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机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

電気紙芝居

2022-12-11 04:17:34 | 勝手な言い草

 電気紙芝居。テレビが早々の頃には、そういう云い回しをしていた。文明の利器に嘲笑を込めたのであろうか。では、電気を取った紙芝居とは、どんな物か今さらの説明もいらないだろうが、紙に描かれた絵で一枚一枚めくって物語りを口頭によって表現される、一種の娯楽でもあるし芸術でもある。

 昭和三十年代初頭、鼻たれ坊主は拍子木の音に導かれて紙芝居に興ずる。近所の子供達も数人集まっている。もう、この頃にはテレビは世にあったが普及率は低く坊主の家には無かった。当時は映画が娯楽の殿堂で、映画館での、その賑わいは相当なもので、いつも満員であった。

 テレビの各家庭への普及が映画業界を斜陽へと導いた。テレビが映画、娯楽の王道を駆逐したのだから電気紙芝居という皮肉もあったのかも知れない。人々の生活は、より個人的になっていった。各家庭に一台から各々の部屋に一台とテレビは普及していった。

 今日、インターネットの出現はテレビの存在を脅かしている。映画業界の斜陽という状態ほどではないにしても、視聴率は低下しているのが事実だ。個人的には要らないのが本音で、テレビ受像機よりもPCのモニターで充分というのが正直なところだ。かつての鼻たれ坊主はPCモニターにのめり込んでいる。

 テレビにネットを繋げて観ているがテレビ受像機ではなくネット用の大型モニターが欲しい。もうテレビ電波は必要がない。気が付くとテレビよりもネットを観ている時間が長い。ながらが殆んどであるから、小型モニターでも良いのだが、ネット配信の映画などは、やはり大型モニターが望ましい。

 ネットの中で映画は生きている。これは嬉しい。もぐりの個人配信もあるが、昨今では映画会社公式の配信もある。嬉しい反面、ネットには嘘の情報があり誹謗中傷もある。より個人的になり、また各々が個人チャンネルを持つ事に比例する。 誤った情報もあるが、ネットは今や娯楽の頂点である。

 テレビ業界も映画業界が斜陽になったように、ネットに駆逐され滅びるのだろうか。滅びないまでも民放の一社くらいは潰れるかもしれない。ネットも永遠とは限らない。あの時の鼻たれ坊主は考える。今に地球の半分くらいは顔面麻痺になる、そうなると電波も回線も麻痺するだろう。

 繁栄の裏には滅亡もある。今も地球のどこかで戦争があり、紛争があり、貧困がある。歴史上の巨大文明も滅亡したのだ。この今の環境もやがては一掃されるのだろうか。何もかも無くなった世の中で、生き残った人が、砂浜に棒切れで絵を描いて物語りを紡ぐのだろうか。それを波が打ち消して、また描いて・・・。。

 絵は少し修正した。

 


 


007は飽きてきた?!!(笑)

2022-12-03 02:32:08 | 勝手な言い草

 当初、この絵は昨年お亡くなりになった、さいとうたかを先生の絵を踏襲するつもりでいた。いろいろ手を尽くしたが、結局こういう画風になった。ネットで検索していたら、あちらの国の方々のイラストに関心が移り傾倒してしまった。

 FBでお友達のМさんの欄で紹介されていた、外国イラストやアメコミなどは未知の世界の門戸を広げてくれた。フェデリック・クーパー氏などのイラストは若い頃に見た映画の宣材ポスターでよく散見した。

 お陰様で外国イラストを探す手掛かりが出来て、ネット上を徘徊する日々が続いた。外国のイラストはデッサンがしっかりしていて驚嘆するばかりである。こちらはデッサンのデの字もやっていないから塞ぎこむ日も続いたが・・・・・・・・・。

 

 



 


007は公務員?

2022-09-10 04:28:47 | 勝手な言い草
 ダニエル・グレイグの最新であり最終作では、007は隠居生活を送っていた。多額の年金を貰っているのだろうなあ、と思いながら観た。平穏な生活から引き摺り下ろされて、火中に飛び込むといった按排で物語は始まる。

 それは兎も角、自分は若い頃に隠居生活を送れる身分になったら、映画の看板でも描こうかと思っていた。劇画やイラストもだが映画の看板も、であるから随分と欲張りである。まっ、思う分には罪にならない。

 アトリエが必要である。広さは八畳もあればいい。床は土間か板張りでよい。絵具をちらかしても、かまわない。壁はベニヤ張りの粗末がいい。三尺角のザラ紙を必要な面積に応じて水張りして描いていく訳だ。

 絵具は泥絵具を十数食を常備して、そいつを更に三十ばかりの湯飲み茶碗に調色して配置する。左手には大小の筆を二、三本持ち、右手で必要に応じて、それを選んでガッツンガッツン描いていく。

