久監督(46)は「精神力が強く、困ったときにチームを支えてくれる貴重な存在」と信頼を寄せており、西家さんは「支えてくれた家族や仲間がいたからこそ頑張ってこれた。必ずメダルを取って恩返ししたい」と話している。

ロンドンパラリンピックに出場を決めたアジアパラ競技大会の銀メダルを手にする西家さん
(2011年5月31日 読売新聞)