机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

今の出版界に物申す

2020-04-30 08:00:00 | 楽描き
 デジタルの波に押し寄せられて出版業界も不況のようだ。
映画「バクマン」の中で佐藤健君が言っていた。今の出版業界の四割前後はマンガ出版だ、マンガがなければ出版社はとうに潰れている。と。

 そのマンガだが、あいも変わらず昔ながらの出版形態だ。何故にコミックスは小さいのだ。そこへ持って来て文庫化だ。印刷技術が進歩してきてからの結果なのか、はたまた文庫という形式へのこだわりなのか訳が分からない。

 手前のように眼が悪くなってくると、小さいマンガがは読めない。見れない。何ッ。老眼鏡をかけれとな、馬鹿野郎。本をデカク刷れと言っておるのじゃ!!

 なぜに本を原寸大に印刷できないのだ。どうしてB4にこだわる。そりゃぁコストの面とか、輸送の規則とか大人の事情があるのだろう。それはわかる。

 しかし、このままでは紙の文化は滅びるぞ。
縮小すれば絵が綺麗に見える、だと。それは昔の話だ。今は原稿の取り込みも印刷も昔とは比べものにならない位に格段の進歩をしているだろう。

 業界の人間なら判るだろう。生の原稿の美しさが!逆に昨今のデジタル化されたマンガの絵はベタッとしていて貧粗だろう。無料で読める物もあるからいいだろう、てっ。馬鹿野郎。どこぞの少年雑誌の紙の印刷よりも始末が悪いぞ。

 ろくに売れもしない、ルノワールやゴッホの画集に地道を上げて、マンガは粗製乱造の扱いかい。いいのかい、それで。マンガで食い繋いでいるのだろう。
出来るだろう。マンガを原寸大の大きさに。生の原稿が匂うがばかりに、ペンのタッチの強弱が伝わるかのように出来るだろう。

 捨てられるマンガを創るのは、もう止めよう。作家が命をけずって描いた原稿を、生の原稿の息吹を後世に残そう。そうすれば広重や歌麿のように作家は勿論の事、出版社も歴史に残るぞ。

 やれ。今すぐに、コロナで会社が潰れるその前に・・・・。 





 

本日も駄文

2020-04-18 04:21:00 | 日々是茶飲み話
 今日は首のまわりが汗ばむ。季節は廻りようやく春なのであろうが、緑や花はまだ先のようだ。

 本州の方のブログなどを拝見すると、もう二月や三月から花の便りがある。えらい違いで驚いてしまう。

 ここに長く住んでいると、これが当たり前とすましてきたが、個人の情報発信が進歩してきた今日ではテレビや新聞よりも、発信が身近で早くて細かくて、ある意味で中身が濃い。

 家の庭にこんな花が咲きました。あるいは近所を散歩していると土手に小さな芽が吹き出ていました。等等。

 実に素人とも思えない写真と文章で感心してしまう。時々にお邪魔をしては心を和ませている。

 我がブログはといえば、これはそういう発信は苦手である。言えばそういう豊かな感性をもちあわせていないのだ。

 その名のとおり机の上の小さな諸事を書いている。杖の上で描いたもの、あるいは書いたもの、机の上にある小物、等と実に退屈なブログだ。しかもあまり更新もされない。

 そんなブログだが、いつしか宝物のになってきた。自分が死んでも・・・いつまでも残って欲しいと思うのだが、どうであろうか・・・。

 実は大きくなったら孫に読んでもらいたいと、そういう気持ちで今ではこの駄文を書いている。

映画を漫画化

2020-04-13 03:48:00 | 楽描き
 映画をコミカライズしたものが好きである。
今はどうかは知らないが、昔はそういう映画を漫画化した作品が多かった。
 
 小学生の頃に印象に残っているのは東宝の特撮映画が封切りと同時期に少年雑誌に作品が掲載されていた。ゴジラ映画などはその代表例だ。

 漫画雑誌など、そう沢山に買える訳もなく、多くは友人宅にお邪魔した時に見るか、あとは床屋さんで待ち時間に見るかして娯楽の飢えをしのいでいた。

 映画館にもそう頻繁に通える訳もなく劇場のウィンドウに飾られているスティールを指をくわえ物欲しそうに眺めるだけだった。

 映画といえば漫画家の手塚治虫氏は無類の映画好きと聞く。
一年間に三百六十本も観たという話しもあるくらいだ。
その手塚氏はどんな映画から影響を受けたのであろうか。

 氏がウォルトディズニーの影響を主張する記事はよく目にするし、西部劇が嫌いだというのは何かで読んだ事がある。そうは言いながらも全ての作品から影響を受けていたのだろう。

 おつき合いがないし、氏の作品を全て読んだ訳ではないので何とも言えないのだが、多分手塚治虫氏は映画を観ながら、僕ならこういう風にすると映画作品の上げ足を取りながら観ていたのだと推察する。

 氏の作品内容やタイトルから、そう感じるのは考え過ぎだろうか。映画の感想あるいは、もっと言えばパロディを漫画として生み出していたのではないだろうか。

 氏はまた形をすっかり変えて映画を漫画化にしていたのではないだろうか。氏の創作の秘密がそんなところに、あるのかもしれない。

 話しがすっかり横道にそれてしまった。