ハンドメイドが好き。
職人の技が好き。
そのせいか、建築家がプレカットでない手刻みの材で家を建てることを推奨していることをすんなりと受け入れることができた。
大工さんが昔ながらの仕口・継手で手刻みして組むと構造はとても強くなるということも、理屈を聞く前になんとなく納得できてしまった。
というのは、私が趣味でやっているレザークラフトにおいては、ミシン縫いより、手縫いの方が格段に「強い」からだ。ミシン縫いは糸のどこかが切れてしまうと、そこからどんどんほつれていってしまう。ところが、手縫いの場合は糸が切れてもほつれない。
手縫いが強いのには理屈があり、その理屈は手刻みが強い理屈とは特に関連はないのだが、同じように人間の「手」を介する作業ということで、その時点で機械ではできない何かが付加されているのは間違いないと推理できた。
手刻みには、熟練した大工の技術が必要だ。その分コストが高くなるからといって、最近の家では手刻みが減っている。これは残念なことだ。構造が強くなって長く持つのなら、決して高い買い物ではないのに。
腕のいい大工さんも、今ならまだ巷に残っている。そういう大工さんは最近の現場がプレカットばかりになってつまらない思いをしていることだろう。たまに巡ってくる手刻みの仕事はよろこんでやるのではないか。そうして喜びながらやる仕事は力の入れ方が違って、いい仕事になるはずだ――。そんな連想をしている。
職人の技が好き。
そのせいか、建築家がプレカットでない手刻みの材で家を建てることを推奨していることをすんなりと受け入れることができた。
大工さんが昔ながらの仕口・継手で手刻みして組むと構造はとても強くなるということも、理屈を聞く前になんとなく納得できてしまった。
というのは、私が趣味でやっているレザークラフトにおいては、ミシン縫いより、手縫いの方が格段に「強い」からだ。ミシン縫いは糸のどこかが切れてしまうと、そこからどんどんほつれていってしまう。ところが、手縫いの場合は糸が切れてもほつれない。
手縫いが強いのには理屈があり、その理屈は手刻みが強い理屈とは特に関連はないのだが、同じように人間の「手」を介する作業ということで、その時点で機械ではできない何かが付加されているのは間違いないと推理できた。
手刻みには、熟練した大工の技術が必要だ。その分コストが高くなるからといって、最近の家では手刻みが減っている。これは残念なことだ。構造が強くなって長く持つのなら、決して高い買い物ではないのに。
腕のいい大工さんも、今ならまだ巷に残っている。そういう大工さんは最近の現場がプレカットばかりになってつまらない思いをしていることだろう。たまに巡ってくる手刻みの仕事はよろこんでやるのではないか。そうして喜びながらやる仕事は力の入れ方が違って、いい仕事になるはずだ――。そんな連想をしている。
我が家は木工事がほぼ終了しました。
毎日棟梁と顔をあわせていろいろなお話を聞かせてもらっていたので、何だかちょっとさびしいものです。
そういえば棟梁もほとんどの現場がプレカットばかりになっているけど、なにかあったときに臨機応変に対応できるように、やはり手刻みができる技術(腕)は錆びさせたくない・・・と言うようなことを言っておられました。
革はやっぱり手縫いが良いですよね。
本当に強いです。何年、何十年って使えますよね。使い込むほど味が出てくるし。
家もそのようになっていったらよいですね。
ところで、奥様へのプレゼント決まりました?
