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机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

劇画時代

2021-10-01 06:38:00 | デザインの世界
 劇画という言葉、種類が死語になって久しい。マンガという言葉が国際語になった今は特別思い入れはないが、この方の逝去は劇画というものをさらに遠いものにしてしまった。

 さいとうたかを氏。この世界の重鎮、御大だ。
劇画という名目で、当時の漫画界に殴り込みをかけた筆頭のひとりだ。
自ら出版社を興し販路を開拓した、その功績は大きい。

 後年、氏は呼び方などはどうでも良いと語っていた。確かにどうでも良い。
漫画、まんが、マンガ、コミック、なんであれ面白ければ良いという娯楽に徹した考えは終生貫かれた。

 それでも劇画時代というのはあった。昭和三十年代から四十年代にかけて貸本作家達を中心に、手塚治虫を中心とする漫画界に挑戦状を送ったのは周知の事実だ。劇画の名付け親である辰巳ヨシヒロが劇画集団発足の案内状を手塚治虫にも送ったのだ。

 ふり返れば貸本イコール劇画であった。貸本作家達が大手の商業雑誌に掲載されるようになってからは、劇画という名目も時代が経つにつれて薄れていったような気もする。マンガ、アニメが世界に飛び火して今やMANGAになった。
 
 表現の幅を広げるという思想から発足した劇画集団。今日のマンガ、アニメの表現の多様性をみれば、氏の言うとおり呼び方など、どうでも良いという事になるのか。

 劇画家、さいとうたかを氏の逝去は、今また劇画というものを考察をする機会を与えられたような気がしてならない。

 ・・・・・・。




ごみの事

2021-05-20 05:27:00 | デザインの世界
 今さらだが、菓子の袋や箱を開けるとまた袋である。それらはすぐにごみ箱行きだ。
ゴミに金を出し、捨てるのに、また金を出す。文化文明とゴミはイコールであるらしい。

 可哀想なのはパッケージにデザインされたものたちだ。店頭では色鮮やかに笑っていたのに、買われてすぐにごみ箱の中で泣いている。おやつを食べるたびに思う。

 最近はニュースなどで、ごみ屋敷の話題が出る。これなどは文明の最たる象徴ではないか。エジプトのピラミッドや中国の万里の長城、はたまた日本の古墳に匹敵するかも知れない。

 近隣住民の迷惑になっているが、これなどは綺麗に保存して二十一世紀の文明はこうであったと、千年後あたりに見てみればよいのである。
まあ、地球が残っていればの話しだが。

 下の絵はゴミの中の一枚である。映画の一場面であったか。


ミリペンとスキャナー

2019-05-23 07:55:00 | デザインの世界
 フォト加工ソフトをもう何十年も使っているが、まだまだ分からない事が多い。
この前まではグレースケールで原稿をスキャナーで取り込んで、しかるのちにプルダウンメニューのイメージから色調補正で2階調化をしていた。
 
 しかし、それでは0.3ミリのミリペンの線を表現出来なかった。
0.3ミリの線を出そうとすると他の線が太くなりバランスが崩れてしまうのだ。

 この度は偶然にもやり方を変えたら見事にオリジナルの原稿に近い感じで表現できた。
加工する前に同じくモードの中からグレースケールをモノクロ二階調にしてから、今までの手順でやると比較的バランスが良くなった。

 おかげで絵を描くのが楽しくなってきた。
下の絵もミリペンの、か細い線がうまく抽出されている。



 絵は座して対峙、といったところか。
ある映画からのワンシーンからの取材によるものであるが題名は忘れてしまった。
なにしろ下絵の日付けをみると2016年の3月16日とあるからだ。


赤い箱絵

2019-05-17 13:21:00 | デザインの世界
 国営放送の大河ドラマで描かれているカナクリシソー氏は、あの名菓グリコのシンボルマークのモデルです。(例によって諸説あるようです)



道頓堀川のあの看板のデザインは代々マイナーチェンジされていますが、そう思って眺めると考えもひとしおです。

 一粒で二度おいしい。
幼い頃のグリコキャラメルのキャッチコピーです。
小さなおまけがついて十円位だったでしょうか。

 あの頃、ただ漠然と箱絵を眺めていました。


ガンダムカラー

2019-02-23 09:10:00 | デザインの世界
 いつもながら記憶でもの申しておりますゆえ間違いもあろうかと思いますがご容赦願いたい。

 昔、何かの記述で読んだのかもしれないが、出所は忘れてしまっている。
世にガンダムカラーという法則があるという。白地に赤、青、黄と三色を配すれば子供に受けてヒット間違いなしと。
確かにガンダムカラーとわざわざ言わなくとも、この三色は色の基本色だ。

 お弁当がいい例である。この内のどれか一色が消えても淋しいものになる。子供でなくても受けが悪い。

 信号機もこの配色だ。どうやらこの配色は世の中のルールや倫理感にもつかさどっているようだ。
子供に一番先に説明するのがこの色の概念だ。
「いいかい信号の赤は危険だから渡っちゃダメだよ」
「黄色は注意」
「青は安全」・・・・・。

 子供は決まって言う。
「青じゃなくて緑色だ」
うちの三人の子供達もそうであったし、孫もである。確かに・・・・・。

 そこで大人は知ったか振りに説明を始める。
「いいかい色にも色々あって緑に近い青は緑青、青に近い緑は青緑・・伝々」
子供には馬耳東風である。ようやく覚えた三色は生きる術であるし美味しい色なのだ。
それで充分。そして信号の青は世の中で初めて知る矛盾である。

 ガンダムカラーはともかく、絵手紙にこの三色はかかせない。
というか、この三色を使いたいが為に食べ物の絵を描いている。
 
 なぜか心が満たされる。



絵手紙始めました。