机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

コンピューター・グラフィックス

2022-03-01 03:39:00 | デザインの世界
 1995年のウィンドウズ95の登場は世間を驚かせる画期的なものであった。

 一番の驚きは画面がフルカラーであった事だ。それまで、さわってきたパソコンの画面は真っ黒クロスケだったからだ。それでもバンドルされている、お絵描きソフトは珍化なものだった。
 
 これでは絵が描けない。マックへの強い憧憬のもとパソコンショップを徘徊する日々だった。当時のマックはウィンドウズより遥かに前進的であった。

 1998年頃にアドビがウィンドウズ向けにグラフィック・ソフトを提供するようになってからはマックもウィンドウズも区別なくなってきた。
 
 今、この絵はウィンドウズ・ヴィスタで描いている。古いものだが重宝している。使っているソフトはメディバンペイント。ネットから無料でダウンロード出来る優れものだ。宣伝になってしまった。

 絵は佳境に入ってきた。

ペンタブレット

2022-02-28 06:47:00 | デザインの世界
 むかし、パソコンに興味が向いた頃、まだマックの躯体がベージュ色をしていた頃、店頭でみた板タブは三万円はしていたと思う。強い憧れだけを持って町を彷徨ったものだ。

 今、手元に液タブが目の前にある。あれから四半世紀、時は流れて自分の様な貧乏人にもパソコンとペンタブレットがある。 


デジタルの世界

2022-02-26 05:41:00 | デザインの世界
 デジタルというのは物事を数値化することらしい。らしいというのは当の本人は今一、理解しきれていないのである。

 例えば、滝の水が上から下に落ちている。我々の目にはスムーズに落ちている流れて見える。これが対義語のアナログである。この水が落ちるという情報を数に置き換えるというのがデジタルなのだろうか。と半信半疑である。

 この数が多ければ多いほど滝の水はスムーズに落下するのであるのか、当然に数が少なければ水の動きはギクシャクして果ては止まってしまうのかも知れない。

 絵を描くという行動も情報量の多い行為だ。色その物も無限に存在する。幼児が使うクレヨンのセットの色数ではどうしようにも説明できない。仮に色数が十二色あったとして色の塗り方や階調や強弱を含めると、もう十二以上の数が必要になってしまう。

 このメディバンペイントには水彩というツールがあって、みての通り何となく水彩画っぽい。フォトショップは逆に泥絵具のようなベタッとした感触だ。使っているツールがハードもソフトも二十年も前のものであるから仕方がないか。

 映画雑誌の写真を参考に絵を描いているが、今回はあまり似せないでラフに仕上げようと思う。

デジタルの世界

2022-02-25 18:12:00 | デザインの世界
 デジタルアートなるものが一般的になってきた。小難しい事は抜きにして、ここではパソコンで描く、お絵かきということで処理していきたい。処理という言い回しが、何だかパソコン的で苦笑してしまう。

 いつもは、アドビのフォトショップを使用しているのだが、今回はメディバンペイントというソフトで描いてみた。まだ不慣れである。

 例によって、タッチペンを液晶画面に滑らせて輪郭線を描いている。ガラス面がツルツルしていて、なかなか上手く引けないでいる。

 このタッチペンを初めて見たのは昭和四十年頃であろうか、テレビの歌番組で芸能人を占うというコーナーだったと思う。なにやらテレビ画面、モニターに直接タッチペンで情報を入力するという所作をしていた。

 コンピューターなるものは、手塚治虫のマンガで幼少の頃より知っていたのでさして驚かないが、今こうして自分がモニターに向かってタッチペンを走らせているのには驚いてしまう。長生きはするものである。