そうか、去年は大変な大雪だったけれど、一年前の今日は雨だったのか。正月三ヶ日でも雨が降った事があったから、珍しくはないのだけれど・・・・。そういえば三月に入って積雪がゼロセンチの時もあったな。
父が亡くなって三十年以上も経つのか・・・。父よりも長生きしている・・・。父も絵描きだったが、僕は漫画描きだ。最近こういう色付きの絵を描いているのは父を懐かしんでの事だ。父は漫画の事は解らないと言っていた。
僕も写真を見ながら映画スターの顔などを描いて、どこが面白いのか子供の頃は理解できなかった。それでも父は僕に「よく同じ絵を続けて描けるな・・・よく見ないで絵を描けるなぁ」と言ってくれた。あれは褒め言葉だったのだろうか。
去年の今頃はデジタル絵も、まだ四苦八苦だったのか・・・。絵も未完なのか。
この絵も途中。
去年は大雪で、それの方でも苦労してたなぁ。今日は春三月の気温だ。
最近はテレビ等で、何かにつけて「ヤバイ」という言葉を耳にする。凄くても美味くても上手でも、何でもヤバイと感想を述べる。昔は「ヤバイ」とは不良の符丁で状況が不味い時に使われていたと記憶する。
自分も子供の頃にヤバイなどと言ったら親にしかられたし、会社で使った時なども上司が嫌いやな顔をしていたものだ。それに食事が美味かったり物事が上手くいったりした時には使わなかった。
テレビに出ている人間がヤバイ、ヤバイと連呼しているのを聞いていると、まるで犬がワンワン、オオカミがウォーンと鳴いているように思ってしまう。語彙力を大切にしている眼鏡の先生も嘆いているかも。
戦後間もない頃の不良が警察が来たからヤバイぞ逃げろという言葉も時が流れれば、この料理は美味くてヤバイに変わってしまうから面白い。頑固な事を言わずに、これも文化と解釈すれば良いのかも。変わるもの、消えるものも有るのが世の流れか。
それでいくと、今の若い人はジェームズディーンなどという俳優は知らないだろう。ましてや、うじうじしている様な奴をとらえて「いつまでもジェームズ・ディーンを引きずっているなよ」等という言い回しも今や死語なのだろう。
絵は、そのジェームズ・ディーン。映画「エデンの東」の一場面のイラストだ。まだ途中であるが掲載する。うじうじして泣きそうな顔が表現出来ているだろうか。上手くなければ、それこそヤバイである。
むかしは五十五歳が定年であった。随分と引退するには早いなと若い頃には思ったものだが、自分が五十五歳になった時には、やはり肉体的にも精神的にも壁を感じた。
ちょっとした高さの段差から飛び降りても足首や膝に違和感をおぼえたり、エスカレーターでけつまづいたりとドジが多くなってきた。挙句に仕事で使う昇降盤で怪我をするというアクシデントをやらかした。
昇降盤というのは大きな卓上にモーターで回転する丸鋸が附いていて合板やベニヤ板、雑木などを切断する機械だ。
その昇降盤の回転する丸鋸に不覚にも左手の小指の先がふれてしまった。幸い爪は大丈夫で指先をスッと、かすってしまった。思いましたね、また何でと・・・、忙しく納期に追われていたとはいえ焼きがまわったなと思った。
なるほど、その時に五十五歳で定年という取り決めも有りだなと思った。人によっては個人差もあるだろうが、やはり壁といものはあるのだろう。当初は指という事もあって驚いたが軽傷で済んだ。
今その傷口部分は少し盛り上がり、小指は数ミリ長くなったろうか。ギターを弾くのに少しは有利になったろうか。今は笑い話の一つだが、当時は青ざめた。血がそこいら中に散らばったからね。
絵は週刊誌のグラビアを模写した習作です。この一年はワコムの液晶ペンタブレットに慣れる為に、こういう仕事をしている。紙描きの劇画はすっかりご無沙汰してる。春三月になったら部屋に入ろう。