机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

遠州森の石松

2020-06-29 09:01:00 | 楽描き
 え。えは、遠州森の石松ときた。
他に浮かばなかった。悪い頭だ。わざわざ遠州とは、森の石松で、もだろうと思う。

 幼少の頃、ラジオからよく浪曲が流れていた。だから頭にこびりついていたのだろう。浪曲といえば広沢虎造、遠州森の石松だ。

 当時は映画も観た。勝新太郎が、森の石松を演じていて、雨の中で殺されるシーンだけが今日まで記憶に残っている。

 さて絵であるが、親分清水の次郎長に用を頼まれての道中、寄り道の図である。行き先は勿論、金比羅様だ。

 このあと、無残にも斬り殺されるのである。



討ち入り

2020-06-25 07:14:00 | 楽描き
 あ、い、ときて、う、である。季節はずれだが「討ち入り」と思いついた。

 子供の頃は、年末ともなれば必ず忠臣蔵が取り上げられていた。映画は勿論の事、ドラマ、雑誌、新聞と世事の枕詞になっていた。
最近では取り上げられなくなって寂しい気もするが、世の習いなのだろうか、時代劇も衰退しているという。

 今の世の中は忠義などというものが理解されないのかも知れない。確かに雇用関係をみても非正規などがあり、こういった制度を設けた国の魂胆が理解できない。

 当時を振り返ると、廻りの若者達もフリーターが多く、自由に働いて好きな事に打ち興じるという風潮があった。オタクなどという言葉も出始めた頃だ。

 しかし、考えてみると、こういう人達は江戸時代に例えると、立派な浪人である。仕官の当てもなく長屋住まいでその日暮し、呑気そうに見えるが、それは映画や小説の世界である。

 さて、御家断絶となった赤穂の藩主達。今でいえば大企業の倒産だろう。
ささっと次の就職にと前向きにはならずに潰れた会社の為に命を捧げるという涙、涙の物語。これぞ忠義と、話しが大雑把すぎた。

 絵の話しをする。
拙者、絵を描くときは見ないで描いている。つまり、参考資料を右手に置いたり、写真を参考にしたり、はたまた自身でポーズをとったりとか一切なしに描いていく。

 子供の頃からそうである。理由はない。しいていえば楽しいからである。つまり想像で描いている。下絵はそうであるが、さすがにペン入れの段階ではチョット調べてみる。今時はネットがあるので、すぐに出てくる。

 今回はペン入れの後からでも、エラーが出てきた。あちこちホワイトで修正して誤魔化して、原稿がガタガタである。アップを止めようか、デッサンは狂っているし失敗だ。

 なにが失敗って、一番の失敗は女っ気が、ねぇや。


いかさま

2020-06-21 06:12:00 | 楽描き
 い。で、いかさまと思いついた。
昔、観た映画だと思うのだが、盆の下に人が隠れてサイコロを自在に動かし、思い通りの目を出すという、いかさまを見た。

 案の定、見破られて下の人は刺されるのだが、この絵のように刺された人が驚きのあまりに手が出るという事はなかった。かように盆の卓も敷かれた布も、紙のようには、やわくはないのである。

 周りの人達も刺した浪人よりも出た手に驚いている。サイコロを振っているヤクザも、刺した浪人も驚いている。冷静なのは手前の女。何やら訳がありそうだ。

 かように刺しどころ満載の絵であるが、一番の刺しどころはパースの狂いである。引錐刺股。筆者は股に錐を刺して、いや、股ではあれなので腿に錐を刺して、この絵を描いた次第である。

 どうか私を刺さないで欲しい。