僕は鉄腕アトムが誕生した年に生まれた。
テレビ電波が巷に流れ出した頃だ。ついでに言えば進駐軍が米国に帰った頃でもある。
子供の頃は貧しくて、娯楽といえば漫画雑誌に絵本、児童書くらいしかなくて、それも定期的には買っては貰えなかった。貧乏はその後も付いて回り、あまり読書家ではない。
最近は娯楽が多様化してきて、それが為か大手の製紙会社が操業を止めてしまった。化粧品など違う分野に手を伸ばし再生を計るという。
世の中が紙を必要としなくなってきたのだ。
当然、出版部数も少なくなってきている。漫画雑誌を始め書籍の多くは紙から電子に変わって、その数をのばしている。電子化になっても出版会社は困らないだろうが、紙会社は本会社は困るわけだ。流通形態も変わるのだろう。
もう数十年前から電子化は予想されていたわけだが、以外にその速度は遅く感じる。もっと世の中が急転直下に早変りするのかと思ったらそうでもない。理由のひとつは政府の動きが電子に対して緩慢なのである。
自分も含めて団塊の世代が滅ばなければ、世の中が変わらないのかと思う。
電子化に伴う法律の制定。その法律の電子化。電子化の安全を守る制度の確立。その制度の電子化。等など、やらなければならない事が山ほどあるのだが、行動はおろか想像も追いついていない。
今の老人が滅び次の世代の老人が滅ぶ頃には、国も政府も電子化されて、人々も電子化され、国土も存在しないかもしれない。国土も日本国もデータ化されて小さくなり、人々は喜びも悲しみも電子の中に封じ込まれて死ぬも生きるも気付かないまま一生を終えるのだろう。
国も国民も財産も国土も電子化されて、小さく折りたたまれた、その物は一体誰のポケットに収まっているのだろう。想像も出来ない電子戦争が始まるのだろうか。それを察知しての政治の動きの遅さなのだろうか。
昨日まで有だったものが今日は無になる。電子といものには、そういう怖さもある。クラウド、それこそ雲を掴むような話しに未来があるのだろうか。
やはり、馬鹿が死ななきゃ世の中が変わらないのか。いや自分の事です誤解のないように。素粒子て何だ?
絵は、これでも電子で描いている。だから電子って何?