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野田正彰『虜囚の記憶』

2009年09月26日 | 本と雑誌
Ryoshu
 
虜囚の記憶
野田正彰 著
みすず書房 発行
 
 この本は、1998年に岩波から発行された『戦争と罪責』と対をなす。
 前作が、日中戦争時における、加害者としての元日本兵からの聞き取りをもとに構成されているのに対し、『虜囚の記憶』は被害者側のそれに基づく。
 聞き取りの相手は、日本軍によって強制連行された中国と台湾の人々である。
 全12章のうち、1~8章までは、拉致されて日本の炭坑などで、奴隷的強制労働に従事させられた人々のうちの、数少ない生存者である。
 日本は、長引く戦争で働き盛りの男が極端に少なくなり、不足した労働力の補充を、侵略した中国や植民地化していた朝鮮に求めたのだ。
 拉致当時の年齢は、8歳から21歳と幅広い。
 すべての証言に共通するのは、拉致された直後、日本に送られる列車や船の中の環境がすでに劣悪で、現地に到着するまでに多数の人が亡くなったという。
 現場では粗末な食事と衛生状態の悪い中で、1日12時間にも及ぶ重労働を課せられ、死ぬまで働かされたという。
 「もう働かなくてもよい」といわれ、証言者の彼らを救ったのは日本の敗戦だった。
 しかし中には、敗戦を知らされないまま、1ヵ月以上も働かされた者もいた。
 ところが、体力が消耗しきった状態にもかかわらず、帰国の船中では、亡くなった人が非常に少ない。
 著者の野田氏は、日本に搬送中の死者はは自然死ではなく、殺されたのではないかという。
 この本を読むまで、ぼくは「花岡事件」なるものについて、詳しくは知らず、ただ虐待を受けた中国人労働者の蜂起事件とだけとらえていた。
 この事件にはその後の裁判にいたるまで、鹿島建設、すなわち日本側の悪意に満ちた策略があったのだ。
 第4章にある、「花岡事件」原告団代表コウジュンさんの話は、信頼していた弁護団にまで裏切られたことへの怒りに満ちていた。
 「花岡訴訟は“和解”で完全に失敗した。それを思う度に、胸を鋭利な刃物で突き刺されたような痛みを覚える」と、弁護団の独断ですすめられた屈辱的な“和解”を現在でも受け入れていない。
 
 9章から12章は、侵入して来た日本兵の性暴力の被害者と、慰安婦として拉致された女性からの聞き取りである。
 日本軍は兵站(食糧や日用品の補充基地)がまったく整備されておらず、現地調達(徴発)を基本にしていた。
 これはもちろん国際法違反であったが、兵士にはそのことを教えていなかったために、やりたい放題で、食品だけでなく、女性も“徴発”していたのだ。
 日本軍が“徴発”のために村を襲えば、かならず惨殺と女性に対する暴行がともなった。
 度重なる暴行のために、戦後60年以上を経た今日でも、精神的に不安定な状態が続き、骨盤が変形したままだというお年寄りもいた。
 
 当時被害にあった人々の証言は、年齢によってやや異なる。日本軍が子どもと大人では扱いを変えていたということのようである。
 また、当時子どもであった人は、判断力が十分でなかったろうし、大人であった人はすでに高齢のために記憶が薄れてきている。
 証言の断片をつなぎ合わせてまとめる作業は並大抵ではなかったろう。
 
      ◇
 
 この本の帯の背に「若い世代へ」とある。だが、若い世代の何人が読みこなせるだろうか。たしかに、みすずの本にしては読みやすい文章だが、それでも難読漢字が少なくない。
 最近の若者の理解力の低下を甘く見てはいけない。
 
 もう一つ、このところのみすずの本は誤植が目につく。みすず書房は他社の本にくらべて価格が高いのだから、もう少し丁寧に作って欲しいところだ。
 
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