机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

キャラクターの事

2010-06-30 20:36:00 | 楽描き
時間が経つにつれて絵が変わっていく。

仕方がないと言えばそれまでだが、・・・・・・
信仰している作家が一人いる。

信仰というよりその存在はあまりに高く崇高で敬遠してきた、と言う方が良いかもしれない。

谷口ジロー氏その人である。

初めて会ってから今日まで、その絵の質には驚かされる。

四つにくぎられた、小さなコマ割りに細かく丁寧に描かれた絵には頭が下がる。

丸ペンを使う様になった。
丸ペンは細い線が引けて細かい描写や小さい絵を書くのに適している。

反面、Gペンは太くてざっくりとしたアクセントのある線が得意だ。

ずっとGペンだけでやってきたが顔の部分と、引きのロングのシーンの人物等に丸ペンを使っている

この頃は一之進の顔にも丸ペンを使って書いている。

実は作品を書くにあたって一之進の顔はなかなか決まらなかった。

原因の一番は手が絵を書く事を忘れているのである。

所謂、手くせというのが無くなっていたのである。

自身の中に二枚目はこうだという決まったイメージパターンが昔はあったのだが、随分とペンから離れている時間が長すぎたのだ。

書いても書いてもイメージは固定しなかった。

結局、見切り発進したわけだが案の定、数枚目で顔が違う人に見えると読者の一人に言われた。

言葉が無かった。

連載を続けながら、絵を固定させようと、思っていたからだ。

キャラクターもそうだがストーリーも変わっていった。

まるで大学ノートにでも書いた構想段階の様な整理されていないモノを清書して出しているのである。

止めるわけには、いかない。

最後まで書き通す。

今はそれだけを念じている。

何かがきっと見えてくる。

それにしても谷口ジロー氏は凄い人だ。

キャラクターに主役に犬を持ってくるとは。

「犬を飼う」にしても
「ブランカ」にしても。感動的な作品である。


(写真は試作の一之進のペン入れをしたもの、最初の頃のものよりも凛々しい。)






犬を飼う

2010-06-20 22:05:00 | 楽描き
友人のブログを楽しみにしている。

日々の生活を飼い犬の目線で語られていてほのぼのとしている。

勿論、ワンちゃんの写真も掲載されている。

カメラ目線で御主人に語りかける様はなんとも愛らしい。

散歩の風景なども風情があり、変わりゆく季節が美しい。

マンガ好きの友人だからブログを、まるで谷口ジロー氏の「犬を飼う」の様ですねと、評した。

さすがにそれだけでは分からないかもしれないと、漱石の猫の様なおもむきもあります、とも付け加えた。

谷口ジローという作家なら知っています。本を持っています。一冊だけですけど。

「犬を飼う」です。

とても感動しました。

とは友人の弁。

友人とのやりとりで未読だと答えて尚かつ「犬を飼う」を引用してブログを評したのには訳がある。

何となく断片的だがイメージだけが浮かんだのである。

きっと何処かで広告でも見たのか立ち読みでもしたのだろう、と思った。

先に書いた通りに昔読んでいたのである。

(表紙絵の一部を書く)







犬を飼う

2010-06-15 20:40:00 | 楽描き
忘れるているのである。
犬を飼っていた事をそして猫も飼っていた事も。
30年以上も前だろうか実家で雑種の子犬をもらった。

