今日は首のまわりが汗ばむ。季節は廻りようやく春なのであろうが、緑や花はまだ先のようだ。
本州の方のブログなどを拝見すると、もう二月や三月から花の便りがある。えらい違いで驚いてしまう。
ここに長く住んでいると、これが当たり前とすましてきたが、個人の情報発信が進歩してきた今日ではテレビや新聞よりも、発信が身近で早くて細かくて、ある意味で中身が濃い。
家の庭にこんな花が咲きました。あるいは近所を散歩していると土手に小さな芽が吹き出ていました。等等。
実に素人とも思えない写真と文章で感心してしまう。時々にお邪魔をしては心を和ませている。
我がブログはといえば、これはそういう発信は苦手である。言えばそういう豊かな感性をもちあわせていないのだ。
その名のとおり机の上の小さな諸事を書いている。杖の上で描いたもの、あるいは書いたもの、机の上にある小物、等と実に退屈なブログだ。しかもあまり更新もされない。
そんなブログだが、いつしか宝物のになってきた。自分が死んでも・・・いつまでも残って欲しいと思うのだが、どうであろうか・・・。
実は大きくなったら孫に読んでもらいたいと、そういう気持ちで今ではこの駄文を書いている。
本州の方のブログなどを拝見すると、もう二月や三月から花の便りがある。えらい違いで驚いてしまう。
ここに長く住んでいると、これが当たり前とすましてきたが、個人の情報発信が進歩してきた今日ではテレビや新聞よりも、発信が身近で早くて細かくて、ある意味で中身が濃い。
家の庭にこんな花が咲きました。あるいは近所を散歩していると土手に小さな芽が吹き出ていました。等等。
実に素人とも思えない写真と文章で感心してしまう。時々にお邪魔をしては心を和ませている。
我がブログはといえば、これはそういう発信は苦手である。言えばそういう豊かな感性をもちあわせていないのだ。
その名のとおり机の上の小さな諸事を書いている。杖の上で描いたもの、あるいは書いたもの、机の上にある小物、等と実に退屈なブログだ。しかもあまり更新もされない。
そんなブログだが、いつしか宝物のになってきた。自分が死んでも・・・いつまでも残って欲しいと思うのだが、どうであろうか・・・。
実は大きくなったら孫に読んでもらいたいと、そういう気持ちで今ではこの駄文を書いている。