机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

ノモンハンの夏

2018-05-23 05:51:00 | 本の読味
 奥付を見ると1998年4月20日第一刷
 1999年9月10日第二十二刷

 著者半藤一利 発行者藤沢隆志 発行所 文藝春秋 
 1619円+税
とあるが、購入は2016年頃と記憶する。

 帯の表にはこう記されている。

 参謀本部作戦課、関東軍作戦課。
このエリート集団が己を見失ったとき、悲劇は始まった

 冒頭に最初に出てくる人物が稲田正純だ。
どのような人かと検索したら、すぐに出た。

 著者は雑誌編集者時代に司馬遼太郎に同行して会っているのだ。



 文章は雄弁な講釈師が語っているようで、読みやすく引き込まれる。
今日、職場や団体で理不尽な事が起こっているが、人間の本質は今も昔も変わらないのだろうか。

 読むのが辛くて、まだ読了していない。
毎日一頁づつ、これではまるで頭をさげての匍匐前進(ほふくぜんしん)だ。

「貴様ぁっ それでも帝国軍人かぁっ 立て!立って突撃だぁ」

 はいっ急いで読みます。汗。


 

粉炭ストーブの頃・おもしろブック

2018-05-22 03:08:00 | 本の読味
 小学二年生の冬だったろうか。記憶は判然としないのだが、そういう事にしよう

 当時、「おもしろブック」を読んでいた。その「おもしろブック」が「少年ブック」に本の名称を変えるという一文が書かれているのが印象深くて、今でも憶えている。子供心に別に「おもしろブック」のままでも良いではないかと思っていたからだ。
 
 内容ははっきりとは憶えてはいないが、これからの新しい時代に相応しい誌面づくりに応えるために改称するという主旨の事が書かれていたと思う。

 今はネットで情報も容易に収集できるので検索してみたら、発行期間は昭和二十四年から昭和三十四年の十二月とあった。冬であったことには間違いがなかったし、それ以降昭和三十五年の一月から「少年ブック」となっていったわけだ。

 どうしてこの時期「少年ブック」と改称したのだろう。気になるので調べてみた。
案の定、この年の三十四年の三月に「少年サンデー」「少年マガジン」の両誌がこぞって発刊されていた。
週刊誌時代の幕開けだ。

 「おもしろブック」も「少年ブック」と改題して対抗しようと当時の編集者は考えていたのだろうか。それからは昭和四十四年までつづき、月刊少年ジャンプに後を引き継ぐ形となった。
 
 当時、我が家は粉炭ストーブで、そのすぐ後に直径三十センチほどの真鍮製の湯沸し器を連結させていたものを使っていた。
外は勿論のこと家の中も寒く、ストーブのまわりだけが暖かく湯沸し器のお湯のゆげが心をなごませていた。

 そのストーブにべったりとへばりついて見る「おもしろブック」は冬の寒さを忘れさせてくれたものである。

 巻頭は色刷りの時代劇で作者も作品名も忘れてしまったが、その誌面全体から溢れ出る豊かさは何物にもかえがたいものであった。

 その後も改題された「少年ブック」を読んでいたのだろう。
関谷ひさしの「少年№1」はしっかりと憶えている。無免許の少年が自動車レースを通じて成長し、やがては音速までに到達するという話しはその後のスピード時代を象徴しているように感じられた。

 冬はマイナス30度にもなり猛吹雪にもなる、この地において・・・。
寒さをも、ものともせずに月に一冊発行される雑誌を買いにいったのである。

 帰ってきて、ひもどきページをめくる興奮に粉炭ストーブの思い出とあいまって・・・。

今も心に燃えている。

 
 



雨あがる

2018-05-21 05:55:00 | 映画の味方
 「雨あがる」とは寺尾聰主演の映画であり、山本周五郎の短編時代小説が原作である。
残念ながら小説の方は未読である。映画のあらすじは旅の途中の浪人夫婦が仕官の口にありつけるか否かという話だ。
浪人といってもこの少し前に描いた浪人とはおもむきが違う。以前にも掲載していたもので恐縮だが、映画はこの絵のような雰囲気の浪人だ。



 仕官とは主君につかえて役人になることとある。
今時なら公務員になることと同じなのだろうが、ようは就職にありつくという全般的な解釈もありだろう。就職浪人などという言葉もあるくらいだから、どこにでも潜り込めれば、おんの字なのだ。

 かくいう拙者も浪人である。しかしそれも今日でおわりである。
「雨あがる」と言いたいところだがそうはいかない、不慣れな環境に適応しなければいけないし、前の職場と同じ雨も風も吹くのだろう。
年齢的には花も咲かないし、気持ちは雨が降っている。

 映画では結局、仕官をできなかった夫婦が雨あがる青空の下、意気揚々と旅に出て終わりとなる。
しかし現実には何でもやって食べてゆかねばならないだろう。

 この小説が原作でもう一本映画がある。長門勇主演で「道場破り」である。
この映画の主役は食うために建築現場の左官の泥多を寒風の中、足でかきまぜていた。
夫婦ふたりが食うためにである。

 この主役のふたりは、めっぽう剣術が強い。だから道場破りもするし敵もできる。
話しが面白くなるのだが、拙者には面白い話しがない。
無いこともないが、ほとんどが失敗談である。ここでそれを書いてもよいのだが、ますます心に雨が降る。
事実それらを払拭するために浪人をきめこんでいたのである。少し間をおいて新たな気持ちで、というのが正直な心情だ。

 今朝もストーブに火を点けた。なにがリラ冷えだ。冗談じゃない。
空は晴れているが、気持ちに傘をさして出かけよう。


 

問題無し答えも無し

2018-05-20 06:55:00 | 日々是茶飲み話
 桜も咲いたのだけれど今朝は寒くてストーブに火を点けた。
ブログを読み返して、変なところを直している。まこと文章を綴るということは難しいことだ。

 我がブログは来訪者が皆無であるし、ただ自分のためのメモみたいなものなのであるから気にする必要が無い。
無いのだが直してみる。手をくわえる。読み返してみる。勤勉なのかというとそんなことは無い。
怠け者で気まぐれだ。たぶん寒いせいだ。そういうことにしておこう。

 寒いとやる気がでない。子供のときからこうだ。