若い時から犬や猫を飼うのを嫌っていた母が急に飼うと言い出した。

子供の頃犬や猫をひろってくると元に戻してきなさいと、言う様な母だった。

余裕が出来たのか、若い頃、生きる事に精一杯だった母には新しい生き甲斐の様だ。

トムと名付けられた子犬はその後すくすくと育ち長寿をまっとうする。

トムの前はアンちゃんと、いう猫を飼っていた。
利口な猫だったが交通事故で亡くした。

谷口ジロー氏の「犬を飼う」にはタム(飼い犬の名前)の末期が丁寧に描かれている。

トムの時にもこの様だったと、後から聞いた。

子犬をもらった年に再起動すべく家を出たのだから最後をみとってはいない。

母は淋しいから犬を飼うと、言い出したのだろうか。

父はまた東京を目指してもいいんだぞ、と言ってくれたが、自分の才能に区切りをつけてS市に向った。

トムは帰郷する度に尻尾をふって出迎えてくれた。

やがて結婚して三人の子供を儲けた。

長男があの時の年令になた。

名作「犬を飼う」の奥付はこうだ。

1992年11月20日初版第一刷発行
小学館

この年に購入したかそうではないか、今となっては記憶がないが、長男が小学校に上がった頃だったろうか。

月日は無常に流れている。

母の万分の一の苦労しかしてないが我を忘れて生きてきた様な気がする。
音楽が好きだった事も忘れている。

スキーが好きだった事も忘れている。

マンガを読んだ事も忘れている。

「犬を飼う」を再読して、
涙がこみあげてきた。

犬を飼う

2010-06-14 12:58:00 | 楽描き
また記憶違いの話しから入り恐縮である。

谷口ジロー氏の作品を求めて本棚をあれこれ物色する昨今であるが、つくづく我が身が情けない。
谷口ジロー氏の名作「犬を飼う」を所有していたのである。



鷲羽一刀流の事

2010-06-13 11:46:00 | 楽描き
人の記憶というものは当てにならないものである。

鷲羽というネーミングを思い付いた時はヤッターという気持ちになった。
しかし、何十年もの昔に五味康祐著「秘剣鷹の羽」を読んでいるのである。
忘れてはいても、脳の片隅に鷹の羽という言葉が残っていて鷲羽という言葉を導き出したのだろうか。

しかし鷹の羽という言葉を覚えていれば採用しなかったかもしれない。

でも、音は悪いが字面はかっこいい。

脇の下から冷や汗が出るを事が、もうひとつ。

最近、谷口ジロー氏の本を再読しようと本棚を整理した。

先の本も、その時に発見して懐かしく読み返した次第。

谷口ジロー氏はいろいろなジャンルを書かれるが時代劇は長い作家生活の中で、一作だけである。(いつもながら記憶で書いているので間違っていたら御容赦願いたい。)
「柳生秘帖 月の抄」が、それである。

ちゃんと何度も読んで読了しているつもりだが、忘れている。

1999年初版発行とあるから、10年前だが内容を忘れる年月ではない。

再読して驚いた、拙作に登場する蛇頭剣とほぼ酷似する剣技が描かれていた。

元はといえば蛇頭剣は佐々木小次郎の燕返しがヒントになっている。

小次郎の燕返しはこうだ。

双方が対峙する。
相手が踏み込んでくる。小次郎が大上段で物干し竿を上から下へ切り付ける。
相手はそこに隙を見つけて更に踏み込む。

実は小次郎の初太刀はフェイントで相手をおびき寄せる為のもので返す刀で下段から切り上げるのが真の目的なのだ。

それも、飛び交う燕より早く。
まさに飛ぶ鳥落とす早業なのである。

小次郎の燕返しは他流派にも似た技が存在する。
小次郎の燕返しが縦に変化するのに対して横に変化させる虎尾返しがある。

猫の尻尾が右に左に変化する様からそう名付けられたか、なるほど言い得て妙である。

近年では、空手家のアンディ・フグ氏が得意とした「かかと落とし」が似ている様な気がする。

フグ氏が上段前蹴りをくりだす。
相手はよけて反撃に出ようとするが、フグ氏の蹴上げられた足は踵から急降下、相手の鎖骨にめり込む。

最初に蹴上られた前蹴りは小次郎の初太刀と同じフェイントなのである。
谷口ジロー氏の描かれた、逆流れの剣は小次郎の燕返しに似ているが違う点がひとつある。

燕返しは刃側から返すのに対して逆流れは降ろされた初太刀そのままに振り上げられ峰先が相手の顎を切り裂くのである。
しかも使われている剣は峰先が諸刃なのである。
この部分が蛇頭剣と違うところ。

違うところがもうひとつ、構えから技がくりだす点である。
構えの段階で虚をつくり相手に隙を与えて瞬時にくりだす。

小次郎の燕返しより一手間はぶかれ、より早い技と、合点がいくもやはり記憶の奥にあった氏の作品の影響が無意識に働いて蛇頭剣を導き出したのだろうか。

もうひとつ紹介する。

影の流れ 疾風剣。

白土三平氏の名作、忍者武芸帳影丸伝に登場する剣技である。

先の虎尾返しと同じ横に変化する剣技だが同時に二人を倒す必殺技だ。

受けと攻撃が一太刀でなすまさに一刀流の極意なのである。

谷口ジロー氏の作品については、またこの次。

(書き始めて、一月ほどたっている。
写真はよさこいにて。)