ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者が当たり前に地域で暮らせるように

2009年02月25日 00時58分24秒 | 障害者の自立
 各種の障害者関係の施設を運営している組織から発行されている機関誌には、新年の挨拶が掲載されている。それらを読んでいて、感じたことを記してみたい。私が最近感じていることを述べる。かつて、障害者小規模作業所移行調査で新聞社の取材に応じたときも、話したことでもある(読売新聞、2008年12月28日)。

■ 事業経営の大切さを述べている
 多くの障害者関係の事業所を運営している組織が発行している機関紙を読んだ。それぞれの組織は、障害者共同作業所(多くは無認可)とか、NPO法人運営とか、社会福祉法人立とかに限らない。多くは理念も大切だが、経営を維持することも大切だと述べている。経営が安定しないと立派な理念を掲げていても、それが実現できない事態に陥ってしまう、と書いてある記事もある。

 逼迫した財政の影響で、事業所への補助金やさまざまな報酬も削減されて事業所の運営が危機に陥っている外部的要因もあるのだろうと思う。現在、障害者への介助などの仕事や障害者たちとともに働いている複数の常勤スタッフを常勤は一人に減らして、他はボランティアとか非常勤に替えることを提案された事業所もあるという。あるいは行政から、今年度は財源を確保するからとして、次年度以降は大幅に圧縮すると宣言された組織もあるようだ。

 原材料の高騰で運営に苦労している事情も加わっている。どうしたら、経営を安定化させることができるのか。スタッフたちは、いろいろな思案を行い、実際に運営にあたって工夫もしている。これ以上、どうすれば改善できるのか、運営を投げ出したくなるほどだ。

■ これまでは、たしかに甘い経営をしている事業所もあった
 各種の障害者事業や高齢者介護事業を運営している組織では、これまで行政の補助金をたよりに運営してきた長い歴史がある。独自に運営しようと思っていても、どうしても行政の補助金や措置費などに頼る結果になりがちだ。その自治体行政の財政が逼迫した(だから障害者自立支援法で中央政府の財源に移行して欲しいというのだろう。新聞社が障害者小規模作業所の調査を行なったのもわかる)。障害者自立支援法や介護保険法に従い、中央政府も報酬を減額してきた。だから、事業所の経営も危機に陥っただろう。

 しかも、障害者や高齢者などからの利用料収入だけで、事業所の運営を賄うには無理だという事情もある。そもそも、福祉事業を運営しているのだから、運営を賄う収益が確保できるはずはないと考え勝ちだった。

 販売収入を増大しようとしても、活動の中心である利用者の力では、なかなか成果があがらない事情もあるだろう。スタッフたちも商品開発力や営業技術をもっているわけとは限らない。いろいろ工夫しても収入増加へのあきらめもあっただろう。たしかに、市場における民間営利企業との競争では、なかなか思うように成果がでなかった。

 経費を削減する努力も無視したわけではない。ただ、そこで多くの利用者の状態を考えると、介護などで関わる必要度が高い人も多かったという事情もあった。民間企業との連携や提携も考えたが、効果が上がるようにするには、民間営利企業の体制や環境も十分ではなかったであろう。

 とはいっても、経営を自立させるためにいろいろな努力をしてきた事業者も多い。そうした事例も多くある。一方でどうも収入増や経費節減への工夫が不足していたと思われる組織もあった。

 その意味では、組織のリーダーたちが、経営安定や健全化を中心に考えるように変化したことは、大きな意識変革である。これまで私も、組織の担当者たちはもっと経営努力を払うべきだと主張してきたつもりだ。ただ最近の動きは私から見ると、リーダーたちは組織の経営を安定化する方向に意識を集中しすぎているように感じる。これまで表明してきた考えとは矛盾するが、それだけでいいのか、と反問したくなる。

■ 地域の共同財産として人々に認識されてきただろうか
 事業所の経営安定化を図ることも大切である。だが、作業所にとって理念を重要なものと扱ってほしい。現実と理念とを対比させ、どちらが重要かを競うつもりはないが。

 障害者などが地域で共に働き暮らすための拠点としての事業所だっただろう。設立の時には、今の企業社会では実現がおぼつかない働き方を求める地域の拠点だったと思う。地域に存在する多くの人々が場所や資金、労力・知力などを提供しあい、共に働く場を創ってきたはずだ。

