机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

ホンの乾燥

2018-12-28 04:28:00 | 本の読味
 カテゴリーのタイトルを「本之見世平加視」から「ホンの乾燥」と変えた。
蔵書といえるほどのモノではないが本の幾冊が湿気っていた。
これにはショックでたまにはパラパラとめくって乾燥させなければと思った。
と同時に本を読まなければとも思った。
ホンの乾燥は本の感想につながれば良いのだが・・・・・。

加藤剛さんのこと3

2018-12-24 09:45:00 | 映画の味方
 加藤剛という役者は若い時分から好きで、印象深いのは顔が美しいの一言に尽きる。

今、芸能界を見てもこういう顔立ちの人はいない。
とりわけ気に入ってるいるのは顎が発達していてしっかりしている事だ。少し厚ぼったい唇を真一文字に結ぶ姿は凛々しい。

今の俳優さんは男も女も顎が小さくて何か物足りない。
流行りなのだろうか、それとも近年の生活習慣からなのか皆、顎が細い。

絵は三匹の侍のつづきで色鉛筆で着色をした。



 加藤剛さんの他の作品については後述しよう。

加藤剛さんのこと2

2018-12-16 22:14:00 | 映画の味方
 三匹の侍に出ている橘一之進は強烈に印象に残っている。椿三十郎や用心棒以上に憧れたものである。

加藤剛さんはピンで主演しても、一本作品が成立するだろうと思うほどの役者であった。

端正な顔立ちに無精髭をはやしてよれよれの着物姿で風吹く宿場町に現れる。
といった絵面を勝手に想像していた。

しかし氏はその後、素浪人を演じることはなく、むしろ大岡越前に代表されるような清潔な役柄が多くなっていった。

それはそれでよいのだが・・・・・。
絵は加藤剛さんを中心に映画の看板風レイアウトで描いてみた。



もちろんあとの二人も強烈なキャラクターであった事を付け加えておく。

 表紙絵としてアップする。

製図版を買ったです

2018-12-10 00:01:00 | 楽描き
 以前に木製の画板とスティール製の製図版を処分したことがある。
これには今になって後悔している。
その頃は引っ越しがあったり職場が変わったりと手狭になり流行りの断捨離にあやつられてしまった感がある。
 
 ともに600×900と机を占領する大きさではあったが投げることはなかった。
言い忘れたが同じ大きさのアクリル製のトレース台も投げてしまった。

 そういうわけで、この度この製図版を購入した。
値段も安いのであまり期待していなかったが、けっこう使えるので良しとしよう。

 星五つだな。甘いかな。マンガ描くには丁度良い。おまけに下に電灯をいれればトレース台にもなる。



四匹の侍

2018-12-02 07:32:00 | 映画の味方
 加藤剛さんつながりで、もう一下り。

 我が家にテレビが来たのは他の家と比較して遅い方だ。
来たのはという言い回しは今の人には理解できないかもしれない。

テレビに足があり歩いて我が家に来るはずもないのだが、当時の風潮としては皆一様にそういう言い方をしていた。
テレビ様様の時代である。話をもどすと我が家にテレビがついたのは前の東京五輪の年(昭和三十九年)である。

これで他人様の家に御厄介にならずにテレビが見れると思ったら、しばらくは親父の会社の人が家のテレビを見に来ていた。

今度は御邪魔される立場になり初めて御邪魔される先様の気持が分かった。
随分と御迷惑をおかけしていた訳だ。考えてみれば御飯時などにも御邪魔していたわけで、自分だけではなく御近所の人達も茶の間に入りきらずに玄関先にまであふれていた。



 昭和三十八年より「三匹の侍」は放映されていたこともあり、当然夢中になり毎週楽しみにしていたわけだが、そののち映画化されていたことは後になって知った。

テレビでは加藤剛の役どころを映画では丹波哲郎が演じている。
また同時に当時流行っていたマカロニ・ウェスタンにも夢中になっていた。

今更ではあるが三匹もマカロニも黒澤明の用心棒のテイストが満ち溢れている。
それから派生して沢山の西部劇、時代劇が作られていた。

当然、テレビの映画劇場にも夢中になり、同級生は高校受験で戦々恐々としているのに、ひとり補習も受けず早々と家に帰りテレビ映画にのめりこんでいった。
この当時のテレビは今以上に邦画洋画を問わず沢山放映されていた。
これからは、テレビで映画をタダで観れると狂喜したものだ。
そういうわけで、中学時代の貴重な三年間はあっという間に過ぎていった。

 絵は四匹の侍の下絵である。資料写真などを参考にしているが、実際描く時は見ないで描いている。
下段の丹波さんにいたっては、まったく写真なども見ずに記憶で描いている。
似る似ないはあまり意識していない。
むしろまったく別物が生まれないか期待して描いている。

 何か新しいものを発明したい。そういう願いで日々ペンを振っている。
化学者が試験管にいろいろな物を混ぜ合わせて振るように、心はいつも沸騰している。
結果が平凡でも気持ちが冷えることはない。

 また明日、何かを混ぜ合わせよう。