机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

2009-06-26 21:52:00 | 楽描き
もう十年以上も携わっていないと考えや記憶も鈍くなっているなぁ。

今歩きながら遠い昔を振り返って見てるけど。
あれだよなぁ幅が900mmをこえる版面には板厚8mmを使っていたなぁ。
思い出すなぁ。
あとガラスもけっこう使っていたなぁ。ガラスは破れやすい性質があるけど板厚8mm前後あればバーンとしていたなぁ。何よりもアクリと違って気温に左右されずいつまでも版面がフラットで美しかったなぁ。

思えばいろんな看板を作っていたよなぁ。

最近は木枠看板ばかりだなぁ。それでも幸せなんだけど今回の様な事に出くわすと言葉がないなぁ。
素材は大事だよなぁ。

先輩の言葉を思い出すなぁ。
「解らなかったら材料と話をしな。材料に聞きな。」材料は嘘つかないもんなぁ



マンガ五十年

2009-06-07 17:47:00 | 楽描き
劇画魂③

この新聞記事の連載が開始された時、劇画の事も取り上げられるのだろうと思った。今回は梶原一騎氏の登場である。
氏は漫画原作の長で数々の名作を世に送り出している。

劇画という範疇で言えば絵を担当した人に貸本出身者が比較的多いという事だ。
代表的な事で言えば「巨人の星」の川崎のぼる氏であろう。両氏を有名にした事は勿論、作品もヒットした。

川崎のぼる氏の作品に出会ったのは確か小学生の高学年の頃だったと思う。
「大平原児」(少年ブックに連載していたと記憶していたと思うが間違っていたらごめんなさい)という西部劇で先に知ったさいとう・たかを氏の画風より漫画寄りで丸い印象であり夢中になりよくコピーをした記憶がある。先に述べた東京トップ社にも西部劇を一冊書いている。ひとりで何十人も相手にするという黒澤明氏の映画作品を思わせるアクション物だったと記憶しているが残念ながら題名までは覚えていない。ただ絵の感じからして大平原児より古くキャラクターも似ていてその後の「巨人の星」の星飛優馬(漢字はこうだったかしら)に引き継がれている

残念ながら「巨人の星」は完読していない。
結末もTVのアニメ再放送で後年知った。

梶原、川崎、両氏の活躍は語らずとも知るところだが残念ながらそれ以後作品に接していない。
梶原一騎氏の「愛と誠も」最初の方だけで結末を知らない。語る資格なしだ。ただ絵を担当した、ながやす巧氏は古くから知っている。氏もまた東京トップ社刊の本に執筆していた。氏は川崎のぼる氏と同輩(そう勝手に思っている)の南波健二氏の弟子である。南波健二氏も当時戦争アクション物などをトップ社に書いていたと記憶している。これにありかわ栄一氏(後に園田光慶と改名)が加わり東京トップ社の三羽烏と勝手に決めていた。
ながやす巧氏の作品が紙面を飾る頃には、世の中はもう貸本時代ではなくなっていた。
貸本出身者の作家達もメジャーな表舞台へと活躍の場を広げていき、世はまさにマンガブームへとなって行くのだ。

話しが横道にそれた。

新聞記事には晩年の梶原一騎氏の事が書かれているが、ここでは引用もコメントもひかえる。

梶原一騎氏の才能に敬意を評する。今度、氏の作品をゆっくりと読みたいものである。
ただそれだけだ。