 実際に自分たちの働き方を実現する。それを地域の人々も受け止める。その働きの一つが製品(一般には商品ともいう)に結実しているだろう。販売を拡大する活動だろう。あるいは、具体的に対人・対物サービスによって形を示すという方法もある。

 売上げを増やすということは、自分たちが行なった活動の結果でもある。地域の人々にその働きを評価される度合いを高めることにもつながる。事業所で仕事をすることが、地域の共同財産という証明にもなる。地域社会や人々の考え方を変えていくことにつながると、思う。


「応能負担」を明記=障害者自立支援法見直しで-与党PT

2009年02月25日 00時57分34秒 | 障害者の自立
 与党の障害者自立支援に関するプロジェクトチーム(木村義雄座長)は12日に会合を開き、今通常国会に提出される予定の障害者自立支援法改正案について議論した。この中で、介護、介助など障害福祉サービスの費用負担について、利用者の所得に応じる「応能負担」として明記すると決定した。原則的に負担を費用の1割とした条項は撤廃する。
 木村座長は会合後、記者団に対し「負担の問題が大変な議論になっていた。大きくかじを切らせていただく」と述べた。
 同法では、障害福祉サービスの費用の9割を公費で負担し、本人は原則1割支払うと規定。受けたサービスの量に応じて費用が増える仕組みだ。ただ、厚生労働省によると、現行の軽減措置により、利用者負担は平均約3%に抑えられている。
 PTはほかに障害者支援の基本方針として、現行では月額3万7200円としている利用者負担の上限の引き下げも決めた。具体的な額は今後詰める。発達障害と高次脳機能障害を同法の対象に含めることも明記する。

大規模災害時、施設を福祉避難所に

2009年02月25日 00時54分04秒 | 障害者の自立
 精華町は23日、大規模災害の際、高齢者や障害者など「災害時要配慮者」が、最寄りの老人ホームや児童養護施設を「福祉避難所」として利用できるよう、町内の各施設を運営する4つの社会福祉法人と協定を結んだ。

 神の園、京都大和の家、同町社会福祉協議会、相楽福祉会の4法人で、各法人代表と木村要町長が同日、町役場で協定書に調印した。災害時要配慮者には、介護保険の要介護度3-5の在宅高齢者、障害者や妊婦などが登録でき、安否確認や避難誘導が受けられる。

 各施設の受け入れは町の要請で行われ、各法人は看護師や介護員らを避難所に配置し、日常生活を支援する。看護師らの人件費や避難者の食費などは町が負担する。

 要配慮者がどの施設に避難するかは、今春以降に調査を行って決める。

支局長からの手紙:HPにかける夢 /徳島

2009年02月25日 00時52分35秒 | 障害者の自立
 底なしの世界同時不況、目を覆うばかりの麻生政権の体たらく……。暗く、救いようのないニュースばかりに、こちらまで投げやりな気持ちになってしまいます。厳しい境遇にあっても、前向きに生きる人から元気をもらいたくて、国立病院機構徳島病院(吉野川市鴨島町敷地)を訪ねました。

 同院は四国における神経・筋疾患医療の基幹病院施設。今回訪ねたのは、全身の筋肉が萎縮(いしゅく)する難病・筋ジストロフィーの患者たちに就労の道を開くため、院内でホームページ(HP)の作成講習を始めたと聞いたからです。

 同院によると、最も多いデュシェンヌ型と呼ばれる筋ジス患者の平均寿命は20年前なら20歳くらいでしたが、人工呼吸器の導入など医療の進歩で30歳程度まで延びています。それに伴い、高校卒業後をどう生きるかが課題として持ち上がり、就労の道を探ることになりました。多田羅勝義副院長は「仕事を通じて社会とかかわりを持ち、健常者と対等につきあえる人になってほしい。肉体的には無理でも頭を使うことなら主役になれる分野があるはず」と期待します。

 そこで強い味方になるのがパソコン。筋力が多少落ちてもマウスなら扱えますし、もっと弱くなっても指先さえ動かせればスイッチ一つで操作できるソフトも開発されており、多くの患者が親しんでいます。県内外でパソコンを使った就労例があることや同院のHPも患者が作成した実績があることから、技術を磨けば、外部からの受注も可能だと考えたのです。

