「雨あがる」とは寺尾聰主演の映画であり、山本周五郎の短編時代小説が原作である。
残念ながら小説の方は未読である。映画のあらすじは旅の途中の浪人夫婦が仕官の口にありつけるか否かという話だ。
浪人といってもこの少し前に描いた浪人とはおもむきが違う。以前にも掲載していたもので恐縮だが、映画はこの絵のような雰囲気の浪人だ。
仕官とは主君につかえて役人になることとある。
今時なら公務員になることと同じなのだろうが、ようは就職にありつくという全般的な解釈もありだろう。就職浪人などという言葉もあるくらいだから、どこにでも潜り込めれば、おんの字なのだ。
かくいう拙者も浪人である。しかしそれも今日でおわりである。
「雨あがる」と言いたいところだがそうはいかない、不慣れな環境に適応しなければいけないし、前の職場と同じ雨も風も吹くのだろう。
年齢的には花も咲かないし、気持ちは雨が降っている。
映画では結局、仕官をできなかった夫婦が雨あがる青空の下、意気揚々と旅に出て終わりとなる。
しかし現実には何でもやって食べてゆかねばならないだろう。
この小説が原作でもう一本映画がある。長門勇主演で「道場破り」である。
この映画の主役は食うために建築現場の左官の泥多を寒風の中、足でかきまぜていた。
夫婦ふたりが食うためにである。
この主役のふたりは、めっぽう剣術が強い。だから道場破りもするし敵もできる。
話しが面白くなるのだが、拙者には面白い話しがない。
無いこともないが、ほとんどが失敗談である。ここでそれを書いてもよいのだが、ますます心に雨が降る。
事実それらを払拭するために浪人をきめこんでいたのである。少し間をおいて新たな気持ちで、というのが正直な心情だ。
今朝もストーブに火を点けた。なにがリラ冷えだ。冗談じゃない。
空は晴れているが、気持ちに傘をさして出かけよう。