私だったら、普段自分で中々買えないようなちょっとお高めの、趣味やインテリア関係の本なんてもらったらうれしいです。
洋書なんて飾っておくだけでも、素敵だと思います。
アンティークなものも良いけど、ちょっと高いかな。
またまた、おっしゃるとおりだなあと、拝見させていただきました。
家の場合、工業製品とハンドメイドの違いがもはや、あんまりわからなくなってしまっているのかなあとおもいました。
そういう僕も、ようやく、手作りとか職人技に目覚めてきたところです。
T.Fさん、賛同のコメントうれしいです。
何を作るにしても、手仕事には手仕事の良さというものがありますね。
そもそも、機械というものは人間の手仕事を代用するためにうまれたもので、手仕事が残るジャンルということは、まだ機械で実現できない技術がその世界にあるってことでもあります。
家づくりにはまだそれが残っています。せっかくだから導入したい、そんな気持ちにもなりました。
chiezokunさん。
カミサンへのプレゼントについて、アドバイスありがとうございます。
毎年は交換していないのですが、今回は向こうからやろうと提案がありました。
クリスマスはともかく、誕生日には何かしら渡していたんですけどね。だいたい、花束か食べ物って選択になっていたので、今回は「なくならないもの」という指定がついてきました(笑)。
で、今は、身に付けるものがいいか、家に置いておくものがいいかで悩んでいます。
アドバイス、参考にさせていただきます。
T.Fさん。
工業製品の世界では、本物でないものを本物に見せかける技術が発達してきています。だから、見分けがつきにくくなってきているんですよね。だけど実際は、モノの本質的価値には本物とそうでないものに差はあります。なんとかそれを見抜く目を養っていきたいものですね。本物に見せかけるためにかかった開発費用の一部を負担させられているのはなんかしゃくにさわりますし。
それで、その読後感想を自分のHPに書いてましたら、マシン関係の方から、たわいない論争をしかけられまして、応戦中です。
セルフメンテしたとき、手刻みの初歩をやって以来、大工さんの仕事に異状に興味をもってます。
おっしゃる通りの感想です。
フウテン録のぞかせてもらいましたが、どうもあの方が何をしたいのかが分かりません。
私の足りない頭で整理してみれば、あの方は一般論的な話に持っていきたがっており、yudoさんの方はどこかの誰かの役に立てばよいというような話をしようとしているのではないですか? そんな噛み合わなさを感じました。
そして、棟梁の話は、現代においては一般論にはしにくいですからね。むしろ棟梁にしてみれば昔はそれが普通(一般論)だったっていうような語り口なんで、今の時代での一般論を語りたい人とは対立しがちになってしまうのではないでしょうか。
あの方は別に乱暴な御仁でもないようなので、ゆるりと対応されればよろしいかと。
ただ、yudoさん。私は現代の一般論にせよ、昔の一般論にせよ、家づくりを一般論的に考えるリスクというか弊害を感じています。その話はいずれこのブログにも書きたいと思っています。
入れ込みすぎる私にも欠点ありです。
あまり混乱しないように収策の方向です。
今後ともアドバイス等よろしくお願い致します。
コメント残させていただきますね。
今年95歳の祖母も、昔から裁縫をしていて
【若い時は職にもしていたそうな】、
私は祖母が手縫いで作った布団で育ちました。
今ではもう年齢的な事などで作れなくなってしまいましたが、
着物の古布で作った敷布団などは、格別なものだったし、
私の寝相が悪い為、糸や布が切れても手縫いで修繕してくれていました。
それを見て育った私は、いつしか祖母に頼む前に
自分で手縫いで修繕したりもしていました。
でも、祖母の手縫いにはかないませんけどね。
garaikaさんのおっしゃるように、
確かに手縫いで修繕するとかなりの期間もつんですよね。
しかも、糸が切れてもほつれないし。
それは、レザークラフトに限らず布に関しても同じ事が言えると思います。
私のブログで、祖母から受け継いでいる物の紹介をしている記事があるので、
良かったら時間のある時に見てみて下さいね。
http://enemi.blog61.fc2.com/blog-entry-41.html
※ちなみに、私のちっちゃいもの作品の代表は、
ミニポ【ミオニミニポーチ】です。
最近ずっと作っていなかったのですが・・・
garaikaさんに影響されてしまっているので(笑)、
また作ろうかと考え中です。
長文、失礼致しました。
↓
ミニポ【ミニミニポーチ】
です。スミマセン・・・。
すばらしい祖母さんがいるのですね。
優れた手仕事の技術を持っている人が昔はたくさんいたのに、現代人は何か退化してしまっているように思います。
我が家はかつて呉服を商っていたことがあり、注文を受けると父が仕立て屋さんに持っていっていました。子供の私もたまにつきあっていったものです。和裁は当然のごとく手縫いですから、それはそれは丁寧に取り扱っていたことを覚えています。そういう風景は美しいと思います。
レザーの世界では吉田カバンの創業者の吉田吉蔵氏の「一針入魂」という言葉があります。魂の入った縫い目なんてすごいですよね。
そこまでいかなくても、手縫いの縫い目は何か感じさせるものがあるんですよね。