 障害者らがHPの作成業務をしている藍住町の就労支援センター「ハーモニー」の指導を受け、3人の入院患者が昨年末から視覚障害者用の音声読み上げソフトに対応したHPの試作を進めています。6カ月で基本的なサイトを作れる技術を身に着け、その後はハーモニーの協力を得て仕事に取り組む計画です。軌道に乗れば在宅患者にも広め、将来は院内に会社設立も、と夢は膨らみます。

 3人は「障害があるからこそ、気づくことがある。障害者も使いやすいHPを作りたい」と声をそろえ、中でも美馬市の福祉施設でパソコンの指導補助をしているという小山雄己さん(18)=鴨島養護学校高等部3年=は「もっと勉強してパソコンの指導ができるようになりたい」と話します。

 障害者が使いやすいHPは、健常者にとっても使いやすいはず。ハンディを強みに変え、社会に貢献できることが実感できれば、彼らの活動はさらに弾みがつくでしょう。独自の工夫を凝らした、万人に優しいHPの開発を心待ちにしています。【

「老老介護」悲哀 家族支えた87歳…気付かれず死後10日

2009年02月25日 00時48分40秒 | 障害者の自立
 厳しい寒さが続いた1月。東京都大田区中馬込の住宅で、死後1週間以上が経過した無職の男性(87)の遺体を近所の知人が見つけた。認知症の妻と知的障害を持つ息子と暮らし、買い物や食事の準備、施設への送迎など懸命に2人を介護していた男性。布団の中で息絶えていたが、妻と息子がその死に気付くことはなかった。男性の最期は、高齢者が高齢者を介護する「老老介護」の悲しい現実を映し出している。(石井那納子)

 昔からの近所づきあいが残る住宅地で、坂道の多さから「九十九谷(つくもだに)」と呼ばれる馬込地区。男性は認知症の妻(80)と知的障害を持つ息子(51)の3人で生活していた。年金生計で暮らしぶりはつましかった。

 「最近、お父さんが食事をしないの」。1月15日夜、妻は近所の知人女性にこう打ち明けた。心配した女性が16日に家を訪れ、布団に横たわったまま亡くなっている男性を見つけた。

 警視庁池上署の調べによると、死因は脳出血とみられ、死後1週間から10日が経過していた。男性の死に気付いた妻は「今後が心配。何よりも寂しい」と周囲に漏らしたという。


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 近所の女性によると、妻は1年以上前に認知症を患ったが、それまでは息子を真ん中に3人並んで手をつないで楽しそうに歩く姿を見かけるなど、近所でも仲の良さが評判だった。

 大田区の職員が昨年4月、息子の障害の程度を確認するために家庭訪問した際、妻の認知症を知り、介護保険を申請するよう勧めた。だが、男性は「まだ私は元気だから面倒は見られる。当分は死なないよ」と笑って断った。

 男性は急な坂道をつえを頼りに、ひとり買い物に出ていた。買い物から食事の準備まで家事のすべてを引き受けていた男性に、妻は「『座っていればいいから』と言ってくれる。本当に優しくしてもらっている」と感謝しきりだったという。

 近所の知的障害者援護施設に通う息子の送り迎えも欠かさなかった。自宅から施設までは歩いて5分。男性は車の往来に気を配り、自分が車道側を歩いて息子の手を引いた。施設の職員は「介護が大変なことは聞いていた。愚痴を言わず、つらさを感じさせない明るさがあった」と振り返る。

 送迎の時に施設でつくられたケーキを買うこともあり、「息子さんが施設の活動を通じて、社会とかかわりを持つことを喜んでいるようだった」(職員)。
 男性の死から1カ月以上がすぎ、妻は笑顔を取り戻しつつある。「息子がマッサージしてくれるの」。かつて男性が妻にマッサージをしているのを見て覚えていたのだろう。息子は恐る恐る背中や肩を押してくれるといい、「うれしい。体の痛みも数段和らぐ」。

 男性が大切にした家族は今も、仲むつまじく生活している。だが、近所の女性は「2人がかわいそう。ますます生活が大変になるだろう」と案じている。

 馬込地区の福祉行政などを担当する区の大田北地域行政センターは「支援に向けて、奥さんに介護保険を申請するよう説得していきたい」と話している。