こんにちは。
私の所有する文庫版、三巻とサンコミックス版、二巻には私のもっとも好きな作品である<嘔吐>が収録されていません。
去年の秋発行された新装完全版全三巻を購入しなかった事を後悔しています。
しかし、今の私の身分では漫画本を購入する余裕など実はないのです。
只、当時私は<嘔吐>をしっかりと読んでいます。
読むどころか、この作品をリメイクと言いますか書いています。
ただの写し、コピーですが。
いや、それ以下でしょう。
それほどに、この作品に感銘を受けたのです。
当時、私はまだ若く(二十歳前後)仕事が忙しく帰りが遅くて漫画を書く気力を失くしていました。
というより、何をどう表現して良いのかわからずに壁に当たっていました。
この頃、漫画は格段の進歩をし、洪水のように氾濫していました。
自分ごときが、出る必要などないのだとも悲観もしていました。
幼い頃に読み親しんだ学習雑誌の漫画や児童向けの単行本などの風情など微塵もなく、果てはエログロなども登場して、これは書き手よりも読み手の方が楽しいと自分を納得させていました。
いや、と言うより自分自身を甘やかしサボタージュを決めこんだのです。
今でさえ書店や古本屋の書棚には大量に溢れんばかりに漫画本が並んでいます。
あの頃、私は沢山の漫画の前に書き手としての気概を失っていました。
それでも仕事から遅く帰ってきてはカット的な一枚物や落書き的なイラストを書いていました。
東京オリンピックが終わり新幹線も開通し、映画が斜陽になり、テレビの時代が到来していました。
そんなある日、中学時代の友人が久しぶりに訪ねてきました。
大学の休みか何かに訪ねて来てくれたと記憶しています。
家で話しても良かったんですが、近くの喫茶店に行きました。
友人は血相を変えていました。
私はその顔を見て、こいつは金でも借りに来たんじゃないのだろうかと思いました。
「兄貴が自殺したんだ」
「えっ!?」と私。
友人が申すには、兄貴は自分などより頭が良く早稲田に行ったそうです。
そして、三田文学に関係して小説を志していたそうです。
友人の兄貴とは中学時代に彼の家に遊びに行き、一、二度会った事があります。
その時の印象は痩身でハンサムで友人とは似ていなく、こいつら兄弟は血が通っていないんじゃ無いかと思いました。
私は彼に一通りの御悔やみの旨を述べたと思います。
しばらくの沈黙の後、彼は意外な事を言いはじめました。
「兄貴が死んで一番最初にお前の事を思い出したんだお前も二重生活をしているだろう」
「お前も仕事をし乍、漫画を書いているだろう」
「うん、まぁ」と私。
「死ぬなよ」
私は驚きました。勿論私は彼に自分は死んだりはしない、という様な事を切々と述べたと思います。
彼は後年、二十代の終わり頃に私の下宿先を訪ねてくれました。
幾編かの習作を見せたその中にリメイクした<嘔吐>がありました。
彼は大学など出てもつまらない世の中だと嘆いていました。
あの頃の自分は受験戦争で大学に行くだけが目的で、卒業したらもぬけの殻だった、と私の様な生き方を羨ましがっていました。
私が書いた物の中で彼は<嘔吐>を気に入り、是非とも欲しい、と言うので原稿をあげました。
「凄いな、こういうの好きだ」
「いや、俺が凄いんじゃない」
「永島慎二が凄いんだ」
彼とはその後、疎遠になりました。
私はその後すぐに所帯を持ち漫画とも疎遠になりました。
漫画家残酷物語には死をテーマにした作品が多く、まだ若い私には周囲にそういった事例もなく、それ自体が架空でエンターテイメントでした。
しかし、歳を重ねるごとに死は身近になりました。
親戚の人達が亡くなり、父が亡くなり、やがて私も死ぬのだろうと…。
それでも、若くして死ぬ人亡くなる人は私の周囲では友人の兄貴だけです。
漫画家残酷物語は郵送します。
その方が速く、手元に届くでしょう。
それでは、また。