 それが、どうだい。まさかパソコンでお絵描きとは、世の中変わりようだ。長生きはするもんだ。映画ではジェームズ・ボンドは殉職する。007に復帰するのだから年金はどういう扱いになるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、こんな時間になってしまった。夜が明けてくる今日も脳天気だ。夜には満月だ。孫は運動会だ。世界のあちらでは戦争をしている。新聞が来た。回覧板を届けなきゃ・・・。

 

 

扉の向こうとこちら

2022-08-18 02:32:16 | 勝手な言い草

 一年前に書いた記事をみている。思うのは政府がすっかりコロナ禍に対して無口になってしまった。ついでに言うならばマスコミもだ。マスコミは政府の従属だから仕方がないのだが、政府の鎮静化には驚いてしまう。

 コロナ禍は真逆で鎮静化どころか、数字は確実に増えているのに政府は無口だ。一年前は緊急事態宣言を公布して、政治家は中央から地方まで顔出しをして公言していたが、最近はとんと見なくなってきた。

 マスコミは粛々と数字を発表するだけで、まるで町内会の掲示板の張り紙だ。町内会を悪く言っているわけではない。マスコミの主体性の無さにがっかりする。

 夏休み明けには爆発的にコロナ感染者は増えるだろう。今でさえ医療崩壊しているのに、どう対処するのだろう。すべては自己責任なのか。

 某国のゼロコロナ対策も目に余るが、自国のコロナゼロの政策にも七十七年前の夏を思わせる。戦争渦中の政府、戦後の政府そして今の政府。なんら変わりなく進歩なしだ。

 民主主義とは自己責任だ。死ぬも生きるも事故責任だ。お前ら竹槍一本で戦えよ、と言った昔の政府の方が、よほど気が利いているのかも知れない。

 ただ、票集めのためにしか手段を考えない、今の政治家はコロナウイルスより最悪だ。善も悪もあったものではない。はびこる菌は他にもあったか。人とは弱い者だ。

 悪菌にまみれて、はびこる政治家も弱い人間。ある意味、病人なのだろう。感染している意識もないまま世渡りして、うつしまくっている。罪悪感無しという、後遺症のもとに。

 親にも兄弟や孫達とも会えていない。というより、会っていない。家の扉を閉ざしたままだ。残念ながら我が家の扉はマンガのように便利な扉ではない。開けて出れば現実があるだけだ。

 扉の向こうとこちら、と題して一年前の記事を顧みて書いている。扉を閉ざしているのは政府の方だろう。風通しが悪いから、悪菌に感染して増殖している。その菌は以外にも甘いのかもしれない。

 悪菌に感染、発覚するも、マスコミの前で悪びれずにほくそ笑んでいる。感染自覚なしか、あるいは罪悪無しの後遺症なのか、処置なしだ。これはもう、ある意味医療崩壊だ。


人流とはこれ如何に

 大雨が降り河川が氾濫するのは天災で、人の流れが溢れるのは人災であるから何とか誘導出来るとは東京都小池知事のおおむねの意見だ。 人の流れは人災でコントロール出来るとは、また幅......
 

 


一年の後の反省

2022-08-10 04:18:25 | 勝手な言い草

 そうか一年前は東京五輪だったのか。
もう、すっかり忘れてしまっている。テレビのニュースでは当時かかわった人が検挙されている。そんな事にも興味が無くなっている。

 運動音痴が、ひがみで言う訳ではないが、スポーツもある意味、徴兵制だと思っている。自国の国旗を肩にかけ、遅いだの早いだの一種の戦争だ。争いには違いない。目に見えない犠牲者も多いのだろう。

 八月は終戦記念日だ。東京五輪では黙とうのサイレンが鳴らなかった。復興五輪などとも銘打たれたが、どうして世の中本当に正常なのだろうか。争い事の無い世界と願う人も、甲子園には一喜一憂するのだろう。

 それとこれとは違うと言われるだろう。自分も矛盾の中にいて曖昧にしている。自信が無い、いざ戦争が始まれば自国の小旗を振り兵士を送るのかもしれない。スポーツの勝ち負けを面白がっている以上、自信が無い。

 スポーツ選手には申し訳ないが、それが今の心情だ.先の戦争では五輪は中止されて選手の多くが戦争の犠牲になっている。平和の祭典の間逆が戦争だ。当時の戦争の後押しをしたのは民衆だという説もある。マスコミが拍車をかけた、という説もある。

 平和の祭典にも裏には背徳があるようだ。手が後ろにまわる人も出てくる。賄賂を使って東京誘致を導いたという話しもある。裏には裏の競争があるようだ。人は競争が好きなのだろう。それが人間の性根なのだろう。

 
異型、異質、変異?

 昨今の新聞の見出し。異形の五輪終焉、あるいは異質の五輪終焉とある。最初から東京五輪には反対であった。ましてやこのコロナ禍の中では尚の事である。 金メダルが過去最多とあ......