机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

我が心のマンガヒーロー

2018-06-14 04:44:00 | 本の読味
 シルバークロス

小学生の低学年の頃、今にして思えば一通りの雑誌に眼を通していたのだった。
ネットというものは便利である。
色々な情報があちこっちに掲載されていて小さい頃の漠然とした記憶を確かなものにしてくれる。
これも見たことがある、あれも見たことがあるとばかりに懐かしくなる。

 その中のひとつ、雑誌「少年」に連載されていた「シルバークロス」。
当時、このコスチュームにぞっこんだった。「月光仮面」に代表される、なんとか仮面には、正直うんざりしていた中で、子供心に感じていたこの妙な真実味は一体何だったんだろうか。

 絵は当時の頃を思い出しながら描いてみた。
タイトな、かぶりものにゴーグルをつけて、上下は動きやすい体操着のようでラインがアクセントになっている。
黒いグローブとブーツも斬新で彼が警察官であることを象徴している。
そうだ彼は警察官なのだ。だからメインアームは腰に吊るされた小さな六連発のリボルバー、一丁だ。
胸に輝く十字と共にまるで西部劇の保安官だ。だから子供心にしびれたのだろう。
 


 久し振りに子供の頃のように他人様の絵をコピーするのは楽しいのだが、この画風では少し野暮ったいかもしれない。
してみると画風やディフォルメは大事なのだ。
本家の絵はシャープで軽快だ。
子供の頃はきっと、それにも憧れたにちがいない

レモンキッドの頃

2018-06-09 07:07:00 | 本の読味
 「手塚治虫の奇妙な世界」石上三登志著を読んでいる。

  手前は、鉄腕アトムが連載された年に生まれた。よって物心がつき漫画を意識始めた七、八才頃、それ以前の手塚作品はリアルタイムには知らない。
だからこの本は購入当時(70年代後期)は重宝した。今はネットなどで簡単に資料を調べられるし現に作品なども新旧を問わず刊行されているので昔にくらべ、随分と恵まれている。

 漫画に興味のない人でも手塚治虫の名前は知っているし、鉄腕アトムは有名だ。
「マンガの神様」といつの頃からか言われるようにもなった。
 
 じつはこう見えてあまりマンガ読みではない。マンガにたいしてそれほど通でもない。
とくに今時の流行のマンガは知らないし、書棚の漫画本は古い時代の物ばかりである。
作家別にくぎっても十人、あるかないかくらいである。

 その中に手塚治虫も幾冊かはあるのだが、好きな作家の範疇には入っていない。
そうはいっても子供の頃に最初にめぐりあった作家の一人でもあり、よくコピーもしたのだが幼い頃の手塚作品の印象、記憶はとんと無いのである。

 ただこの本の中に紹介されている「レモンキッド」という西部劇作品は今も憶えている。
変わったタイトルだなあ、という以上に陳腐な名前だという印象が強烈に残っているのだ。
そしてこれはリンゴキッドからの影響下による、レモンキッドなのだろうと解釈して、かなりいい加減な作家なのだと自分の中でレッテルを貼ってしまっていた。
当時は作者の名前も意識せず作品も気には入ってはなかったが、これは恐れ多くも手塚治虫作品なのである。

 御存知リンゴキッドとはジョン・フォード監督作品の映画「駅馬車」に出てくる、ジョン・ウェイン扮する流れ者の名前である。
当時はそれ以前にこの映画をテレビで見た事があるのだ。その時でもリンゴキッド、林檎?面白い名前だなぁと、ひとりウケていた。

 駅馬車の事でもうひとつ思い出がある。
当時のテレビコマーシャルに駅馬車のワンシーンを流用したものがあった。
駅馬車がインディアンに襲われる。荷物が落下する。
場面変わって大写しの落下物、それでも壊れない松下電器ナショナルの電気コタツというCМであった。

 電気コタツにレモンキッドこのふたつは、偉大な名作「駅馬車」にあやかったものであると、当時の手前(小学生)は見下していた。

 手塚治虫は映画「駅馬車」を観たのだろう。事実、手塚治虫は若い人に映画を沢山観る事を勧めているし、自身も沢山観ていると豪語している。また自分は見たものの影響をすぐ受けて困るとも後年語っている。


 

 あの頃、我が家にはテレビもなく、他人様の家に御邪魔してテレビを視させていただき漫画本も潤沢にあったわけではなく、これまた友人宅に遊びにいった時に、そこにあったものをむさぼり読むという有様だった。

 それでも当時のことを思い出すと、なんだか暖かい空気がまわりを包み幸せにしてくれる。
記憶が曖昧なので小学校の一二年生の頃なのか、寒い冬だったような気もする。

 その後ビートルズのメンバーにリンゴ・スターなる者が登場し、イタリア西部劇にもリンゴーという登場人物が登場してきてリンゴという名前にはさほど違和感がなくなった。

 しかし「レモンキッド」というネーミィングには、ふざけるな!という想いが今でも残っている。



 当時は小学生の低学年坊主の頭では手塚治虫のセンスについていけなかったのか、それとも好みの問題か、この本のレモンキッドの表紙絵一枚からは分からない。

 後年「レモンキッド」の本を書店で見かけたが、手にとることはなかった。

 ふざけるなという、幼い頃の思い出の方が大事だからである。
それにしてもあの頃、子供心にも面白くないと思っていた「レモンキッド」。
今見ても面白くないのだろうか、気になるところである。
もう一度書店に行ってみようかしら。