私の所有する文庫版、三巻とサンコミックス版、二巻には私のもっとも好きな作品である<嘔吐>が収録されていません。
去年の秋発行された新装完全版全三巻を購入しなかった事を後悔しています。
しかし、今の私の身分では漫画本を購入する余裕など実はないのです。
只、当時私は<嘔吐>をしっかりと読んでいます。
読むどころか、この作品をリメイクと言いますか書いています。
ただの写し、コピーですが。
いや、それ以下でしょう。
それほどに、この作品に感銘を受けたのです。
当時、私はまだ若く(二十歳前後)仕事が忙しく帰りが遅くて漫画を書く気力を失くしていました。
というより、何をどう表現して良いのかわからずに壁に当たっていました。
この頃、漫画は格段の進歩をし、洪水のように氾濫していました。
自分ごときが、出る必要などないのだとも悲観もしていました。
幼い頃に読み親しんだ学習雑誌の漫画や児童向けの単行本などの風情など微塵もなく、果てはエログロなども登場して、これは書き手よりも読み手の方が楽しいと自分を納得させていました。
いや、と言うより自分自身を甘やかしサボタージュを決めこんだのです。
今でさえ書店や古本屋の書棚には大量に溢れんばかりに漫画本が並んでいます。
あの頃、私は沢山の漫画の前に書き手としての気概を失っていました。
それでも仕事から遅く帰ってきてはカット的な一枚物や落書き的なイラストを書いていました。
東京オリンピックが終わり新幹線も開通し、映画が斜陽になり、テレビの時代が到来していました。
そんなある日、中学時代の友人が久しぶりに訪ねてきました。
大学の休みか何かに訪ねて来てくれたと記憶しています。
家で話しても良かったんですが、近くの喫茶店に行きました。
友人は血相を変えていました。
私はその顔を見て、こいつは金でも借りに来たんじゃないのだろうかと思いました。
「兄貴が自殺したんだ」
「えっ!?」と私。
友人が申すには、兄貴は自分などより頭が良く早稲田に行ったそうです。
そして、三田文学に関係して小説を志していたそうです。
友人の兄貴とは中学時代に彼の家に遊びに行き、一、二度会った事があります。
その時の印象は痩身でハンサムで友人とは似ていなく、こいつら兄弟は血が通っていないんじゃ無いかと思いました。
私は彼に一通りの御悔やみの旨を述べたと思います。
しばらくの沈黙の後、彼は意外な事を言いはじめました。
「兄貴が死んで一番最初にお前の事を思い出したんだお前も二重生活をしているだろう」
「お前も仕事をし乍、漫画を書いているだろう」
「うん、まぁ」と私。
「死ぬなよ」
私は驚きました。勿論私は彼に自分は死んだりはしない、という様な事を切々と述べたと思います。
彼は後年、二十代の終わり頃に私の下宿先を訪ねてくれました。
幾編かの習作を見せたその中にリメイクした<嘔吐>がありました。
彼は大学など出てもつまらない世の中だと嘆いていました。
あの頃の自分は受験戦争で大学に行くだけが目的で、卒業したらもぬけの殻だった、と私の様な生き方を羨ましがっていました。
私が書いた物の中で彼は<嘔吐>を気に入り、是非とも欲しい、と言うので原稿をあげました。
「凄いな、こういうの好きだ」
「いや、俺が凄いんじゃない」
「永島慎二が凄いんだ」
彼とはその後、疎遠になりました。
私はその後すぐに所帯を持ち漫画とも疎遠になりました。
漫画家残酷物語には死をテーマにした作品が多く、まだ若い私には周囲にそういった事例もなく、それ自体が架空でエンターテイメントでした。
しかし、歳を重ねるごとに死は身近になりました。
親戚の人達が亡くなり、父が亡くなり、やがて私も死ぬのだろうと…。
それでも、若くして死ぬ人亡くなる人は私の周囲では友人の兄貴だけです。
漫画家残酷物語は郵送します。
その方が速く、手元に届くでしょう。
それでは、また。