机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

A寒に果tu(二)

2019-06-16 05:17:00 | 楽描き
 加清純子回顧展の交友録の中のブースの中に上野憲男先生のコーナーがあり、加清さんの思い出を語った一文があり、それをメモしてここに掲載する。

*****は書きもらしたと思われるため記憶による。

 ― 以下上野先生のパネルの一文 ―


 加清純子さんに初めて出会ったのは全道展の搬入の時だったと思います。
彼女は高校二年生で南高校に来る前から札幌市内美術連合展などで活躍しており、南校内でというより数校の間で噂になっていました。

 南校で彼女とは同じクラスになったことはありませんが、ともに美術部に参加していました。我々の考え方に共鳴してくれる若い教師渡部五郎先生がいて、二人で彼の家で夜遅くまで話し込んだこともありました。

 帰途美しい月あかりと雪あかりのもと加清さんを南高正門前の家まで送って行った時には寒さも忘れて語り合ったものです。会話は淡々とした調子でしたが、それは何ともいい感情のクールな気分でした。

 彼女は「情婦マノン」のエキセントリックな神秘的な美のセシル・オーブリーに興味を持っていたようでした。

 学校の廊下で彼女と二人展をやったことがあります。自分の絵を彼女が「一点ほしい、購入したい」と言ってきました。そうしたことを、スッと口にする人の感覚を感じて驚いたことを覚えています。

 ある日彼女のアトリエに入ると、板の間の床に何とホースで水を撒いていて、水浸しになっているところを素足で平気で歩いていたのです。
常識的な感覚を超越している。それをわざとらしくするのではなく平然とやっているわけです。

 菊池又男と一緒に歩くのが見られ、自由美術協会の画家たちとも親交があったようです。
独立展の高畑達四郎が彼女の肖像を描くのを見ていたこともありました。

*****
 加清さんに卒業したらどうするのと聞かれたので東京に出ると答えました。
「そう私も一緒に行きたいわ」
*****

「東京に行く前にちょっと阿寒に行ってきます」と、南校の廊下で聞いたのが最後になりました。

 卒業後、上京した私はある日渋谷駅のホームで加清さんの姿をちらっと目にしました。

それはあるはずもない、影のようなはかない幻影でした。


(写真は回顧展に展示されていたもの。会場は撮影禁止だったのでネットから拝借して加工した。)


 上野先生。
思い出の写真や文のパネルの前とはいえ久し振りにお会いできて嬉しいです。

あの頃、札幌の街を加清純子さんと一緒に歩いていたのですね。