机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

無題

2019-08-26 07:44:00 | 日々是茶飲み話
 今日から一週間ほど休載?墓参りに行きます。チョット遅くなったけど・・・・・。

 あちこちネットやブログを徘徊している老人である。
感心するブログがあり時々お邪魔させていただいているが、省みて我がブログが低度なのには恐縮の至りである。

 開き直るつもりはないが、人様に読んで貰おうという気持ちはない。これといったテーマに挑んでいるわけでもないし、日々を几帳面に羅列しよういう気持ちもない。

 しいて言えば、こうしてパタパタと慣れない手つきでキーボードを叩くのが楽しいのだ。


雲がちぎれる時

2019-08-25 21:23:00 | 映画の味方
 映画「雲がちぎれる時」をイメージした絵である。




スタッフ

監督  五所平之助
製作  月森仙之助 五所平之助
原作  田宮虎彦
脚色  新藤兼人
撮影  竹野治夫
音楽  芥川也寸志
美術  平川透徹
編集  長田信
録音  福安賢洋
照明  平田光治

キャスト

三崎   佐田啓二
市枝   有馬稲子
ジェームス・キムラ 仲代達矢
加江子   倍賞千恵子
野本    渡辺文雄
弥生    日高澄子
石材屋   中村是好
窪津    伊藤雄之助

落書き・楽描き・らくがき

2019-08-25 03:16:00 | 楽描き
 このブログ「机の上」のカテゴリーの「楽描き」は一番最初に浮かんでテーマとした。あらためて落書きの事を調べてみたら次のような事が書かれていた。

 適当に描いた絵のこと、またはそれをする行為。自作の絵を謙遜する時にも使われる。
 
 確かにそうなのだが、落では気持ちが下がるし、壁の落書きと区別する意味でも、楽という字を当てた。

 「机の上」にしても自分にはこの程度の大きさの世事しか分からない。文字通り半径一メートルの身の上を書こうと始めた。

 その後カテゴリーは増えていったが、基本はやはり机の上である。机の上に乗っかるもの、机の上で想うもの、机の上程度、手をいっぱいに広げての大きさを心情としている。

 なんのためにアップする。そんなものを誰が見ると、嘲笑する人もいるが、そいう人には、今は孫に残すためと答えている。

 先祖の事がよくわからない。とりわけ祖父の事はまったくわからない。父が寡黙で語らずじまいで、この世を去った。写真もない。せめて日記とまではいかなくても、書いたもの、手紙の類といった証拠さえもない。何か事情があるのかそれすらわからない。

 お爺ちゃんがどんな人だったのか、今でも考えると淋しい気持ちになる。





 絵はバランスが悪い。ポーズに無理がある。等身が少ない。顔が大きい。いきつくところデッサンが未熟。取材不足。


 あとで描き直そう。
  
    いつか・・・・・。



趣味・ホビー

2019-08-23 11:47:00 | 楽描き
 履歴書にある趣味の欄に書きがちな、読書とか映画鑑賞、スポーツ等は、趣味には当てはまらないらしい。

 趣味を英語に直すとホビーとあるが、この意味も専門的な意味合いが強く、普段日常的に行われている運動をするとか、テレビを観るとか先に述べた読書等も趣味にはならないという。

 趣味・ホビーとは、かなり高度な修練を積まなければ成り立たないもの、もしくは専門的に収集研究するという事のようだ。

 確かに読書などは普通に字が読める人であればいつでも始められる。読書が趣味であるならば新聞を読む、そのチラシを読むも趣味になる。

 手前などはホビーを長い間、玩具と解していた。だからホビーが趣味と解った時もプラモデルを作る、オモチャを集めるとか研究をする事かと、漠然と思ってしまった。

 玩具に限らず、あらゆる物も収集・蒐集も趣味の対象になる。ただ、ひとりでに溜まった古新聞や雑誌は趣味にはならない。ならないが意図的に蒐集して研究の対象にするという事であれば、これは立派な趣味になる。

 朝起きたら、ジョギングをするというのは、趣味にはならないと言ったら、ジョギングをする人は怒るかもしれない。ただフルマラソンにアマチュアながら出場して、それなりの成績と実績があれば趣味になるという事か。

 線引きは難しいが、ようは一朝一夕に事に到達出来なく、得難いものを趣味という事と解釈する。

 人によく趣味はなんですか?と、問われる。
漫画を描いています。本当は劇画を描いていると言いたいが説明が面倒なのでマンガを描いていますと、答える。

 そうすると、手塚治虫のような長谷川町子のようなものですか?と、返しがある。

 これまた面倒だから、そうです、と答える。次にプロを目指しているのですか?と、くる。

 いえいえ、滅相もない公園でお年寄りがやるゲートボールのようなものです、と答える。

 すると大抵の場合は何だそんな低度かと落胆して、話しはそこで終わる。今度見せて下さいとは百あるうち一も無い。

 ゲートボールを引き合いに出すのには訳がある。会う人度にゲートボールはやらないのですかと問われる。なるほど世間の人は歳をとったらゲートボールをやらなければいけない、という先入観があるようだ。

 残念ながらゲートボールには興味がないし、ゲートボールはお年寄りがするものだと決めつけるのもいかがなものかと思う。
公園で皆さんが切磋琢磨して技術論などを展開している光景を見るにつけ、長い時間をかけて、その道を究めようとする姿は立派に趣味だと言える。

劇画を趣味とする事に、周りのの眼は冷たい。そんな事をしてなんになるの?とか、お金になるの?はたまたデビューはまだなの?等々。

 作品に対しても興味を示してはくれない。多くはただの自慰行為だろうと軽蔑されて終わりである。確かに自己満足であるし構って貰おうとも思ってはいない。

 正直どうしていいのか解らない。これだという答えが見つからない。線ひとつにしても、タッチそのものにしても、これはいい、これでいいという事はない。暗中模索の日々である。

 それでも毎日、なにかを発明しようと生きている。



 絵は随分と前に描いた下絵にペン入れ途中である。
バランスの悪い人物ではあるが、最近はペンを握ってないので小手調べに描いてみる。
せっかく描いた下絵だ。ゴミ箱には入れず仕上げて反省しよう。

 写真、左横は趣味のモデルガン。

 コルト・ウッズマン スポーツモデル 22口径

 映画「抜き撃ちの竜」で赤木圭一郎が劇中に使用していた銃だ。
当時の映画は本物を使用していたという。
確かに劇中冒頭のコルト・ウッズマンの大写しのシーンは美しい。